第百三十二話
「ようこそおいで下さいました。お久しぶりで御座います、“初代様”」
「その呼び方はおやめください、ランドシルト総帥」
二人が案内された応接室には、既に壮年の男性魔族が、席を立ったまま二人を待ち構え、入室と同時に深々と頭を下げ挨拶を述べた。
それはまるで、リョウカを敬い、傅くかのような様子。
組織の長が何故、地球の人間にここまでの礼を取るのか……傍目からは決して理解出来ないであろう姿。
が……どうやらイクシアだけは、その礼の尽くす姿も、リョウカが『初代様』と呼ばれている理由も、全て理解している様子だった。
「失礼しました。して……今回は秋宮財閥の総帥としての訪問予定はなかったと記憶しています。つまり貴女は今……『本来の身分』で私を訊ねて下さった……という事でよろしいのでしょうか?」
「ええ、そうなります。少々訊ねたい事がありまして」
「は。して……こちらの女性は……? ここにお連れになられたという事は、ある程度こちらの事情を知っておいでで……?」
「……ええ。そうですね『私と同質の存在』と言えば十分でしょうか」
リョウカがそう告げた瞬間、ランドシルト総帥は深々とイクシアにも首を垂れる。
「……頭を上げてください、ランドシルト総帥」
その様子に、イクシアはなんとも形容しがたい、複雑な表情を浮かべていた。
「ランドシルト家は、代々シュヴァインリッターの総帥を排出している名家です。この大陸を初めとした、グランディア全土の治安を守る為、一族総出で全力を尽くす『奉仕の一族』と呼ばれています」
「……そう、なんですか」
生前、関わりのある家だったのだろうか、イクシアはその説明を受け、大きく驚いていた。
「それで……お尋ねになりたい事とは?」
「ええ、実は現在の『USM』の本拠地がどこなのかとお聞きしたくて。あの組織は拠点を定期的に変えていますからね、今の私に彼らと接触する手段がありませんので」
「そちらに関わる用事でしたか。……活動拠点をこちらに移されるので?」
「……ええ。既に私は秋宮を離れている身ですから。恐らく近いうちに地球側で大きな動きがあるかもしれません」
「……どうやら、想像以上に大きな流れが生まれつつあるようですね。実は昨日より、地球からの情報がこちらに流れなくなっているのです。して……USMの人間は二月ほど前、大きな作戦があるからと、警戒の為拠点を移設しました。現在は大陸西部の漁村、そこから山岳地帯に入って行ったところにある山村を主な拠点としています」
「まぁ……随分と辺境に移転したんですね。山村となると『カーヴェントリ』でしょうか? あそこは中々観光地として有名だと記憶していますが」
「ええ、そこの宿『セシルの雨靴』という場所を拠点としています。合言葉は『わざわざ山まで移動して海の幸を頼むなんて』です」
「了解しました。では、すぐに漁村行きの船を手配していただけますか?」
そうリョウカが提案した瞬間。イクシアの肩が震える。
それを見てリョウカが苦笑いを浮かべるも……こればかりは変えられない。
が――
「いえ、それが……まだこちらに詳しい情報は入っていませんが、少々きな臭い動きがあります。現在、こちらの大陸に常駐している異界調査団の分隊が、秘密裏に海に船を出し、なにかを警戒している様子です。確か……あの分隊のオーナーは貴女の……秋宮の人間だったはずです。もし、今あなたが秋宮から離れているのでしたら、もしや今彼等と接触するのは問題なのではありませんか?」
それは、元々リョウカがグランディアに置いていた部隊の人間だった。
そして当然それは、今ではリョウコの手勢となっている。
彼女は知る由もないが、既に発達した通信技術により、一部のグランディアに住む人間にも、世界樹の苗破壊の報は届いている。
そして当然、逃亡中の犯人グループを警戒して動いていた。
だが同時に、その捜索隊にリョウカが見つかるのも避けたい問題だった。
「そうですね、私はもう秋宮と接触する訳にはいきません。では、海路の使用は避けた方が良いのですね?」
「そうなります。陸路、魔車か列車、魔導車での移動の方がよろしいかと」
「では、魔車で。魔導車は目立ちますし、列車では逃げ場がない」
