第五話
ぷかぷか浮いている屋形船をぼうっと眺めていると、
間にむっとした巫女さんの顔が現れた。
「ねぇ、うちの話ちゃんと聞いてた?」
「はん? なんだそりゃ」
「だから、科学の発展が信仰不況の原因なわけねえだろ馬鹿!
って、いきなり叫んだから、
自然科学の成り立ちについて力説していたんだけど」
俺様が話を聞いていなかったことに、ぷんすかしているようで。
「あのなあ、神がいちいち人間の話なんて聞くわけないだろ」
俺様の言い草に、巫女さんが呆れた眼差しを向けてくる。
「身も蓋もないことを言って。
人間の話が理解できないほど酔っているみたいね」
しっし、と手を払って嫌う。
神に向かってなんて罰当たりな巫女だ。
「じゃあ俺様の話を聞け。
神のありがたいお言葉を聞くのも巫女の仕事だ」
「えー。うちはうちの神社で奉られている神様の巫女なんだよ。
お兄さんみたいなどこの馬の骨ともわからない
風来神の巫女じゃないからねぇ」
腕を組んで眉を動かしながら挑発的に言ってくる。
「まーた風来神言いやがって。
よしわかった。酒を提供する店主として俺様の話を聞け!」
定まらない人差し指を巫女さんに突きつけた。
巫女さんはぷっと吹き出す。
「あっはっは、お客様は神様だからねぇ。
ごめんよ、お兄さんの話を聞いてあげるさ」
どうやら俺様の話を聞く気になったらしい。
「そもそも参拝客が減ったのは、人の数が減っているせいだ」
「おお、コロンブスの卵的な切り口」
「感心している場合じゃない!
昔はお前さんぐらいの歳の奴はみんな嫁入りしていたぞ」
俺様が指摘すると、
巫女さんはうめき声をあげて両耳を塞いだ。
「耳が痛いです。
うちの神様にもまだ嫁入りしていないのかって
この前説教されたばかりなのさ」
「生涯結婚しないヤツも増えてきて、人の数は減っていく一方だ。
全体数が減れば参拝客だって減っていく」
「やっぱり、科学の便利さが人間同士のコミュニケーションの機会をも
奪ったのではないかい?」
「そいつは違う。
生活の安定は人間に余暇の時間を与えた。
現代人は多趣味で、好きなものを持つもの同士、
新たなコミュニケーションの機会が多く生まれている」
後ろの屋形船で、窓から顔を出した男女がぼんやり見える。
和やかに談笑しているようで。
「だったら、どうしてうちは嫁入りできないんだい?」
「お前さんが嫁入りできない理由は、そういう性格だからだが」
「な、なんだってぇ」
巫女さんの絶望を無視して、俺様は続ける。
「こうなってしまったのも、
全てあぐらをかいて奉られている愚かな神共のせいだな。
特に縁結びの神の罪は重い」
「ううっ、それ言われちゃうと、うちの神様もギルティなんだよねぇ」
「ああ、そういえば縁切りの神だったな」
「悪縁切って、良縁結ぶ。
仕事はほどほどにしているんだけどねぇ」
巫女さんは屋台に飾ってある売り物のお守りを手に持って、
なだめるように撫でる。
「人の信仰で生かして貰っているのに、
願いをかなえさせるのは一部だけ。
それでいて、信仰の食い意地は一丁前ときたもんだ。
あの神酒を盗み飲みした時だって、
俺様は死ぬ寸前まで搾り取られた」
俺様はすっかり氷の解けたグラスの酒を、めいっぱい飲み干す。
美味い。
愚痴っている時には合う。
「でも、こうして存在しているってことはさ、
その神様にも情があったんじゃないかい?」
「情だあ?」
「昨日話してくれた、神酒の神様もさ、
神酒を飲みたいって願いを捨てちゃった負い目とかあって、
それを拾い食いしたお兄さんを生かそうと全部の信仰は取らずに」
「ぜんっぜん違うね!」
ドンッ、と俺様は力いっぱいにグラスを置いた。
「あいつらはそんな情けかけちゃくれない。
あの酒好きの神は、俺様の信仰をほとんど奪ったが、
最後の最後まで、神酒を飲みたいって願いは取っていかなかった」
今でも忘れられない、ぼろ雑巾を見るようなあの眼差し。
「あっはっは、酒好きの神様で助かったんだねぇ」
「そういう問題じゃねえんだ!
残った神酒を飲みたい信仰で存在を繋ぎ留めている間も
近隣神社の神酒に手を出しては神共に殴られる日々。
あれがトラウマですっかり酒が飲めなくなっちまったんだ!」
「ああ、おいたわしいおいたわしい。
うちの神様に聞かせたら、とっても喜ばれるお話だねぇ」
巫女さんは胸に手を当てて、楽しそうに嘆いている。
へんっ、と俺様はそっぽを向いた。
「神の不幸は蜜の味ってか。この巫女に縁切りの神ありだな」
「不幸話が好きじゃないとやっていけない仕事だからねぇ」
巫女さんは清々しい笑顔で言ってのける。
「こうなりゃもう一杯だ!」
「おっ、ドロドロな不幸の味が癖になったかい?」
「なってない! が、その酒で俺様を慰めて貰う!」
「なってる神はみんなそう言うのさ」
あと人もね、と楽しそうに巫女さんはドロドロ芋焼酎を注ぎ始めた。
暗い地面に横たわり、砂利の感触が頬に伝わる。
「おーい、うちはもう撤収するぞ」
身体を揺らされている。
「んー、もう飲めないぞ」
「あっはっは、酔っ払いの神様が道端で寝たら風邪引くぞ」
見上げると畳んだ屋台を引いて帰るところの巫女さんが居た。
「まずい、明日は雨だって聞いていたんだ」
どうにか身体を起こして、あぐらをかく。
「誰から聞いたんだ?」
「初夏の風」
あくびをかまして頭をかく。
雲が出ていて月も見えん。
「ほんとだ。明日は雨マークだねぇ」
巫女さんは明るくさせた四角い画面
(提灯より数段優れたスマフォと呼ばれているヤツ)
を見て感心している。
「科学の恩恵をきっちり受けているな」
俺様が嫌味ったらしく指摘してやると、
「あっはっは、精進します」
がっくり肩を落とした。
と思ったら、すぐに顔を上げて、
「そうだ! 今夜のあてがなければ、
うちの神様にかけあってみるかい? 軒下ぐらいなら平気かも」
「馬鹿言うな。
奉られている神の世話になるなんて真っ平御免だね。
そこの橋の下で寝るさ」
「そうかい。それなら、
またうちの神様が喜ぶ不幸な話を持ってきてくれ」
「ああ。上等な酒を用意しておけよ」
がらがらがら、とゆっくりタイヤが回り、
屋台を引いて巫女さんは帰っていった。
昨日よりも酔っ払ってしまった。長話も。
俺様はふらつく足取りで、どうにか橋の下に潜り込んで
そのまま眠りについた。
まどろみの中で、はるひに酒臭いって言われないかを心配した。