第百十一話
ユウキ達がセリュミエルアーチ王都へ向かっていたその頃、地球でも大きな事件が、人知れず動き出そうとしていた。
理事長室にて、リョウカは……自分と『同じ顔』をした一人の女性と対面していた。
「お久しぶりです『お姉さま』。いいえ……『私』」
「……お久しぶりです『私』。グランディア滞在はどうでしたか?」
「とても、有意義な物でしたね。そして同時にあの世界の『危うさ』も垣間見えました。やはり、長い停滞は人の意思を『退化』させていく。そうは思いませんか?」
「……二千と百四十年。あの世界が大きな変化を迎える事無く過ごして来た年数です。それは変化の必要がなかったから。ですが……地球との交わりにより、彼等はようやく大きな転換期を迎えた。魔法的には未熟な地球と、文化的には未熟なグランディア。共に手を取り合うには十分過ぎる条件だとは思いませんか?」
不思議な光景だった。片方は仮面で自分の顔を隠し、片方は隠す事なく対面する。
だがそれはどう見ても同じ顔であり、髪型や趣向、声色までもがまったく同じと言って差し支えの無い物。
「残念ながら、成長の速度が違います。今やグランディアの発展速度は地球の比ではない。豊富な資源と資産と魔力により、地球の技術を取り入れ、加速度的に私達地球を引き離しにかかる。その先に待つのは……一方的な支配。力を手に入れた子供は、その使い方を弁えないのと同じように」
「……だからこそ、つり合いを取る為に『地球に世界樹を植林する』そういう話だったのではないですか? 魔力を自分達も生み出せるようになる事で、そんな争いの未来を回避する、と」
「それでは時間がかかりすぎるんです。世界樹を手に入れ根付かせる事が出来次第……私達地球は一度『グランディアの魔力』を手放し、グランディアとの関係を完全に断つべきです。それがたとえ――『ゲートを破壊する』という手段だとしても。そうすればいずれ、地球でも独自の世界樹が育ち、いつの日かまた魔力と共に生きていける。互いに干渉する事なく生きていける。これが本来あるべき姿ではないですか? 元々、あちら側の過失で異界という物が生まれ、さらにこの世界にやって来た。いわば侵略者とも呼べる存在でしょう? 関わらずに生きる方法があるのなら、そうすべき。 ねぇ? お姉さま」
秋宮リョウカの妹。『リョウコ』を名乗る女性は、剣呑な目つきでリョウカを睨みつける。
「貴女は、私の代わりに当主の座に収まった。外ならぬ……侵略者である貴女が」
「っ! ……ええ、そうです。誰かが……誰かが地球側の指揮を執る必要があった。そしてそれが出来るのは……地球人であり、同時にグランディアの人間でもある私しかいない」
「……異なる世界線の地球から、グランディアに転移した私。初めは信じられませんでしたけれどね。ですが……私もあちらの世界で学び、そして……貴女とは違う答えに辿り着いた。常に、私の前を歩いていた貴女と、ついに私は道を違う事になる。年甲斐もなく、心が踊りましたよ」
「どうあっても、地球とグランディアを分断するつもりですか?」
「その為に様々な手を尽くしてきましたから。不信の種は既に芽吹きました。後はそう……地球とグランディアのバランスに過度な干渉をしている貴女を取り除けばすべてが終わる。既に、内閣から正式に秋宮財閥への制裁が下され、もはや機能を失いつつある。世間にそれが広まれば、もはや秋宮は今の地位に返り咲く事は出来ない。秋宮への制裁の解除条件はただ一つ。『当主秋宮リョウカを更迭する事』もう、既にカードは配られ、役も決まりショウダウンを待つだけのところまで来ているんです。……フォールドをお願いします。これは仮にも『貴女の妹』として生きてきた私の情けです」
それは、秋宮を潰されたくなければ当主の座を明け渡せと言う脅し。
リョウカにとって秋宮を失うと言う事は、地球での抑止力を失うのと同義。
たとえ自分がいなくなったとしても、秋宮という存在が残れば、たとえ当主が変わってもある程度は抑止力として機能してくれる……という目論見もある。
そして、抑止力として機能さえしていれば、再び自分が返り咲く事も不可能ではないと考えていたリョウカにとっては……その脅しは何よりも効果的な物であった。
「秋宮が消えれば、貴女も地球を主導し、グランディアとの断交へと向かう道筋を失うのではないですか?」
