第百二十二話
秋宮財閥の総帥が据え変えられ、新たな体制が築かれ始めた頃。
総帥の片腕とされていた『ニシダ チセ主任』は、警戒の為、極力外部と関わる事のない部署に異動させられ、そこで研究に専念していた。
当然、ユウキとの接触は警戒されている為、学園の非常勤講師としての任も解かれ、現在は兵器開発に追われていた。
「ふぅ……坂田、さっきのデータを試作機にフィードバックしておいて」
「了解了解。しっかし最近かなり羽振りいいっすよね、こっちの部署。研究所の外には出させて貰えないっすけど」
「機密保持の為よ、我慢なさい。……まぁ、そうじゃないんだろうけどね」
最後の部分だけは聞き取られないように小さく呟き、チセは自室へと戻る。
白衣を脱ぎ去り、考えを巡らせる。
自分を取り巻く環境が変わった事。自分の自由が一時的にとはいえ奪われている事。
それら全てが、かつてリョウカ自身に言われていた『いつか、このグループは変わってしまうでしょう』という言葉が指し示していた事なのか? と。
「……恐らくもう、リョウカさんは私が知っているリョウカさんではない……か。何が起きているのかしらね……」
「まぁ、確実に大きな変化が待っている、だろうな。よう、我が愛しき妹様よ。最近働き詰めなんじゃないのか?」
するとその時、関係者以外は立ち入る事が出来ない研究所の、さらにプライベートルームに平然と潜入した人物がチセに声をかける。
「うわぁ!? ちょ、さすがにびっくりするわよ、兄さん!」
「悪いな、さすがにここくらいじゃないと監視無しで話せない。……チセ、そろそろ秋宮カンパニーを去る気はないか?」
「いきなりすぎるでしょ。……まぁ、頃合いかもしれないとは思っていたけど。……兄さん、何か知ってるの?」
「知っているが教えられないし教えるつもりもない。だが、お前が秋宮を去りたいと願い、それを秋宮が邪魔するのなら……そうだな、とりあえずお前を安全な場所まで連れていく事は出来る」
「……私、仕事を途中で投げ出すのは嫌いなのよ。でもそうね……今のプロジェクトに目途が付いたら退職願いを出そうかしら」
「それがいい。実際、既にリュ――R博士は秋宮を去り、今はグランディアの別荘で過ごしている。俺は暫く地球に残るが、チセ、お前はそっちに行くと良い」
「R博士と二人きり……中々疲れそうね……」
「そう言うな、あれでチセの事を慕っているんだから」
「だからよ。まるで小さな妹みたいで気が気でないの。一応義姉なのに」
非日常的な状況で繰り広げられる、日常的な兄妹の会話。
だが――
「……最後に教えて欲しいのだけど。ユウキ君は今どうなっているの? 彼の活躍だけは私の耳に入って来る。あれは……彼の意思なの?」
「彼の意思だろうな。そしてその意思は誰かに誘導された物だ」
「……たぶんだけど、今彼に本当の意味で支えになってくれている人はいないのだと思う。イクシアさん……今、不在なんじゃない?」
「ノーコメントだ」
「……ねぇ、ユウキ君の事、助けてあげられない?」
「今回の件に俺は関わらないよ。家族の事しか俺は見ない」
「……お願いよ。もし今ユウキ君が苦しんでいるのなら……それは私の罪。こんな汚い大人の世界に彼を引き込んだのは私。貴方の妹である私の罪なの。だから……お願いよ、兄さん」
チセの懇願。現状をとりまく状況から、正しくユウキの状況を予測出来たチセは、罪悪感、自責の念に囚われ、泣きそうな表情を浮かべ兄、ヨシキに頼み込む。
「……お願い。直接動けないのは分かってるし、下手に兄さんが動いたらどうなってしまうのかも分かってる……でもね、少し、本当の少しでいい。気休めでも良いの……一瞬だけ、少しだけ、彼の負担を軽減……ううん、少し忘れさせるだけでいいの……」
「……まぁ、それでも俺には出来ないだろうな」
だがその懇願も、ヨシキは切り捨てる。
「チセ。退職願いじゃなくて、辞表だ。お前程の立場ならそっちの方がふさわしい」
「どうしてよ……ちょっとだけでも、何か手伝ってあげる事も出来ないの……?」
「……俺が係わると、間違いなく今の『秋宮』が俺に辿り着く。辿り着いたのなら、俺は完膚無きまでに秋宮を、その影響を受けた物全てをこの世から消す。それはつまり『世界を滅ぼす』って事だ。だから直接俺がササハラユウキに接触する事は出来ないよ。…………まぁやれる事はやるさ」
