第百二十話
「ユウキ先輩だ……!」
「強いとは聞いていたけど……」
「私はまだ苦手だけど……悪い人じゃあないんだよね」
やっぱりだ。
新学期、昇降口に辿り着くまでの間だけで、既に何人もの生徒がこちらを見ながらひそひそと話しているのを嫌でも感じてしまう。
そうだよな、ただでさえネットの記事にされていたのに、TVでも名前が出る様になったのだ。
だが……去年の橋での一件とは違い、こちらに接触しようとする人間は現れなかった。
そりゃそうだ。俺はもう完全に秋宮の人間であり、既に活躍している戦士として扱われている。
そこに下手に接触して活動に支障を来たすような事があれば……間違いなく秋宮に、世界に潰される。
不干渉の方がこちらとしてはありがたいのだけどね。
「ふー……学園にエアコンがあってよかった」
日本の、特に海上都市の夏は特別暑く感じる。周囲を海にかこまれているのだし、それも仕方ない事なのだが。
教室の席で机に伏せながら、ぼんやりと過ごす。
窓の外や遠くから生徒達の声が楽し気に聞こえてくる。
それがなんだか、距離以上に遠くの出来事のように感じながら、目を閉じる。
ああ……そうだ。朝食食べてなかった。昼食もどうしようか。
……もう、俺にお弁当を持たせてくれる人もいない。いや、正直栄養さえとれればご飯を食べるのも億劫だ。
学園生活……実務研修以外、俺はもう出なくてもいいのではないか? そんな去年のカイのような事すら考えてしまう程、俺は学園での生活に意義を見出せなくなってしまっている。
学びたいと俺は願った。そしてたぶん、通常よりも多くの事をこの学園で学び、そして……世界の闇を知ったのだと思う。
正直、ゲーム感覚でいた俺では耐えられないような体験だってしてきたけれど、それもイクシアさんが俺の私生活を、根っこの部分を支えてくれていたからだ。
「ユウキ! お前最近凄いな!? おい、寝てるのか!?」
「ん? ああ、カイ。おはよう、久しぶり」
「ああ、久しぶりだな! それより凄いじゃないか、もう完全に秋宮のエージェントとして活躍してるみたいじゃないか! 俺はバトラー志望だが、やっぱり少し憧れるぞ!」
「ん、そっか。でも実戦よりバトラーの方が絶対楽しいぞ、それだけは保障する」
「そうなのか? まぁ……確かに俺も実戦に拘っちゃいたけど、確かに楽しい、とは違うのは分かる。ユウキ、後でまた話聞かせてくれよ」
いつのまにか、カイが教室に来ていた。真っ直ぐな、クラスメイト。
少しだけ、本当に少しだけ、俺もあいつに憧れるし、そうありたいと思う事がある。
「まったく……疲れていたのだろう? すまなかったな、ササハラ君」
「大丈夫だよ、一之瀬さん」
「……少し、表情が優れないな。すまない、まだジェン教官が来るまで時間がある、休んでいてくれ」
「え、そう? ありがと、一之瀬さん。でも大丈夫、これさえ飲めば元気になるから」
備蓄されていた、イクシア印の魔剤。それを飲みほしながら、こみ上げてくる様々な思いも、疲れも、全て洗い流す。
……これも、イクシアさんが俺の為に定期的に作ってくれた物、なんだよな。
他の生徒も全員教室に揃う頃、ジェン先生が新学期の挨拶を述べ、そうして俺の新学期は始まった。
二学期が始まってから、もう何日経ったのだろうか。
あまり意識していないからか、日にちの感覚が狂って来ている。
身が入らない訳じゃない。でも、何故かうまくいかない。
新学期が始まってから、講師に注意される回数が増えた気がする。
身が入っていないだとか、しっかり疲れを取るように、だとか。
実技の方も、カイに負ける事も増えたし、いまいち動きに違和感を覚える。
リミッターがないから、しっかりと気を使って動いているのだが、それをすると……本番でもにぶってしまいそうで、怖い。
そういう無意識の積み重ねが、俺の調子を狂わせているのだろうか。
ある日の昼食。俺は、購買で売れ残っているアンパンを購入し、人気のない場所を求めて校内をうろついていた。
「おや、珍しいですねササユウ先輩。こんなところにいるなんて」
「ホソハさん。何気に君、毎回こっちの呼び方違うね? その呼ばれ方初めてなんだけど」
「そうですね、いろんな人がいろんな呼び方をしているので、オンリーワンを模索中です」
「なるほど。ここは……人気が少ないから選んだんだけど」
今日は第二校舎の屋上に来ていた。
第三校舎は、視聴覚室を始めとした講義にも利用される教室も多く設置されているので足を運ぶ回数も多いのだが、第二校舎の上層階にはあまり足を踏み入れてこなかった。
