第十話
太陽神アマテラスは、あらゆるものを目覚めさせてきた。
それは神の端くれである俺様も例外ではない。
「お父さん、お父さん!」
身体を揺り動かされて薄く目を開けただけで、
さんさんと眩しい光が嬉々としてまぶたの間から入ってくる。
「起きた?」
光がナニモノかの顔で隠れる。
この眩いばかりの後光、まさか太陽神アマテラスか!
「あれ、お前さんは?」
「お父さん! はるひのこと忘れちゃったの!」
どんっと胸に衝撃が走る。
それで思い出した。
ここは、はるひの夢の中だ。
そして俺様は、はるひのお父さんとして夢の中にいる。
見た目も寸分たがわず同じはずだし、
はるひの思うお父さんとしての中身も把握している。
「忘れるわけないだろ。元気にしとったか?」
「うん!」
頭を撫でてやる。
嬉しそうなはるひを見ながら、
またこの子とアマテラスを間違えてしまったなと思った。
落ち着いてから辺りを見回す。
ざらりとした緑色の地面、それが丸みを帯びて壁を作り、
座った時の目線の高さに縁があった。
さらには体重を移動させただけで、
この場所自体がゆらゆら揺れている。
予想はしていたが間違いない。
大きな笹舟の中に俺様たちはいた。
「ってことは、おれさ、お父さんたちはあまぞんに居るのか?」
「あー! やっぱりここがアマゾンだったんだ!
絵本で見たところと同じだもん!」
興奮気味にはるひが船の縁に乗り出す。
船が大きく傾いて、茶色く濁った水が目前まで迫った。
「あ、危ないから、船の上では大人しくしていなさい」
「はーい」
と元気に返事して、
座っている俺様の股の間に身体を潜り込ませて背中を預けてきた。
ゆりかごのように揺れる船に、
こうして一緒に居るだけでもはるひは楽しいようで。
「この船ね! はるひが作ったの!」
「おお、凄いなぁはるひ」
「うん! あそこの折り目のところ、難しかったけど」
船首の方を指差しながらこっちに笑顔を向ける。
確かに微妙に曲がっていて、船自体も真っ直ぐ漕ぎ出せていない。
「難しいのに良く頑張ったね。あの部分はお父さんでも難しいよ」
「えへへ、頑張った」
頭を撫でてやると嬉しそうにきゃっきゃっと騒ぐ。
すると突然、水しぶきを上げて水面が盛り上がった。
船が大きく揺れて、顔に水がかかる。
はるひを抑えながら何事かと見ると、
「うおおお! おいらはワニだ!」
自己紹介するワニが大きな口をあけて登場した。
「きゃあああ! ワニさんだ!」
はるひが悲鳴を上げて胸に顔を押し付ける。
「だ、大丈夫だ。お父さんが守ってあげるから」
はるひがワニに食べられる想像さえしてなければの話だが。
「おいらは猛烈に腹が減っている! お前たちを食べてやるぞ!」
船を丸ごと飲み込む勢いで、大きな口が迫る。
もうダメか。
「危ない!」
とう! と川の中から黄色い何かが飛び出して、
ワニの口の上と下に手を入れた。
「あっ! ジャガーちゃんだ!」
はるひが叫んだ。
「ジャガーちゃん?」
「はっはっは、困っている人が居たらどこでも登場!