そう最後の言い残し、ヨシキは立ち去っていく。
そして彼はそのまま、黒いフルフェイスのヘルメットをかぶり、建物内に併設されている撮影スタジオに向かうのだった。
『やぁ! 良い子のみんな! 大人しくキッズチャンネルにGOだ! お料理を頑張る視聴者の皆さん、今日は久しぶりにお兄さんが司会進行を全部務めるBBクッキングを始めるぞ!』
ところかわって、コウネ宅。
週末を楽しく過ごし、明日からまた学園生活に戻る自分にエネルギーを供給しようと、好きな料理に勤しんでいると、久しぶりに自分が大好きな『ぶぅチューブ』チャンネルの動画が更新され、嬉しそうにそれをキッチンで見始める。
「久しぶりの更新ですね! 今日はRお姉さんもマザーもいないんですか……夏休みでしょうかねー」
『今日はちょっと知り合いからリクエストがあってね、特定の食材をふんだんに使った家庭料理を紹介したいと思います』
すると、画面に映される食材達。そこには『ピーマン』『鶏肉』がうつされており、それは両方ともユウキの好物である食材でもあった。
『題して“最近元気がない男の子を元気づけるレシピ!”ピンポイントすぎるけどあれだぞ、夏バテ防止にピーマンのような緑黄色野菜をしっかり摂るのが大切だ。じゃあ今日のレシピは――』
それは、本当に間接的で些細な事。
きっと、自分の動画をユウキは見ないし、イクシアも見られない。
だがそれでも――彼の周りに、このレシピを見て、作ってあげる友人がいる事を願い、苦し紛れに講じたBB……ヨシキの不器用な優しさ。
尤も、既に自分の熱烈なファンがユウキの傍にいる事を彼は知っていたわけなのだが――
月曜日。結局土曜は総理の会食を近くの席で見守るという任務に費やし、さらに日曜日はオーストラリアの外交官の護衛として一緒に日本の中枢である永田町まで行ったりと、結局働きづめだった俺は、セリアさんに謝罪の意味も込めて、せめて今日の昼食くらい奢らないとなぁ……と思いつつ登校する。
「今日もあっついな……この学園のプールが屋内でよかったよ本当」
今日は講義少ないし、久々にプールで泳ごうかな。身体が少し疲れているけど、プールなら負担も少ないし、結構リフレッシュ出来るし。
「ふぅ……リフレッシュね」
なんだか本当に自分が疲れてきているのだと、初めて自覚した。
そりゃこんな調子が続いていたならクラスメイトにも心配されるわな。
そう思い、購買に今日の朝食を買いに行くと――
「……嘘だろ、アンパンすら全部買われてるだと……」
「ああ。不人気だし仕入れるのやめるってよ」
「お、アラリエル。おはよう」
「おう。……パンなら多めに確保してる。分けてやるからちょっと面貸せよ」
おいおい、そんな昔の不良みたいな言い回し、地球じゃもうしないぞ……。
俺はアラリエルに連れられ、Sクラス生徒の為のレストルーム、いわゆる談話室に連れていかれる。
おお……俺ここ初めて来た。ここ一応SSの生徒も使用可能だけど、完全にアウェーだから来た事なかったんだよ。
まぁ二年になってからだいぶその状況も改善されている訳だけど。
レストルームは学年別になっており、俺達は二年の部屋に向かう。
するとそこには、見知った顔、つまりリィク君、通称リっくんがいた。
……露骨にSクラスに喧嘩売られる事はなくなったというか、そういう問題児は進級出来なかったので険悪な空気ではないのだが、やはりSSは特別な存在なのだろう。部屋にいたSクラスの生徒が散っていく。
「ここは居心地も良くて空調も効いてる。それにほら、誰もいねぇだろ?」
そう言いながらニヤリと笑うアラリエル。
「明らかにお前を避けた感じだっただろうが。いや、俺もか」
「だな。最近ここでSの連中と揉めたりしてたらこうなった」
「マジでか。あんま迂闊な事するなよなー」
「へいへい。ほら、これやる」
するとアラリエルが『秋宮禁忌サンド』という製品をくれた。
なんだこの名前……ていうか普通にハムたっぷりのサンドイッチじゃんこれ。
「で、どうしたんアラリエル。俺を誘うなんて珍しいじゃん」
「あん? ……まぁなんだ、色々おめぇの事心配してる連中がそれに乗じて俺にも関わろうとしてきて面倒でな。だから少し話しておこうと思ってよ」
ああ、そういうことか。……アラリエルも?
