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王女ルージェス

 レフィスが目を覚ましてからの回復は意外に早く、二日を過ぎた頃には自由にベッドから出て歩く事を許された。とは言っても、一介の冒険者が王城の中を自由に歩きまわれるはずもなく、レフィスは与えられた個室か庭園のどちらかにいる事が多かった。完全に体力が回復した訳ではなく、少し長く歩くだけですぐに疲れてしまうので、部屋から庭園までの距離が今のレフィスにはかえって都合が良い。今日も庭園のベンチに腰掛けたまま、少しだけまどろんでいる所だった。


「気分はどう?」


 間近で声がしたかと思うと、ふわりと甘い花の香りが鼻腔をくすぐった。優しい香りにうっとりしながら目を開くと、いつの間にか隣にルージェスが腰掛けていた。


「えっ!」


 慌てて立ち上がろうとしたレフィスの腕を掴んで、ルージェスがにっこりと人懐っこい笑みを浮かべる。


「ああ、座ったままでいいのよ。変に畏まられるとむず痒いのよね」


「で、でも……」


「良かったら普通に話してくれないかしら。歳の近い女の子の友達がずっと欲しかったの」


 裏のない素直な笑顔を真っ直ぐに向けられて、レフィスが浮かしかけた腰をベンチにおずおずと戻した。その様子を見て、ルージェスが心から嬉しそうに微笑む。


「良かった。逃げられたらどうしようかと思ったわ」


「逃げるなんて、そんな……」


 ルージェス=ジルクヴァイン。ルウェインを統べる王家の娘、つまり王女であり、現国王レオンの妹である。

 レフィスがまだベッドから出られない頃、何度か薬を持って部屋を訪れた事はあったが、こうして二人きりで話すのは初めてだった。それ以前に、レフィスが王族と一緒にいる事自体が有り得ない光景だ。何か粗相をしないか焦って緊張はしたものの、屈託なく笑う王女を前にすると、その不安も少しずつ和らいでくる。まるで穏やかな日差しの中にいるような、そんな温かい気持ちがレフィスの中に芽生え始めていた。


「あ、これ預かってきたわ」


 そう言って取り出した小瓶の中には、深い緑色の錠剤が一杯に詰め込まれていた。


「これは?」


「あなたの薬よ。カロンから預かってきたの」


 王立研究所の主任カロン――今回の依頼主であり、幼い頃からルージェスの教育係をして来たと言う彼は、瀕死のレフィスを助ける為に王城へ呼ばれていたのだ。考古学を初め、魔法、薬学などあらゆる分野に精通している彼の知識は半端なく、歩く図書館とまで呼ばれているらしい。レフィスも何度か目にしたが、眼鏡に長く伸びっぱなしの髪と無精髭は、安易に想像できる学者スタイルを裏切らないものだった。


「カロンさんって、本当に何でも出来るんですね」


「知識だけで腕っ節は弱いのよ。その薬も、半分はユリシスが脅して作らせたものなんだから」


「ええっ?」


「だって、物凄く苦いでしょ、その薬。だから簡単に飲めるように錠剤にしろって言われたんですって」


 おかしいでしょうと同意を求めながら、ルージェスがくすくすと声を零して笑った。

 見た目にカロンはどこをどう見ても優男だ。そんな彼に、どうやって物を頼んだのか考えなくてもすぐに理解できたレフィスが、申し訳なさそうに手のひらの小瓶を見下ろした。


「後でちゃんとお礼しなきゃ……」


「薬の事もだけど、ユリシスが付きっ切りであなたを看病した事にも驚いたわ。ここに来た時もひどく弱々しくて、見ている私の方が辛かったのよ。……でも、少しだけ安心したの。心を開ける人を見つけたんだなぁって。それがあなたで良かったって、私も思ってるのよ」


 柔らかい手でレフィスの手を包み込んで、ルージェスが覗き込むようにレフィスを見る。澄み切った湖のような瞳の奥、自分の知らないユリシスを見つめてきた瞳に、レフィスの胸が少しだけちくんと痛んだ。


「ユリシスの事……昔から、知ってるんですか?」


「ずっとではないけれど。……あ、誤解しちゃ駄目よ」


「え?」


 かすかに裏返った声に焦って、レフィスがぎくんと体を震わせた。


「私には好きな人がいるの。研究と知識を得る事ばっかりで、私の気持ちなんてちっとも気付かないか知らないふりしてる鈍感な人なんだけどね」


 レフィスの脳裏に、本に囲まれて幸せそうな顔をしているカロンの姿が、一瞬だけぼんやりと浮かんだ。


「幼い頃のユリシスを語る事は出来るけど、それは本人から直接聞いた方がいいわ」


「……そういえば、前にもユリシスに同じような事を言われました」


「だったら、話を聞くのはそう遠くはないかもしれないわね」


 レフィスの手を包み込んだ手を静かに離して、ルージェスがゆっくりとベンチから腰を上げた。


「そろそろ中へ戻りましょうか」


「あ……私、もう少しここにいてもいいですか?」


「それは構わないけれど、体が冷える前に戻った方がいいわ」


「はい」


 ルージェスを見送ろうとレフィスも立ち上がり、そのまま深々と頭を下げる。その様子に苦笑したルージェスが、念を押すように少し口調を強めて言った。


「だから、そういうのはなし! 出来れば次にお話しする時は敬語もやめてくれると嬉しいわ」


「えっと……わかりま……。――う、うん。がんば、る」


 たどたどしく紡がれた言葉を耳にして、ルージェスが満足げに頷いた。


「ありがとう、レフィス。それじゃあ、早めに戻るのよ」


 軽く手を振って去っていくルージェスの姿が消えるまで、レフィスはいつまでもその後姿を見送っていた。


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