「……どうやら、かなり貴女は危ない立場におられるようだ。暫くはこちらとの接触も避けて頂いた方がよろしいかと」
「そうですね、今のシュヴァインリッターに御迷惑をおかけする訳にもいきませんから。では、魔車を一台手配してください」
そう二人がやり取りをかわす中、イクシアはただ胸をなでおろしていた。
中々ひっ迫した話をしていたにも関わらず、彼女の頭をしめていたのは『船は嫌だ』という考えばかり。
さすがに……彼女でも心底苦手な物の前では、ただの怖がりの一人の女性にすぎないのだった。
「御者はお任せ下さい。一応『慣れて』いますから」
「……ふふ、おかしな感じがしますね。まるで……二〇〇〇年前を思い出します」
「……はい。本当なら、私はここに来るべきではないと……思っておいでですよね?」
用事を済ませると、観光もせずに足早に都市を後にする二人。
魔車の御者を買って出たイクシアに向かい、リョウカはしみじみと語る。
「はい。ここは……この大陸はあまりにも貴女と関係が大きすぎますから……ね」
「先程の『総帥』さんのように、ですか?」
「ええ。……彼の一族は、私の後を継ぎギルド、つまり今のシュヴァインリッターの総帥を引き受けました。それから、彼等はずっと組織維持、治安維持、人々の生活を守る事に従事してきました。……まるで、過去に自分達が侵した過ちを償うかのように」
「……そうですか」
激動の時代に生きた過去の人間。故に、様々な事件に巻き込まれ、時には人としての尊厳すら傷つけられるような凄惨な事件もあった。
その影響か、イクシアは己の過去を思い出しどこか硬い表情になってしまっていた。
が――
「……そして、今も引き継がれているのは、彼の一族だけではないんです。……私の軌跡と同じように、貴女の軌跡だって……今に続いている。知っていますか? 貴女がかつて治めていた領地は、何度もその名前を変え、それでもなお続いています」
「ええ、そのようです。街の名前は私も知っていますよ」
「では……『子供の楽園』と呼ばれている事はご存知ですか? あの場所は今、遊園地、遊具施設の生産、学童の為の私塾、孤児院、親子の為のレージャー施設。その他親や子の為の設備が充実している、まさしく親子の聖地として有名になっていますよ」
「……そうなのですか」
「ええ。時代は変わっても、築かれた礎を壊すことなく、何代にも渡り発展し続けた。貴女は自分の事を過小評価しているかもしれませんが……貴女は間違いなく、偉人です」
「……なんだか、少し報われた気持ちがします」
魔車を走らせながら、イクシアは遠くを見つめる。
まるで、思いをはせる様に、思い出す様に。
「今、私は一人の親として、もしかしたら間違った事をしているかもしれない。しかし一人の大人としては正しい事かもしれない。二律背反です」
「感謝しています。きっと、貴女は報われる。……今回も必ず」
「イクシアさん、そろそろ山岳部に向けて進路を取る予定ですが、さすがに土地勘は鈍っているでしょう? ここからは私が御者を勤めますよ」
「そうですか? ならば隣へどうぞ、指示をお願いします。やはり性分でしょうか……リョウカさんにお任せするとなると、申し訳なくて……」
「ふふ……仕方ありませんね。ですが、山岳地帯は今でもあまり魔車での移動が盛んではない土地です。列車ならともかく街道を女二人で移動するというのは、現代でもそれなりにリスクがあるんですよ?」
「まぁ……こんな時代なのに、ですか?」
「こんな時代だからこそ、です。光の当たる場所が増え、文明と言う光が強くなったからこそ、そうではない場所の闇は深い。そういう事です」
「なるほど……つまり、シュヴァインリッターで持て余す様な犯罪組織等が、人気のない街道で旅行者を餌にしており、都市部からだいぶ離れたこの街道ではそういった被害も多発している。しかし警備をこんな遠方に派遣する程の余裕が今はない、という事ですね?」
「……あの、たまに理解が早くて助かるを通り越して恐くなってくるんですけど。ええ、正解です」
「いえいえ、ただ見たままを言っただけですので」
「は?」
そう言いながらイクシアは街道の遥か先を指さす。そこには、大型の魔導車、地球で言うところの大きめのワゴン車のような物が停められており、何やら数人の人間が二人の方を見ているようだった。
