閑話
領空侵犯。不法侵入。大量殺人。施設破壊。誘拐。恐喝。
そして――
「ゆるして……しぬ……たすけ……」
「これくらいでは死なん。着いたぞ、お前達の愛する母国の象徴、白き玉座の間だ」
最も警備の厳しい場所へ、人質を伴い不法侵入。
ジョーカーは今、クレッセントを人質に米国大統領の元を訪れていた。
集結する警備の人間。向けられる数多の銃口。だがそれでも、クレッセントの鶴の一声により場が収まる。
「すぐに大統領に伝えなさい。……特S級の来客だと」
恐らく、クレッセントの肩書は、あくまで表向きの物なのだろう。
彼女のその言葉に全ての警備が下がり、まるで最高級のもてなしでもするかのように、恭しく中へと招かれるジョーカー。
そして……本来であれば多忙を極め、誇張表現なしに『分刻みのスケジュール』に追われているはずの大統領が、その最も座る価値のあるとされている椅子に座り、来るはずのなかった来客を迎える。
「私の事は説明する必要はないな?」
「……コードネームジョーカー。グランディアの調停者、そして……神の使いとも呼ばれていると聞きました。今回は一体どのような――」
そう大統領が口にした瞬間、おもむろにジョーカーが虚空に手を翳す。
そこに現れるのは、ダーインスレイヴから送信された『ゲートを研究していた証拠』の数々であった。
「さて、亡国最後の大統領の最後の言葉を聞きに来た訳だが」
「な! 違います、これは私とは、我が国とは――」
「『何故漏れた』『どこから』『魔物の処理は抜かりなかった』『急造した施設では魔力を抑えきれなかった』『州全体を封鎖区画にするべきだったか』『すぐに狙撃犯を配備しなければ』なるほど、良く回る頭だ」
それは、今まさに大統領の頭の中を目まぐるしく駆け巡る思考の奔流、その内容だった。
恐ろしい事に……考えすら読めてしまうのだ、この男は。
「……なぜ……なぜ……」
「物理的に地球から消すか、それとも国の解体を宣言して一切の武力を放棄するか。選べ」
「お待ちください! これは……これは我が国の資源不足を解決しようと――」
「魔力に頼らなければ問題ないだろう。お前達はあくまで魔力という資源に心奪われ、そしてグランディアという理想郷を自分達の手で搾取したかった。そしてそれを許されないほどまでに地位の下がった自国の現状を打破したかっただけだ。選べ、どうするのかを」
圧倒的すぎる武力は、常識も論理も全て無意味な物とする。
国家を相手に、言葉だけで屈服させる程の力と実績を、この男はすでに積んできているのだと、大統領は知っていたのだ。
だが――大統領たるもの、きれいごとだけで世界が回らない事を知っていた。
既に、手は打たれていたのだ。ホワイトハウスから遥かに離れたその場所に、地球上でもっとも強力な重火器による狙撃手を、今の僅かな会話の時間だけで手配してみせたのだった。
知られたところで、回避されなければ問題がない。
「……そうかそれが答え――」
瞬間。余波で大統領の部屋の窓と壁が崩落し、大統領もその余波で吹き飛ばされる程の口径を持つアンチマテリアルライフルによる射撃が、正確にジョーカーの顔面に炸裂していた。
「く……ははは……どうだ、これが力だ!」
「大統領……! 今回はまことに申し訳ありませんでした……まさか、ジョーカーが我が国にすら牙を――」
恐らく地球上どころか、グランディアや魔界に存在する魔物ですら一撃で沈めるであろう一撃。
建物を本来であれば一発で半壊させる程の銃撃が、何故窓と壁の破壊だけで済んでいるのか。
答えは簡単だ。人体を貫通破壊し、建物に到達するはずだった銃弾……と呼ぶには巨大すぎる弾丸が――
「劣化ウラン弾ではないのか。これは……なるほど、物理的重量ではなく魔力との親和性を優先した刻印セラミック砲弾か」
まるで、子供の投げたボールを受け取る父親のように、手のひらに弾丸を乗せているからであった。
「……さて、これが答えと受け取った。長年、お前達はある種、地球の抑止力としてよくリーダーシップを発揮してきてくれた。だがその歴史は今日終わる。ほう、諦めが良いな。お前の息子は今ハイスクールで試験中らしいぞ。娘は……ほう、来週末にバレエの発表会か。最後の言葉を伝えられなくて残念だったな。お前の家族の未来も、この国の未来も――」
