第百十六話
「へぇ、じゃああの島って誰も住んでないし誰も上陸出来ないんだ」
「そうなんです、あそこは神聖な場所として保護されていて、無断で立ち入れないように船着き場も普段は結界で近づけないようになっているんです。通常他に上陸出来る場所もありませんし」
翌朝、まだ完全に日が昇る前、朝焼けが海を照らす中、俺達は港から船で少し移動した先にある島、今回の儀式を行う『慰霊の島』へと向かう。
なんでも、神話時代にここで多くの聖者がその身を捧げ、大陸に巣くう邪悪を封じたとかなんとか。
まぁこれも眉唾だとナシア本人も認めていたけれど。
「で、儀式ってなんなんだ?」
「ええとですね、あの島は私が初代様の魂を降臨させやすい場所で、初代様の力をお借りして、島に安置されている『白霊樹』の苗を結界で保護、持ち運びが出来るようにするんです」
へー……降霊術みたいなものなのかな? 本当にあるのか、そういうの。
すると、説明を受けていたところにセリアさんもやってきた。
「ちなみに、その聖女降臨の儀式が最後の聖女選定の試験でもあるんだよ。初代様の魂を降臨させられた子が聖女になるって訳。私はまぁ、最後の試験まで残らないで、途中で別な国に転入する道を選んだんだけど」
「そうだったねー。でも、実際これは形骸化した試験だと思いますよ? だって花の一族以外が呼び出せた事なんて一度もありませんでしたから」
「本当、うち国って歴史は古いけれど、その分無駄に決まり事とか風習が多くて堅苦しいんだよねぇ……」
なるほど……そういうのは地球と同じですな。田舎って結構そういう決まり事とか多いんですよね。
ほどなくして島に到着すると、昨日こちらに対して苦言を呈してきた騎士の男性が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。我々王国の騎士団、ならびシュヴァインリッターより派遣された戦士は、それぞれ沿岸、無理をすれば上陸も可能であろう地点に重点的に配備しました。また、儀式が執り行われている最中、最も警戒すべきこの船着き場には私と、出来ればそちらの人員から一名か二名配置して貰いたいのですが」
「えーと……ジェン先生、どうしましょうか?」
「そちらの人員をこの場所に集中的に配置する事も出来たのでは?」
「いえ、それが少し前にこの周辺海域の水位が上がり、小舟を乗りつけられる場所が増えてしまいました。ですので、予定よりも多く人数を割く結果となってしまい」
「……なるほど。座礁の危険性が下がれば侵入も容易くなる……か」
元々、この島の周囲は切り立った崖に覆われ、さらに海には岩礁が多く船をのりつけるのが難しかったそうだ。
が、水位の上昇によりその岩礁を無視出来るようになってしまった……と。
「この辺りは元々海流が不安定ですし、川の流れの影響を受けやすい場所でしたもんね……ジェン先生、ここは要望通り二名程人を派遣しましょう」
「……了解しました。ではここに残るのは私と――」
ジェン先生がそう提案した時、一瞬俺と視線が合う。そしてすぐさま、ちらりと先生が騎士の顔を見る。
この騎士を注視しろ? ……ああ、なるほど。先生がこの場所に残ると聞いて、露骨に表情が明るくなった。
「私と……キョウコ、頼めるか?」
「私ですか?」
「ああ。出来ればキョウコは船に隠れて待機していてくれ。お前の能力を発揮するにはそれが一番だろう」
「なるほど、そういうことでしたら」
船の繊細な操縦も可能なキョウコさんを残す、か。
先生も既にもしもの事を考えて動いているな。
そして俺を見たのは恐らく……『怪しいのはコイツだから注意しろ』という意味だろう。
「ユウキ、ナーシサス様の直近の守りはお前が担当するんだったな。必ず、儀式を無事に終わらせてくれ」
「分かりました。じゃあ、行こうかナシア」
「はい! このまま道なりに進むと、大きな樹に侵食された遺跡があるんです。その場所に苗木がありますので、そこに向かいましょう」
普段人が訪れない無人島。地球ですら自然にあふれているであろう条件だが、グランディアもその例に漏れず、見た事の無いような植物、木々が鬱蒼と生い茂っていた。
まぁ勿論、最低限人が歩けるような道は出来ているんだが。
「祭壇と港を繋ぐ道に二人配置する予定らしいけど、ナシア、誰を配置するんだ?」
「そうですね、カナメ先輩と……あらりぇーる先輩でお願いします」
「了解だ。んじゃまぁ俺はどっか木の上にでも隠れとく」
「じゃあ僕はこの道で普通に待ち構えておこうかな」
まず、仮に港から侵入して来るなら、この中で躊躇なく人を殺せる二人を配置する、というセシリアの考えだろうか?