今日はその屋上にあった中庭……? 屋上庭園? あまり俺が来る事のない場所に来ていた。
「こんなに綺麗な場所なのに、女子はあまり来たがらないんですよ。虫がいるかもしれないと」
「まぁ、それに加えて夏だからね」
「ふふ、確かに噴水の傍でもかなり暑いです」
ホソハさんは、何も変わらず俺に接する。
物静かだし、落ち着いた雰囲気で、苦にならない。
「そういえば……ナシアは元気? 新学期になってからまだ顔を会わせていないんだけど」
「あら……聞いていませんでしたか? ナシアちゃんは休学中なんです。なんでも、家の仕事のお手伝いとかで」
「ああ……そっか、なるほど」
そうか、世界樹の苗関連か。
あの依頼の後、そのまま彼女はオーストラリアに向かったのだろう。
そして今も植樹の為に活動中、と。
「……ササちゃん先輩、元気ありませんね? 夏バテですか?」
「ん、そう? そんな事ないよ」
「いえ、あります。大分……疲れていますね。やはり任務は辛いですか?」
「知ってたんだ」
「それはそうですよ。最近、テレビで聞かない日はありませんから。なんでも、強制労働させられていた人間を救い出したとか。それに組織の……壊滅も」
「……求められたからね」
「……その役目は、強制なのですか?」
「それは違う。俺が望んでやってる事だよ」
「……そうですか」
それっきり、ホソハさんは黙々と食事を摂り、俺もそれに倣う。
「ごちそうさまでした。ササユウ先輩、では私はこれで失礼します。……何か、呪縛のような物に囚われているようにお見受けしましたが、どうやらそれは私ではどうにも出来ない物のようです。くれぐれも……お気を付け下さい」
「ははは……呪縛ね。うん、ありがとうホソハさん」
そうだな、俺は囚われ続けている。でも……これを振りほどく訳にはいかないんだ。
二学期が始まり、徐々に生徒達の夏季休暇ボケが抜け始めてきた頃。
ようやく夏の日差しも弱まりつつあるその日、ユウキのクラスメイトの女子達が、珍しく女子寮に集まっていた。
一人暮らしをしているキョウコにとっては初めての女子寮であり、コウネも一人暮らしを始めてからは久しぶりの女子寮となる。
セリアの部屋に集まったクラスメイトの女子達は、最近のユウキの様子について相談していた。
「確かに、夏季休暇が明けてからのササハラ君は調子が悪そうでしたわね。しかしそれは、昨今の彼の働きからすれば……当然の結果なのかもしれません」
「そう、だよね。色々疲れちゃったのかなぁユウキ」
「そうですね……ただ、彼はああ見えて中々にタフなところがあると思っていました。任務疲れだけではないような気もします」
「……確かに、彼はその……任務で心を病むほどの素人ではないと私も思う。他に何かあったのかもしれない」
「確かにそうですわね。ただ……そういえば最近、ササハラ君だけではなく、アラリエル君も校内で荒れている、という話を耳にしましたわ」
「私もカイから聞いている。どうやらSクラスの人間とあわや喧嘩になるところだったらしい。彼も、夏休み明けからよく学園の講義をサボっているという話を耳にしたが……」
「ユウキ同様、なにかあったのかな? なんにしても……ユウキの事ならイクシアさんに聞くのが一番だよね。私今週は午後の講義ないし、ちょっとイクシアさんに会いにいってみるよ」
「そうですね。私も来週には時間が取れますし。たまにはイクシアさんとお料理でもしたいなーと思っていました」
「そうか、ではユウキ君の事は二人に任せよう。私は……そうだな、校内でアラリエルがおかしな真似をしないか、一応目を光らせておこう」
「まぁ、彼が荒れるのはよくある事ですけれどね。一応、私も注意しておきますわね」
そうして、セリアはこの集まりの翌日も、またその翌日もユウキ宅へと赴く事になる。
だが……当然、家には誰もおらず、イクシアには会えずじまいなのであった。
正直、食べるなんてただの栄養補給くらいにしか最近じゃ思っていなかったし、事実任務中はなんていうかカロリーメ〇ト? みたいなブロック状の物しか食べてこなかった。
が、学生生活という日常に戻された俺は、次第に『美味しい物を食べたい』という、人間として正しい欲求を持つようになっていた。
「……久々にアンパン以外食ったけど美味いな……このクリームパン」
新学期が始まってから既に二週間が経過したある日、俺はついにアンパンに飽きてしまった。まぁ食堂に行ってもきっと煩わしいだろうから、今回も売れ残りのパンを食べている訳ですが。
というかなんでアンパンとクリームパンばっかり売れ残るん?