そういえば最近ちょくちょくトラブルがあったと聞いたような。
「結構、機嫌がわりぃ事が多い。んでその理由がたぶんお前とは違う。が、状況が似てるっちゃ似てる。だから話しておきてぇ」
「ん、分かった」
「お前、イクシアさん、母さんが遠くに行ってへこんでるって?」
「あー……それもあるね、うん」
「まぁそれだけじゃないんだろうがな。だが少なくともお前が今陥ってる状況は面倒臭い物なんだって事は想像に難くねぇ」
「さすが察しいいな」
「で、だ。俺の話だ。実を言うと俺も母親と二人暮らしなんだ。まぁ援助してくれる家はあるんだが」
「ああ、例のコウダだっけ」
「ああ。で……俺の母親も故郷に戻った。ノースレシアだ。しかも俺は戻れねぇときた」
「は? なんでまた」
「……権力争いだ。今の魔王が近々引退、それで次期魔王として俺の名前を上げた馬鹿がいる。そしてその馬鹿はコウダの息がかかった人間だ」
「……そりゃ面倒だな」
「しかも最近、コウダの爺が俺に接触を図ってきやがる。大方、俺をかつぎあげようとしてるんだろうよ」
「で、その騒動を収めつつ、アラリエルは魔王、権力に興味がない事を、ほかならぬお母さんが直接伝えに行ったと」
「ああ。下手に俺が行くとそれだけで『魔王になる為にこっちに戻って来ました』なんて受け取られるかもしれねぇ」
「で……アラリエルはてっきりコウダは自分の美しい、未亡人でもある母親狙いに近づいて来たエロジジイだと思っていたのに、本当の狙いは自分だった事で更に腹を立て、その尻ぬぐいに敬愛する母親が遠くに行ってしまい最近荒れていた、と」
「な……! お前、時々すげぇ妄想すんな? 超能力者か?」
実は君とお母さんが……入学式の日、お寿司屋さんで会話をしていたのをちょっと聞いてしまったので。そこから予想してみた。
「当たらずとも遠からず、だろ? ……自分に大きな利用価値があって、それを活用しようとする人間に囲まれるのは、結構しんどいよな」
「そういうこった。そういう意味じゃお前と似てるだろ? けどよ」
するとアラリエルが、珍しく真剣な様子でこちらを見つめる。
「お前はそんな状況下で結果を出してる。そいつは誇れる事だろ。なのにお前、俺以上にへこんでやがる。まぁ荒れてないだけマシだけどよ」
「そんなにへこんでみるか?」
「見える。面がもう別人だ。覇気がねぇ。……仮にも、お前は俺と似た状況でも結果を出してんだ。ある意味尊敬すらしてんだぜ? だから、あんまみっともねぇ面浮かべてんな」
……なんだ。結局俺を励ますつもりだったのか。
器用なんだか不器用なんだか。
「……だな。現状、受け入れて先に進むしかないんだよな」
「そういうこった。だから割り切って進め。俺も、お前も」
「まさか俺がお前に諫められたり慰められたりする日が来るなんてなぁ……学園エンジョイ勢の優等生がまさかなぁ? ……ありがとな」
「ケケケ、教師連中に言わせたらきっと俺よかお前の方が問題児だろうよ」
すると、アラリエルがいつもの『良い事思いついた』という風な悪ガキじみた笑みを浮かべる。
「そういう時はやっぱ女だ。今はあれだ、つまり一人暮らしで自由の身だ。夜遊びを咎める人間もいねぇって事だろ。……行くか? 例の店。最近グランディアから新しい子が入ったんだぜ?」
「おいやめろ! そういうのはさすがに今はやめろ!」
……もし、本当にイクシアさんがただ仕事で遠くに行っているだけなら、多少ハメを外すのもやぶさかじゃあない。
でも……今、イクシアさんは生死の境、不安定な状態だと聞かされている。
そんな状況でそれはさすがに……無理だよ。
「へ、冗談だ。ツッコミにキレが戻って来たな、その調子だ」
「まったく……お前もほどほどにしとけよー。今月ももうすぐ実務研修なんだから」
「そうだったな。今年はなんか文化祭も含めて色々大規模にやるらしいからな」
「去年と微妙にスケジュール違うから混乱するよ。文化祭、来月だっけ」
「ああ。まぁ近々発表されるだろうよ」
そうして、俺は珍しい人間に元気づけられ、少しだけ……本当に少しだけ、ネガティブになりがちだった今の自分に活を入れる事が出来たのであった。