第一話
はじめに、俺様は神である。
神社や教会であぐらをかいているふぬけたヤツじゃなく、
風の向くまま気の向くまま旅する神である。
こんなことを道端の地蔵に言って聞かせると、
のん気で軽いヤツだとお堅い表情で言われちまうわけで。
でもって俺様はのん気で軽いヤツだったりするので
へいへいぺこぺこ頭を下げながら、
小腹の足しにささいな『のら信仰』をつまみ食いしようとする。
ここまで俺様が下手に出ても
大抵の地蔵は仏頂面をいっそう険しくさせた
しょんべんちびりそうな般若一歩手前の顔になり、
つまみ食いの手を引っ叩いて威嚇してくる。
こうなってはもうどうしようもないので、
出かかったしょんべんをそのまま引っかけて俺様は立ち去るのだ。
なに? 地蔵にしょんべんをかけるなんて罰当たりだって?
頭が地蔵か、お前さんよ。
しょんべんから生まれた神だっているんだぜ?
都心から少し離れたベッドタウン(寝床町じゃダメなのか?)を
俺様は空腹でさまよっていた。
空腹なのはいつも通りなのだが、今回は特に深刻だった。
飢え死に寸前、存在消滅の危機で、
いよいよ腹をくくって死に場所を探す時間帯に入っていた。
こうまで追い込まれてしまったのにはちゃんとした理由があるのだが、
今はそんなことを語っている余裕もない。
ただただ、凶暴凶悪なスサノオが悪い。
飛行機の中で貪り尽くした信仰から
いざという時のために蓄えていた非常食まで、
俺様の全てを暴力で奪っていきやがった。
あんな、なんでもかんでも暴力で解決する性悪な神を
どうして空の安全祈願で奉っているのか。
そりゃアマテラスも天岩戸に引き篭もるわ、馬鹿野郎。
俺様は初めてアマテラスに同情しながら
とうとう道路の十字路ど真ん中に倒れこんだ。
居場所を持たない俺様のような神には、おあつらえの死に場所かもしれない。
そう思いながら目を閉じる瞬間、突如手のひらに熱を感じた。
じゃり、と道路の小石の感触も。
空気のように無色透明だった太陽の光が、
一気に熱と重みを帯びて俺様の背中に降り注いだ。
生を感じて、カッと目を見開くと、
目の前には手を組んでお祈りを捧げている女の子が居た。
女の子の頭から後光がさしている!
間違いない、太陽神アマテラスオオミカミが降臨なさったのだ!
同情もしてみるもんだ。
結果から言うと、その子はアマテラスでも何でもなく、
どこにでもいる普通の人の子だった。
後光がさしているように見えたのも、
太陽の角度を合わせてきた、いわゆるアマテラスの悪戯だった。
俺様は服を軽く払って立ち上がる。
さっきまではお腹と背中がくっついていたのに、今は満腹だ。
女の子一人の信仰で満腹になるなんて、どれほどの願いなのだろう。
「……お願いします神様、どうかお父さんが生き返りますように」
思わずずっこけて、もう一度道路に倒れこんだ。
いてて、願いで満たされて感覚まで強くなっちまっている。
ふぅふぅ、と赤くなった手のひらに息を吹きかけた。
生き返りを願うなんて、世間知らずの俺様ですら恐れ多いのに。
「あのなあ、お前さんのおかげで俺様は九死に一生を得たわけで、
そこらであぐらをかいている神と違って
願いを叶えてあげたい気持ちは山々なんだけどよ。
いくら神様俺様でも死んだ人間を生き返らすことはできんのさ」
悪いなお嬢ちゃん、
と俺様は謝ってその場を後にしようとした。
「……どうか、どうか!
神様! そこに居たら、どうかお願いします!」
女の子の声自体は小さかったが、
心の中から飛んでくる願う声は馬鹿にでかかった。
耳が痛い。痛くて痛くてかなわん。
これだから信仰で満たされるのは嫌なんだ、まったく。
「ほら、神様が出てきてやったぞ」
周囲に誰もいないことを確認し、俺様は電柱の影で透明を解いて登場した。
「……」
女の子は口をぽかんと開けたまま、放心状態で俺様を見つめている。
「なんだ、お前さんのお父さんを生き返らせることはできんが、
遊んでやるぐらいなら」
「……おじさん、臭い」
女の子は苦い顔で呼吸しずらそうに、鼻を押さえている。
ぶちっ、と俺様のこめかみの辺りで何かが切れた。
「なあに? 誰様に向かってそんな口聞けたんだ?」
「ひっ」
女の子は逃げようときびすを返したが、時既に遅し。
赤いランドセルを捕らえると、
強引に引っ張りこんで女の子を抱き寄せた。
「そんなに俺様のにおいが好きなら、思う存分にかがせてやる」
俺様の三百年着込んだ(出雲でくさやにぬか味噌を塗りつけたと評された)
よれよれのじんべえに女の子の顔を押し付けてやった。
「ぐ、ぐえ、があああ、なああああ!」
手足をばたつかせて、少女は言葉にならない叫び声を上げる。
「はっはっは、まいったか! これが神の力だ!」
少女の悲鳴を聞くたびに俺様の何かが満たされていくようであった。
太陽が痛いぐらいに眩しくなってきた頃、俺様は女の子を解放した。
女の子は曲がった鼻を手で押さえながら、ぜえぜえ、と肩で息をしている。
鼻から手を離せば呼吸も楽になるのに、なんて思っていると、
「ぎゃああああああああ」
けたたましい声を上げ、よろけながらも走り去ってしまった。
キーンと耳の奥で名残惜しそうに悲鳴が響いている。
初夏の風がすんと明日の天気予報を届けてくれた。