声の質が、変わる。
雰囲気ではなく声色ではなく、まるで人間ではない何かから発せられるような、恐ろしい物に変わる。
「全部台無しだなぁ? じゃあ家族にさよならだ、神にでも祈ってみせ――」
そこまで口にしたところで、半壊した部屋に、間の伸びたスマート端末の着信音が響く。
「……今いいところだったんだが。失礼」
我関せず。まるで今までの出来事をなかったことにするかのように、ジョーカーは通話に応じる。
「……ああ。今替わる」
すると、今度は己の端末を、もはや顔面蒼白となった大統領へと差し出すジョーカー。
恐る恐るそれを受け取ると――
『……よかった。まだ……無事なようですね』
「君は誰だ……ジョーカーと連絡が取れるとは……」
『今回、貴国の不信な動きを察知した人間……と言えば分かりますよね』
「秋宮……! ミス秋宮ですか!」
『私も貴方達の国が消えるのは本意ではありません。ですが……残念ですが私では彼を止める事が出来ません。この通話は彼に聞かれていませんよね?』
「あ、ああ……」
『……全ての要求を呑んでください。私にはこれしか言えません。恐らく……誠意を見せることが出来れば矛を収めてくれます』
「しかし……! 私は既に……彼と敵対した……!」
『……靴に蟻が上って来たとして、貴方は蟻を敵と見なしますか?』
そのあまりにもスケールの違うたとえ話。
それだけでもう、大統領は反論の意思を奪われていたのであった。
『ジョーカーに戻してください』
「分かりました……」
再び、端末越しに二人が言葉を交わす。
『恐怖は、存分に与えられましたか? これ以上は……やめましょう、ジョーカー』
「……そうだな。だが、少なくとも現状の上層部は全て入れ替えだろう。暫く俺が監視しておく」
『……分かりました』
それだけ話すと、端末の通信を切り、再び向き直る。
「お前を含め、この件に関わった人間全てを更迭。また重度に関わった者は一律、こちらが後日用意する施設に軟禁。無論、お前もこの女もだ。罰が完了するまでの期限は一年。研究の引継ぎや情報の漏洩、逃亡は不可能だと思え。そうだな……親グランディアを掲げる政党があったな? あちらの陣営ならば今回のような愚かな行いはしないとまだ信じられる。それでこの国が明日も地球上に存在する事を許そう。いいか、一年だ。一年以内に今言った事を全て完了しろ」
「な……それを……飲めと……」
「飲むか、滅亡か。お前達はそういう過ちを犯したんだ」
それは交渉ですらない、ただの『国家相手の恐喝』。
反論も抵抗も、反撃も許さない『絶対の決定』。
もはや、国としての体裁を保つ事も難しい、一夜にして世界のパワーバランスが崩れてしまう、そんな事件。
残念ながら、滅亡こそ免れたものの、国としての威信も信用も、そして国家の『強さ』をも失ってしまうという結果に終わってしまった。
『大切な隣人同士』の筈が、片方の人間が隣家に泥棒行為をしていたとバレてしまった以上、関係が崩れ去るのは道理。だがそれを……罰と引き換えに、これからもそこにある事を許されたのは、果たして『温情』と呼んで良い物なのか、甚だ疑問ではあるのだが。
一部壊れてしまった白き家を後にしたジョーカーは、そのままレーダーで追跡する事も出来ない速度でアメリカを去る。
馬鹿げた速さで移動する力。思考を読む力。どんな兵器でも再現できない破壊力。どんな兵器でも破壊出来ない頑丈さ。それら全てを手にしてしまった男はただ、誰も追ってこられない無人島に一人降り立ち、自らの変装を解く。
「……まさか、アメリカ相手に喧嘩ふっかける日が来るなんてな。さてと……迎えが来るまで最低二週間はここで暮らさないとな」
その存在が世界を脅かすが故に、必要以上に用心する。
誰も通らない、絶海の孤島に存在する一軒家に帰宅した男はただ、一仕事終えたテンションでソファに座る。
「……こりゃ近々グランディア側でもひと騒動起きそうだな」
まるで予言のように。そうぽつりと呟き、恐らく世界で最も静かで孤独なティータイムとしゃれこむのであった。
「あ……コーヒー豆テイクアウトすりゃよかったな」