「いいえ、残念ですが『秋宮に匹敵する力を持つ家』や『地球の主導を掴みたいと願う国』とも既に話は付いていますから」
「……思えば、一昨年の夏、ノルン様の誘拐未遂に際し、貴女も一緒に行動していた段階で裏に貴女がいると見抜くべきでしたね」
「ふふ、そういう事です。随分良い手駒をお持ちのようでしたので、少しだけお借りしましたよ? 結果、あの程度の練度しかない人間でも『誘拐未遂は成功』しました。とても大きな目くらましになったでしょう?」
「……どうりで、あの橋の件の実行犯、爆弾を仕掛けた人間の背後関係を洗い出す事が出来ない筈です。貴女……グランディアの誰かと手を組みましたね?」
「ええ、とびきりの人と。貴女が『ジョーカー』と呼ぶ切り札を持つように、私も『ジョーカー』……と呼ぶには力不足かもしれませんが、確実に搦手で貴女を負かす事が出来る人間と同盟を結びましてね」
リョウカは、その考えの危うさを指摘する事なくため息をつく。
恐らくもう、何を言っても彼女を変える事は出来ないと、自分の事だからこそ分かってしまうのだ。
「フォールド、してくれますね?」
「……いいでしょう、総帥の座をお譲りします。ですが、私の身柄を貴女に差し出す訳にはいきません。これからは秋宮リョウカではなく、本来の私として、あるべき場所で活動する事にしますよ」
「それを、私が許すとお思いですか?」
「……ええ。貴女の唯一の失敗は『私個人の、純粋な武力を見誤った事』ですよ」
すると、立ち上がったリョウカの手に、一振りの弓が握られ、さらには既に矢がつがえられていた。
その矢は光を湛え、何か大きな技を放とうとしている事は明らかだった。
「そう来るだろうと思っていましたよ。私が……貴女を見くびる筈がない。幼い頃からずっと貴女を見てきた私が、他ならぬ貴女を!」
しかしその瞬間……リョウカの仮面が強く輝き、矢の光が収まっていく。
「な……! 仮面が外れない……!? まさかリミッター!?」
「……これで、貴女は私とそう変わらない。ごめんなさい。私は貴女にそれを贈った日から……ずっとこの日が来る事を予感していた。皆さん、入ってください」
それと同時に、理事長室にコンバットスーツを纏った人間が大量になだれ込み、そしてリョウカを拘束していく。
ただの成人女性程度の力では、それを振りほどく事など出来はしなかったのだった。
「……貴女は妹として生きると決めたあの日、私に顔を隠した方が良いと言いながら、私の好きなデザインの仮面を贈ってくれた。まさかこれがリミッターだったとは思いませんでしたよ。……そういえば、ニシダ主任が研究していたリミッター……あの基礎理論は貴女がグランディアから持ち帰った物でしたか」
「ええ。どうやら、こちらのリミッターもだいぶ研究が進んでいたようですね。お陰で遠隔でそのリミッターを強める事も出来ました。ふふ、貴女達の研究成果のお陰です。正直、貴女をこれで完全に封じられるかが賭けだったんです」
それは、ユウキの協力により進んだ研究の一つだった。
ユウキの強すぎる力を抑える為に進んだ研究。奇しくも、ユウキを取り込んだ事により、相手に大きな逆転の手札を与えてしまう形になってしまったのだった。
「それは、私でないともはや外れません。抵抗は無意味です、お姉さま」
「……つくづく、私は私が恐ろしいですね。それに……貴女なら分かっているでしょう? この場面で私が諦める訳がないと」
その瞬間、リョウカが再び席に座り、それが床に突然現れた穴に落下し、姿をくらます。
緊急避難用の通路など、当然リョウカは用意していたのだった。そしてもちろん……そんな手に出る事を、妹として生きてきた彼女も理解していた。
学園の外、裏山に逃れたリョウカを待ち構えるべく、既にリョウコは兵を配置していたのだ。
力を失い、成人女性の脚力しか持たないリョウカでは、追い付かれるのは必須。
そして……この時点で、ようやくリョウカは己の完全敗北を認めたのだった。
「手荒な真似は決してしません。大人しくご同行をお願いします」
「……ええ。やはり、巻くことは出来ませんでしたか」
諦め、リョウカは差し伸ばされた兵士の手を取ろうとする。
だがその刹那。唐突に兵士の動きがピタリと止まり、一言も発する事もせず、完全に沈黙してしまったのだった。
「一体何が……」
