第七話
二日連続の二日酔いはとうに冷めているはずなのに、
夜になっても落花生のような雨の音が耳の奥まで響く。
暗がりの視界は音に敏感になるようで、
「女の子を泣かすなんて、神様のやることじゃないねぇ」
などという人間からの戯言もなかなか耳が痛い。
「うっせえ。話を最後まで聞かないはるひがいけないんだ」
今夜も神社から出張してきた、
小うるさい巫女さんの屋台へ訪れていた。
例によってはるひの信仰銀貨を二枚渡し、
今日の出来事を話しながらドロドロ芋焼酎を一杯。
「お兄さんが怖い顔してたから、逃げちゃったんじゃないかい?」
けらけら愉快に笑いやがる。
あのなあ、と反論しようとして引っかかっていたことに思い当たる。
「正直に言って欲しいんだが、俺様って臭くないか?」
巫女さんはきょとんとする。
「あっはっは、臭いなんて思ったことはないさ」
「本当か?」
俺様がすがるように確かめると、
巫女さんは腕を組んでふふん、と意味深に眉を動かした。
「まあ、ちょっとにおいが濃いとは思っていたけどねぇ」
「なんじゃそりゃ」
「だから、神様のにおいが濃いなぁって!」
巫女さんは声を弾ませて、自分を抱きしめながら
頬をわずかに染めている。
この子、臭いにおいが好きな趣向とかじゃないだろうな。
「はるひに会う度、臭いって言われたからさ。
そのせいじゃないかと思ったんだけど」
「あっはっは、においの感じ方は人それぞれだからねぇ。
それで言うなら、お兄さんのにおいは
ここ数日で薄れているように思うさ」
「それは、今日思いっきり雨に打たれたからかもしれん」
「雨に打たれてにおいってのは流れるものなのかい?」
「流れるだろ。人間だってシャワーを浴びて汚れを落とすじゃないか」
巫女さんはそうだったねぇ、と笑う。
「においと言えば、昨晩はそこの橋の下で寝たんだろ?
川は臭くなかったかい?」
「さあな。なにぶん酔っ払っていたから」
俺様は手元のグラスを回して、半分溶けた氷を転がす。
「うちはもう慣れているけどさ、
そこの川を臭いとか、汚いとかってお兄さん言ってたからねぇ。
昨晩、もっと強引にうちの神社へ誘えば良かったと少し後悔したのさ」
巫女さんは縁切りのお守りをいじりながらそんなことを言い出した。
あれをいじるのが癖みたいだ。
「そんな余計な気を回さなくてもいい。
臭かろうが煩かろうが、俺様はどこでだって寝られる」
「さすが、風来神だねぇ」
「だからその呼び名は止めろって!」
俺様が怒るも、ふふっと軽く笑って、
「そんなことより、川を綺麗にするいい方法はないものかねぇ」
「川が綺麗なことよりも、俺様の呼び方が重要なわけだが」
「橋の上を歩く人たちはみんな綺麗なのにねぇ」
俺様の訴えを無視して、後ろの橋を見ながらぼやく巫女さん。
つられて橋の上を歩く人たちを見るが、
確かに昔と違って着ている服は滑らかだし、
髪の毛はぼさぼさしていない。
その下を流れる川は真っ暗闇で、
建物の明かりの反射でようやく川らしきものがあるといった具合だ。
俺様は手元のグラスに口をつける。
「こうみると対照的な光景で、酒も進むもんだな」
「あっはっは、そういうもんだよねぇ。
屋形船に乗る人たちも同じなんじゃないかい」
ほとんど止まった状態で川の真ん中にある屋形船。
雨だというのに、提灯をかけて今日も出航していたようだ。
「汚い川でも酒の肴になるってか」
「綺麗なものばかり見ていても、飽きちゃうからねぇ」
「縁切り神社の巫女さんは、
もっと綺麗なものを見たほうがいいと思うぞ」
「あっはっは、善処します」
がっくり肩を落とした。
と思ったら、すぐに拳を胸元で握り締めた。
「やっぱり川が汚いのは、
綺麗なものを正義だと全世界に発信できてしまう電波の数々、
強いては科学の発展のせいだとうちは思うね!」
「また始まったよ、なんでも科学のせい」
「日ごろから綺麗なものばかり見ちゃっているから、
綺麗な川景色を楽しむための伝統ある屋形船も、
現代では希少な『汚い』を眺めるための屋形船へと摩り替わっているのさ!」
どうだと言わんばかりに俺様の鼻先へ人差し指を突きつける。
俺様はため息をついて、その人差し指を押しのけた。
「数十年前は今よりももっと川は汚かったぞ。
それが最近はましになってきてるのは、
川を綺麗にする技術が上がって、
その技術をそういう電波の数々で交換できているからじゃないのか?」
「むむむ」
巫女さんは唇をすぼめる。
「それに綺麗なものばかり見られる生活ってのは良いことじゃないか」
「どうだかねぇ。
理想と現実のギャップに苦しむ人を増やすだけだとうちは思うよ。
うちの神様も、そういう類の縁切り案件が増えているって言ってたしさ」
「それなら神社側としては繁盛しているじゃねえか」
「そいつは、そうなんだけどさ」
腕組みをして、うーんと納得のいかない様子の巫女さん。
不幸が蜜の味だとか、何だかんだ言って、
人間には縁切り神社の世話にならないで欲しいと思っているんだろうな。
そこは俺様も同じ気持ちだ。
ドロドロしたものばかりだと、やっぱり胸焼けしそうだからね。
願わくば繁盛せず、いつまでもここに出張屋台を出していて欲しいが。
「あんまり小難しいこと考えるなよ」
いつまでも腕組んで悩んでいる巫女さんに助け舟を出す。
「小難しいって言ってもさ」
「俺様はたった今、思いついたよ。
何故、夜の汚い川の上を屋形船が走るのか」
「……その心は?」
「川にするためだね」
巫女さんはぽかんとする。
変な理屈ばかりこねるから、ぴんと来ないのだ。
「どんなに真っ暗闇のドロドロした止まったような川でも、
船が走れば川になる! 波紋が船明かりで輝いて船跡もできる!」
「あっはっは、川にするために船がある、か。
昨日に続いてコロンブスの卵的な発想だねぇ」
巫女さんは何がおかしいのか、
あっはっはと雨音に負けず、快活にいつまでも笑っている。
そんな笑顔の巫女さんを眺めながらの一杯もまた格別だった。