結構ロングセラー商品なんじゃないのこれ。
今日は一人で新たな落ち着ける場所として発見した、サークルの備品の洗浄、乾燥する為の施設で、空調を冷房に切り替えて涼みながらパンを食べていた。
普通に落ち着けるし、良い穴場見つけたかも。
「……こんな事してていいのかな」
無論、勝手に空調を切り替えた事ではなく、学園の生徒として過ごす今の状況についてだ。
もっと任務はないのか。もう秋宮の研究に口を出さないような、そんな功績と信頼を同時に得られるような任務はないのだろうか。
そう考えていたその時だった。普段人がこないであろうこの場所、ましてやお昼時にこんなところへやって来る何者かの気配を感じた。
急ぎ物陰に隠れ様子を窺ってみると――
「ん-……やっぱりいない。さすがにこんなとこにはいないよねぇ……」
セリアさんだった。はて、誰か探しているのだろうか?
「誰か探してるの? セリアさん」
「うわぁ!!!! いたぁ!!!! ユウキ、びっくりしたんだけど本気で!」
「ごめんごめん、それで誰を探してるの?」
「誰って、ユウキだよ? 最近お昼ご飯の時になるとどっかに行っちゃうんだもん。聞きたい事があってさ」
「あー……いやほら、なんか色々コソコソ言われる空気が居心地悪くてさ。それでこうやって人のいないところを転々としてたんだ。それで、聞きたい事って?」
「あ、うん。なるほどね。聞きたい事はえーと……そう、最近イクシアさんがいつも留守でさ、どうしちゃったのかなって。前からたまに一緒に喫茶店とかにも行ってたんだよね」
あ……そっか。でも……本当の事なんて言えないよな。
入院だなんて言ったら、絶対あれこれ聞かれてしまうし、イクシアさんの秘密にも関わるかもしれない。
嘘をつこう。もう、慣れてしまった嘘をつこう。
「あー……イクシアさんね、実は前の職場で大きなトラブルがあったみたいなんだ。それで今戻っちゃってるから……暫くは地球に戻ってこられないんだ」
「え!? 前の職場っていうと……セミフィナル大陸だっけ!? めちゃめちゃ遠いじゃん! うわぁ……そうだったんだ……それでユウキ、最近寂しがってたって訳なんだ」
「へ? 寂しがってた?」
「うん。最近ずーっと元気なかったし。あ! それによく見たら菓子パン! それじゃあ元気なんていつまでも出ないよ? せめて食堂でご飯買ってからどこかで食べようよ」
元気になんて、慣れる訳がない。そう言いたかった。
でもそれは八つ当たりだ。そうだ……セリアさん、俺を心配してくれて……。
周りにそんな風に見られていたのか、俺。
「はは……確かに。俺もそろそろちゃんとした料理が食べたいかな。うん、今度からそうするって約束するよ」
「そう? ……そうだ。ユウキ、今週末暇? 気晴らし……っていう訳じゃないけど、たまには一緒に遊ぼうよ。東京観光はした事あるけど、実は海上都市の観光ってあんまりした事ないんだよね」
「え……うん、まぁ確かに……」
クラスメイトに気を使わせるなんて。
「そうだね、たまにはいいかも。どうせ週末一人で家にいるのも退屈だし、いいよ」
「本当? じゃあ決まりね! 私そろそろ地球の水着が欲しいんだー。まだ暑いし、そのうち海上都市の海水浴場にも行きたいよねー」
「なるほど、確かにまだまだ暑いからねぇ」
少しだけ、本当に少しだけ元気が出た。
断じて、クラスで一番豊満な身体を持つセリアさんの水着と聞いてテンションがあがった訳じゃありませんとも……。
「じゃ、土曜日にね!」
「うん、土曜日に」
そうして人気のない場所に一人残された俺は、久しぶりに学生らしい予定の為に、スケジュールを調整し始める。
だが……まるでそれを見計らうかのように――スマ端が鳴り響く。
もはや俺とのやりとりを内密にするつもりがないのか、通常回線で掛けられる通話。
その発信主は……リョウカさんだった。
「はい、ユウキです」
『ユウキ君、任務です。土曜日の早朝五時、第二訓練場にフル装備で待機しておいてください』
セリアさん。どうやら約束、守れそうにないみたいだ。