さすがに、まったく予想のしていなかった異常事態にリョウカの思考が止まる。
するとその時――
「ご無事ですか、リョウカさん」
「な……イクシアさん!? 何故……これは一体……」
「熊避けです。以前、お芋掘りを開催する再、万が一にも子供や保護者さんが熊の被害に遭わないように、山全体に行動操作の術式を刻み込んでおきました。もうだいぶ時間も立ちましたから、そこまでの効力は残っていませんが……」
そう。去年の芋ほりの時に、彼女は本気で野生動物が危害を加えてこないように、あろうことか山全体にある種の結界を張っていたのである。
「状況は理解していませんが、怪しい人間がリョウカさんを追いかけまわしていたのは分かります。……私は、どうすればいいですか?」
「……今すぐ家に戻り、ただ隠れ続け、ユウキ君が戻り次第日本を……地球を離れてください」
「……お断りします。リョウカさんの加護なくして、私に平穏はない。自身の異常さと価値は私が一番よく知っていますから。貴女は、今一人別離の道……いいえ、敗北への道を歩もうとしている。そんな事くらい、私でも分かりますよ」
「仮に、私を助け共に逃げおおせたとしたら、その後ユウキ君はどうなります?」
「それは……ですが、どちらを選んでもユウキは苦難を強いられる。でしたら……私は……私は……」
イクシアが、ここに来てようやく『本当に自分が迷い、悩むべき決断』を強いられている事に気が付く。
彼女は、自分が思っているよりも激情家であり、そして同時に忠誠心が高い。
だがそれらはひとくくりにすると『愛が強い』とも言える。
故に……彼女はその愛を貫くため、そして信じている息子の強さに全てを賭ける決断をする。
「たとえ……一時の別離を味わおうとも、その先に共に居られる未来があるのならば。私は、貴女と共に逃げましょう。ユウキは……きっと私を追いかけてくれる。どんな困難も打ち払い、私の元に辿り着く。だって、ユウキは私の事を……大好きですから」
「……良いのですね? それは決して簡単な道ではありません。それに……恐らく学園は私の意思とは無関係に動く。それは勿論、ユウキ君の意思をも奪ってしまう。それでもですか?」
「はい。たとえユウキが私と離れても、ユウキは絶対に私に辿り着く。愛し合う親子です、不可能なんてありません。親の思いは……奇跡を呼び起こし万難を排する。少なくとも私はそう、信じていますから」
まるで、自分がそうだったとでも言うように、イクシアはユウキも自分も救われると信じていた。
ユウキと一生会えなくなるなどという考えは、微塵も抱いていないその有り様に、リョウカはついに……イクシアの願いを聞き入れるのであった。
「行動を阻害する術はまだ持ちそうですか?」
「持って一時間弱でしょう。どうします、リョウカさんが逃げられる先で最も安全な場所はどこですか?」
「……残念ですが、地球上のどこにもそんな場所がありません。詳しい説明を省きますが、相手は『秋宮グループ』と、この国そのもの。いえ、もしかすれば他の国も敵に回っているかもしれません」
「では、どうすれば?」
「グランディアへ。ゲートを通る事が出来るのは、専用の飛行機だけ。現在運行中の便に紛れ込む事は不可能ですが……幸い、私は『自家用機』も持ち合わせていますので」
「……道順を」
「空港の傍までお願いします。道中、追手が掛かる事が予想されます。イクシアさん、貴女を犯罪者にする訳には行きません。どうか変装をお願いします」
そう言いながら、リョウカは懐から一つのチョーカーを取り出した。
それは、ユウキが変装用に使っている機能と同じ物が施された魔導具。万が一、自分が逃げ切れた場合を考えて持っていた、彼女のもう一つの切り札だった。
「分かりました。……せめて書置きを残そうと思ったのですが……」
「無意味でしょうね。きっと処分される。ヘタをすればユウキ君に危険が迫る可能性も出てきます」
「仕方ありません、ね。後程、詳しいお話しをお聞かせ下さい。そしてこの後起こりえる事、考えうる事象、全てお話しください」
そうして、リョウカとイクシアは、逃避への道を歩み出すのであった。
たとえ、一時の別離の道を選んだとしても。その先に再会の未来があるのならば。
ただ、子を溺愛する事だけが親の愛ではない。その事を、イクシアは誰よりも知っていたのであった――
(´・ω・`)子離れの時




