水
水を嫌いだという人間は居ない。水には味がないから。味があればそれは、水ではない。
水を売るやつらというのは水を詰めた瓶のラベルだけを変える。
それは前と同じH2Oでも違うものとして受け入れられる。
水を飲む奴らは舌がおかしくなっている。味のついている物を飲む事ができない。少しの刺激も不快も苦味も受け入れられないのだ。
しかし人間性だとかアイデンティティを水を飲むことに求めるので、ラベルの良し悪しでのみ会話する。
そうしてえてしてそういう奴らは水で脳味噌がもう溶けてしまっているので、もはや水人間同士溶け合う事にしか興味がなく、ラベルに共感したというのをお互いに確かめあい安心する。
ある水人間が絶賛した水が一つ。エビアン水としよう。その水人間は同化以上の行為、摂取を知っていて、それは同化とは違い摂取された水人間の思考を全て奪いとってしまう。エビアン水に惹かれありもしない渇きを癒すために集まった水人間は摂取された事にも気づかず今や別の水人間の臓器になった事にすら気づかず自分の人格がまだあると思っていやがる。
摂取という行為を知っている水人間は貪欲に摂取を行う。水人間は体が水で出来ているので同属食いをするとえもいわれぬ快感、決して癒される事のない永遠の渇きが少しの間緩和されるからだ。
水人間は水人間以外の人間を嫌がる。それは摂取も同化も出来ず、また水以外を好むその性質が理解できないからだ。どうして、一緒にならないで、あそこでヒマシ油なんか飲んで下痢になって笑っているんだろう。奴はきっと、キチガイに違いないな。
水人間は体の99.99%が水で出来ていて、それはもう真皮の下に静的な水として閉じ込められているので、その水は少しずつ腐っていく。しかし水人間は水人間らしくある事のみを求め、それ以外に喜びを感じ得ないので、自分がまだ同化あるいは摂取もできる新鮮な水であるという風に必死に繕う。まるで千切れかけ袋としての役割を果たしていない麻袋を乞食が必死に繕うように繕う。
水人間は同じ顔をしている。
水人間は保守的だ。
水人間が群れている所というのは見ていて醜い。
水人間は人の不幸を喜ぶ。
水人間はゴシップに目がない。
水人間は不労所得を欲しがる。
水人間は、おばさんだ。
オレは水人間になりたくはない。