ジャガーちゃんとは私のことさ!」
ジャガーは勇ましく名乗る。
そして、ワニの大口を閉じさせまいと両手を突っ込んだまま、
水面を走りながらワニの周囲をぐるぐる回り始めた。
「必殺、ジャガートルネード!」
「ぐおおお、目が回る~」
水面に渦ができて、竜巻ができて、
その中心に居たワニは巻き上げられて空の彼方へ吹っ飛んでいった。
「た、助かったよジャガーちゃん」
「ありがとうジャガーちゃん」
「な、なんのこれしき。うわああああ!」
ジャガーちゃんも自分で起こした竜巻に巻き込まれて空の彼方へ。
「ま、まずいぞはるひ。お父さんたちも巻き込まれる」
「きゃあああ! 渦、あっちに行って!」
はるひがぴちゃぴちゃと水面を叩くがむなしく、
ずるずる笹舟は引きずりこまれていく。
今や茶色の川の竜巻は地上から空へ繋がっていた。
ついに笹舟の船首が渦に巻き込まれ、
笹舟の中に倒れこむ。
俺様は離すまいとはるひを抱きしめながら、
船の壁に身体を押し付ける遠心力のなすがままだった。
永遠に続くと思われたぐるぐるの旋回もいつの間やら止み、
一気に静粛が訪れた。
俺様は恐る恐る身体を起こす。
その光景に思わず息を呑んだ。
「空の上か」
飛行機の窓の外から見た光景そのままに、
俺様たちは一面に広がる雲の上に居た。
雲海の上を屋形船のように、ゆるりと漂う笹舟。
「おい、はるひ! しっかりしろ!」
俺様はさっそくはるひを起こす。
パチッと、目を見開いて立ち上がった。
「わあ! 空の上に居るよ!」
ゆらゆらと大きく笹舟が揺れる。
「ば、馬鹿! 急に立ち上がるな!
ここで転覆したら地上に真っ逆さまだ!」
俺様の注意も聞かずに、はるひは縁に乗り出して白い雲に触ろうとする。
「わあ! お父さん見てみて! 雲だよ!」
わたあめみたいに手に引っかかった雲を見せつけてくる。
「ちょっと食べてみなよ」
「うん!」
ぱくっと手を口に運ぶと、途端に顔をしわくちゃにさせて笑う。
「あま~い!」
俺様も一つつまんで口に入れてみた。
まんま、わたあめの味だった。
「ぐおおお! 助けて! 落っこちる~!」
後ろで叫び声が聞こえた。
振り返るとわたあめ雲が激しくちりちりに舞っている。
その中で沈みまいと必死で手足を泳がしているワニが居た。
「ワニさんが居る」
「うん、溺れているね」
「助けてくれ~! 雲を食べ過ぎたんだ!」
お腹をぽっこり膨らませていて、
その重さで沈んでしまっているようだった。
「どうするはるひ、助ける?」
「うん、かわいそうだから」
「よし雲をかいて船を寄せるぞ!」
俺様たちは雲を手でかきだして船を動かし、
溺れているワニに寄せた。
ワニは手を船の縁にかけて、船の中に転がり込んできた。
大きく笹舟が揺れる。
俺様はとっさに船の反対側まで移動して、バランスを取った。
「ぜえぜえ、ありがとよ嬢ちゃんたち」
肩で息をしながら、ワニは近くに居たはるひを抱きかかえた。
「だが、この世は弱肉強食だ!
近くにある人間の肉を見過ごすほど、おいらは甘くない!」
そう言いながらワニは大口を開ける。
「ぎゃああああ! 助けてお父さん!」
こちらに手を伸ばして助けを求めるはるひ。
「はるひ! 今行くぞ!」
「はいよー! とうっ!」
俺様が動こうとした瞬間、雲の中から黄色に黒のまだら模様の
あのジャガーが飛び出して、ワニに飛び蹴りを食らわした。
「ぐわあああ!」
情けない叫び声をあげて、ワニは再び雲の中へ落ちる。
入れ替わるようにジャガーがはるひを抱えて船の上に立った。
「ジャガーちゃん!」
「危ないところだったね!