「森の中にも二人配置。沿岸近くだと警備の人間と行き合ったりするかもしれないので、身軽なセリアちゃんにお願いしようかな」
「なるほど……セリアさん、毎日走り込みしてるしね」
「元々森とか山で育ったからねー」
そしてセリアさんを森の中で遊撃させる。
近接、魔法の両方を使える彼女の方が良いね、あの大斧なら木ごと薙ぎ払っちゃいそうだし。
「じゃあ、俺とカイと一之瀬さん、コウネさんはもう少し先に行こうか」
「いえ、コウネ先輩はこの辺りで潜んで、もしもの時の司令塔として立ち回って欲しいです。コウネ先輩、操兵術もお家で習っていますよね?」
「そうですねー、一応そういった基本的な事は収めています」
「確かにコウネさん、割と第二の司令塔として動いてるもんね」
「では、お願いしますねコウネ先輩」
これもセシリアが事前に考えたオーダーなのだろうか。
今のところ、こちらの特性を生かす采配だし、特に問題は感じられない。
「了解しました。もしもの時はカナメ君、アラリエル君も、苦戦しそうなら一度この辺りまで下がってくださいね。セリアさんが森から援護に来てくれるでしょうから」
「おっけー、その方向でいこうかな」
たぶん、これが現状最も安定した布陣だと言える。
けれども……絶対というのは存在しないからな。
「じゃあ、もう少し先に進みますね。もう少しで遺跡が見えてきますから」
「了解した。カイ、周囲への警戒を怠るな。ササハラ君は出来るだけナシア君の近くへ。私は少し後ろを進む」
「あいよ! ミコト、気を付けてな」
緊張してるな、俺。今日は秋宮のバックアップがない上に、先生も遠くにいる。
そしてここは知らない土地。別段、似たような状況は経験済みなのに、今の自分は『学生』だという事実が、緊張に拍車をかけていた。
もう少し先へ進むと、ナシアの言う遺跡が見えてきた。
木々にほぼ覆いつくされており、どことなく、寂しいという感情を呼び覚ます雰囲気だ。
「では、遺跡の入り口に二名、ミコト先輩とヤナセ先輩が待機してください」
「了解した。ユウキ、ナシアの事を任せたからな」
「この場所は死守する。どうか安心してくれ」
「分かった。でも二人共、くれぐれも無茶はしないように」
「そうです! 私だってもしもの時は戦いますから! こう見えても新入生代表に選ばれた優秀な生徒なんですからね、私」
「はは、そうだったな。私と同じだったなナシア君は」
うーん、イマイチナシアが戦う姿を想像出来ないんですが。
そのまま廃墟に入る。
内部まで植物に侵食されきっているが、かろうじて建物の原型を留めており、通路に沿って奥へと進んでいく。
こうしてみると……なんだか近代的な建物のように見えてくる。構造が。
「祭壇、苗の安置場所はここの地下です」
「この階段か。大丈夫かこれ、崩れたりしないか?」
「ふふ、大丈夫ですってば」
地下、まるで洞窟のような通路の先に、扉があった。
装飾が剥がれ、レリーフが欠けぼろぼろになった大きな扉。
ナシアがそこを開くと、不思議な光景がそこに広がっていた。
「え……ここ地下のはずじゃ」
「ここ、天井を抜けて外まで繋がっているんです。常に大樹の木漏れ日が降り注ぎ、苗を見守っているんですよ」
天然のスポットライト。地下だというのに、空から葉の色を帯びた薄緑の日の光が降り注ぐその場所に、高さ四〇センチ程の苗が安置……いや、植えられていた。
「では、これより苗を結界で覆う為に、初代様の魂を降臨させます。ユウキ先輩、少し離れていてくださいね」
一歩下がり、そしてデバイスを念のため構え、周囲を警戒する。
侵入可能な経路は……地上へ続くこの通路か、もしくは……祭壇の真上。
木漏れ日と共に侵入者が降って来る姿を幻視し、つい身を固くしてしまう。
「……きっと、これは正しい。正しく世界が道を違うその第一歩……ですね」
「ナシア?」
すると、儀式中のナシアからそんな呟きが漏れる。
……いや、ナシアじゃない。
「君は……君が、初代聖女様?」
「ええ、そうなります。結界の分離、苗の保護でしたね。少しお待ちください」
そこには、俺が度々目にしていた、短い金髪の女の子がいた。
服はナシアと同じ。でも、確かに別人に見える。
……顔そのものは似ているのか……?