「……ただ停まっているだけの可能性もまだありますね。通り過ぎてみましょう」
「リョウカさん、一応私は護衛ですが、あくまでお守りするだけです。万が一にも殺す様な事はしませんが、問題ありませんか?」
「正当防衛以外で殺す事は許されていませんし、過度の防衛による殺傷も禁止されています。なるべく、穏便にお願いします」
「分かりました。……地球程、徹底した法ではないのですね」
「ええ、まだ現在のグランディア統一の法律が出来てから四○年程しか経っていませんから」
まぁ、そんな二人の心配、予想が杞憂で終わる事などあるはずもなく、案の定停まっていた魔導車が突然動き出し、道路を塞ぐように移動してしまったのだが。
「すみません、通らせてください」
「いやぁ……申し訳ないですね、ちょっと親切心から通行の邪魔をさせてもらいました」
魔導車からも男達が降り、外で待機していた人間と合わせて七人の男が、イクシア達の魔車を取り囲む。
「この辺りはもう街道があまり使われていなくて、ちょいと治安が悪いんですよ」
「俺ら、ここでそういう事知らない人間の護衛を買って出てるんすわ。どうです、この先の古いドライブインまで護衛しますよ? 今なら格安で」
案の定のたかり。だが、今魔車に乗り込んでいるのが美女二人だけだという事がバレてしまう。
「ボス、この魔車二人しか乗ってません」
「おっと……いやいや、しかもお姉さん二人だけとか、こりゃいよいよもって危ない。悪い事は言わなんで俺達を雇うと良い」
ただただ、不幸としか言えない事件であった。
いや自業自得ではあるのだが。
恐らく、ヨシキが以前言っていた『ディースは世界で七番目に強い』とも取れる発言。
そして、そのディースより上の序列だと彼が考えている人間が……今、この場にいるのだ。
故に――
「…………」
「もう話せませんよ。口は開きません。手足も動きません。貴方達はもう、動けません」
「……相変わらずのお手並みです。本当なら去年の夏合宿の一件、ユウキ君が動くまでもなかったのではないですか?」
「いえ、生身でかつ油断している相手だから簡単に催眠出来ただけです、所詮、魔眼の劣化です。プロ相手には通用しませんよ」
ただ、言葉を発しただけで、周囲の人間が動かなくなっていたのだった。
「一応、こちらの世界でも使える端末は用意しています。今最寄りのシュヴァインリッター駐在所に連絡を入れますね」
「分かりました。では、このまま放置、ですか?」
「……いえ、あまりにもこれでは違和感があります。交戦の痕跡を残した方で良いでしょう。イクシアさん、彼等の身体に死なない程度の傷を」
「すみません、もう身動きの取れない相手に危害を与える事は出来ません。リョウカさん、お願い出来ますか?」
「……そうですか。ええ、そうですね。貴女は……人の親、ですからね。汚れ仕事を任せようとするのは、私の悪い癖です」
その瞬間、倒れた無法者達の足が一斉に穿かれ、血が噴き出す。
それは紛れもない、弓矢による攻撃。目にも止まらぬ速さで、同時に男達が傷を負い、その衝撃に気を失ってしまっていた。
「私はもう、この両手を血に染める訳にはいかないのです。今の生を受けた私はもう……決してこの手を血に染められません……」
「子供を抱くため、子供を血で汚さないため……ですか」
「……はい。過去の行いは決して消えない。それは前世であっても同じ。ですが……せめてこれは私のけじめ、拘り、願掛けです」
自分の両手を見つめながら、イクシアはそっと握りこぶしを作る。
そこに、かけがえのない物があるように。それを、手放さないように。
「……その抱きしめた子供が、既に血に塗れていたとしても、ですか?」
「……ふふ、こればかりはリョウカさんには分からないと思います」
すると、イクシアは微笑みながら、リョウカにきっぱりと言い切った。
「親は、子供に汚されながら共に成長していくものです。私はユウキに汚されるのならば本望です」
「……これは確かに私では分かりえない事でしたね。さすがです……お母さん」
そうして、二人は引き続き、目的地へと向かい進むのであった。
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