だが私が来たからにはもう大丈夫だ!」
「ジャガーちゃんが来たから大丈夫じゃなくなっている、
ってことはないだろうな?」
「ん? 何を言っているのかよくわからんが、
とにかく悪を倒すため、
正義の味方をするのがジャガーちゃんだ!」
そういうと雲の中で溺れているワニに向かって飛び込んで、
その尻尾をつかんだ。
「必殺、ジャガートルネード!」
「や、やめろ~! もう飛ばされたくない~!」
そっくりそのまま俺様の心情であったが、
止められるはずもなく、
白い雲は瞬く間に渦を作った。
中心に割り箸を刺した、まさにわたあめのような白い雲の渦は
近くに居た俺様たちを笹舟ごと巻き込んで、
今度は地上の方へ吹き飛ばした。
真っ暗闇の中で目を覚ました。
太陽の姿が見当たらない。
「ねえお父さん、この葉っぱはなに?」
「これはね、笹っていうんだよ」
どこからか声が聞こえる。
「へぇ~! 笹って食べられるの?」
「食べられないよ」
一方ははるひの声、
もう一方の男性の優しい声は
直感的にさっきまで俺様が発していたお父さんの声だ。
「えー、じゃあどうして食べるところに出してるの?」
「この笹の中に食べ物があるからだよ」
「ほんと! 何が入っているの?」
「さあ、それは開けてみてのお楽しみだ」
突然、辺りが明るくなった。
「わあ、白いお団子が四つある!」
「みんなで分けて食べようか」
巨人になったはるひが目の前にある。
身体全身はあの白い雲をまとったような真っ白白だった。
「お父さん、大きなはるひたちが居る!」
隣の団子から驚いたような声が聞こえた。
「そうだな。お父さんたちが居るな」
「ねえ、これからはるひたち、食べられちゃうの?」
「ぐおおお! 冗談じゃない!
この世は弱肉強食! おいらは食べられるのはごめんだ!」
奥の団子から先ほどのワニの声がする。
「見苦しいなワニ! これが因果応報というやつだ!
悪いことは必ず自分に帰ってくる!
私も、罪の無い人たちを今までたくさん巻き込んでしまった」
さらに奥からもジャガーちゃんの声。
みんな白団子になって、まさに食べられようとしている。
「はるひは怖くないか?」
「ちょっと怖い。でも、平気!」
「そうなのか?」
「うん! はるひに食べられるだけだもん!」
元気にそう言ってくれる。
「はるひ、お母さんがまだ少し手を離せないみたいだ。
せっかくだし、この笹を使って船を作ろうか」
巨人のお父さんが笹を手に取った。
「この葉っぱで船が作れるの?」
お父さんの隣のはるひが興味深そうに見つめる。
「ああ、結構簡単に作れたりするんだぞ」
てきぱきと折っていき、あっという間に笹舟を作った。
「わあ、船だ!」
「しなっちゃっていたからちょっと不恰好だけど」
「凄い凄い! 乗ってみたい!」
「はるひには小さすぎて、これには乗れないかなあ」
「そんなあ」
落胆するはるひにお父さんは困り顔だったが、
「あそうだ、今度本物の船に乗せてあげよう!」
「本当?」
「ああ。水の上を走るのは楽しいぞお!」
「お待たせ~」
お母さんらしき人の声がここで入ってきた。
「ねえねえ、もう食べてもいい?」
大きなはるひは待ちきれないようだった。
「ちゃんといただきますをしてからな」
お父さんがたしなめる。
「ねえ、お父さん」
もう食べられるって時に、
すぐ隣からお団子のはるひが話しかけてきた。
「なんだ?」
「船に乗せてくれて、ありがとう」
「……どういたしまして」
「いただきます!」
俺様のどういたしましては、いただきますの声でかき消された。
そして、俺様たちは口の中に運ばれて、
はるひの夢はそこで終わった。
朝、橋の下で目が覚める。
なんだかとても恐ろしい夢を見ていた気がする。
伸びをして上に這い上がると、温かい太陽が出迎えてくれた。
結局のところ、はるひはあの夢を見られて良かったと思ってくれたのか。
お父さんに会って船に乗るという目的は達成したものの、
変な動物に引っ掻き回されたり、
思い出の中の自分に食べられて終わったり、
全部が幸せな夢だったとは言いがたい。
こういう中途半端な願いの叶え方しかできないのだから、
神様だと称えられない神様、
なんて巫女さんに言われちゃうのだ。
さてと、風の向くまま気の向くまま、
行き先のない旅の再開だ。
とりあえず、船旅にでも出ようか。
FIN