「終わりましたよ」
「え、はや……」
「ふふ、まぁ私の手にかかれば、ですね。後はこの苗を外に運び出すのですね?」
「あ、そうです。襲撃はどうやら……なかったみたいですね」
「そのようです。あの、もう少しこの子の身体をお借りしたいと思います。少し、寄りたい場所があるので、お付き合い頂けますか?」
「え? あ、はい」
そう言うと、ナシア改め聖女様が、薄い光に覆われた苗を自分の傍に浮かべながら、先導するように地上に向かって行った。
「……ユウキ君、とお呼びしても?」
「は、はい聖女様」
やばい。ナシアと同じ顔なのにオーラが凄い。迸る神聖なオーラが凄すぎて緊張してしまう。
「外の皆さんは信頼出来る方ですか?」
「はい、信頼しています」
「分かりました。では、合流しましょう」
廃墟から出ると、周囲を警戒していた一之瀬さんとカイがすぐさま駆けつけてきた。
「終わったのかユウキ!」
「あ、ああ。ただ……その、今のナシアは初代聖女様に魂が乗り移ってるから、色々と慎重にな?」
「え? お、おう」
「初代聖女……神話の存在が今この場に……」
「いえいえ、どうぞお構いなく。すみません、この先の小路の先、少々お墓参りに向かいたいのです。護衛をお願いしますね」
「畏まりました」
心なしか、一之瀬さんの顔が上気しているような。やっぱりこういう偉い人に仕えるっていうシチュエーションに憧れていたんだろうな。
道を引き返し、途中の獣道へ向かう。
こちらはもう本当に人がぎりぎり踏み入れるかどうかという有り様だが、先を行く聖女様が、なにやら見たことのない魔法で草木をどんどん刈り取りながら進んでいく。
そして――小さな広場に出る。
何故か、その場所だけ草木が茂るでもなく、一定の長さで綺麗に刈り取られ、まるで最高の状態を維持しているかのような有り様だ。
緑の絨毯。そしてそこにそびえる石造りの大きなオブジェ。慰霊碑……だろうか?
すぐ先は崖だというのに、不自然なくらい緑豊かなその広場で、聖女様はおもむろに石碑に向かい祈り始める。
「…………長い時を経て、この場所は聖地と呼ぶに相応しい地になりました。今を生きる人々の祈り、信仰、その結晶です。ですから……この地での争いは避けなければならないのです」
「……はい。ですが……」
「ええ、分かっています。私はこの場所で、結界を張ります。この石碑に何人たりとも近づけないように。ですから、皆さんは皆さんの本懐を果たしてください。森に散っているお仲間と合流し、港へ向かうのです」
それは、戦いは必ず起こるという、ある種の予言。
彼女を一人この場所に残して大丈夫なのか? とも思ったけれど……なんだか、この人なら賊に襲われるような事はない、ありえないと思わせる、そんな何かを感じた。
イクシアさんと似たオーラ。何人も侵す事が出来ない、絶対の力。
そんな聖女様が、俺達に『ご武運を』とだけ最後に告げた。
「行こう、二人とも。みんなと合流して……港へ」
港へ向かう最中、カイが口を開く。
「あれが聖女様……なんかナシアと全然違うな!?」
「確かに、傍にいるだけでまるでどこか神聖な場にいるような、身が引き締まる思いだった。あれが……神話に語り継がれる伝説の聖女……その護衛を勤める事が出来るなど、まさに一之瀬流の冥利に尽きるという物だ」
「そうだね、ちょっと俺もあまりに畏れ多くていつもみたいに茶化せなかったよ」
「おま……! 畏れ知らずすぎるだろ……」
いやぁ……だってあの聖女様、前に俺の家で美味しそうに桜餅食べながらお茶すすってたから……なんかこうお婆ちゃんみたいで親しみが湧くと言うか。
けど……おかしいな? 聖女の魂ってこの島にあるんじゃないのか?
だったらどうして道中で出てきたり、ましてや地球の俺の家で出てきたんだろう?
もしかして……一度呼び出したらずっとナシアの中にいるのか?
だが、そんな疑問を頭の隅に追いやり、俺は持ち場にコウネさんが居ない事を確認すると、そのまま、嫌な予感と共に港へと向かうのだった。