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消え逝く灯火

 ばらばらと散らばる硝子玉のひとつが、レフィスの目の前で止まった。赤い炎を内に揺らめかせたそれは、一瞬だけ焔龍バルフィーアスの姿を象った。

 ユリシスによって魔力を上乗せされた硝子玉は、けれど一度も使われる事なく、赤黒い魔法陣の上を彩るように転がっていく。レフィスの血を絡め取りながら、弾け飛んだ命のように転がっていく。その様を映した瞳は、離れていく意識を引き止める事が出来ないまま、ゆっくりと命の色をなくして行った。

 歪み始めた視界の向こうに、今まで見た事もないほど取り乱したユリシスの姿が見える。何度も名を呼ぶその声に、哀切の色が滲み始めていた。


「無理に術を解かない方がいい。劫火に身を焼かれるほどの激痛が君を襲うよ」


 動けないユリシスの耳元に顔を近付けて、リーオンが笑みを象った唇をゆっくりと動かした。


「あの娘の命は貰うよ」


「……っ!」


 怒りと焦りがない交ぜになって言葉すら出ないユリシスに興味をなくしたのか、今度は魔法陣の上で血に濡れたまま伏しているレフィスの方へと振り返る。その青い瞳が見つめているのはレフィスではなく、その下に組まれた赤黒い魔法陣。倒れたレフィスを中心にして、魔法陣を描く線がゆっくりと真紅に染め上げられていた。


 虚ろに開いたままの瞳に、赤い色が流れていくのが見える。自分の血を吸って赤く色を変えていく魔法陣に、レフィスは己の命の灯火を垣間見たような気がした。

 急速に冷えていく体。胸の傷から、ゆっくりと消えていこうとしている痛み。色を失くし始めた視界。僅かな音すら刻めない唇。そして、静かに広がっていく血の魔法陣。それが完全に血色に染まったその瞬間、弱々しい鼓動を刻むこの命が尽きるのだとレフィスは直感した。


「……っ」


 紡げないと分かっていても、名を呼びたかった。

 先程まで感じていた恐怖はなく、今のレフィスの心にあるのは悲しみと後悔だけ。無理に体を動かそうとする度に皮膚が裂け、血に滲んでいくユリシスの姿を瞳に留めながら、レフィスは何度も何度も彼の名前を口にした。



『お前は、ここに残るか?』



 降り積もった雪の上に落ちて消えた言葉が、今またレフィスの中に甦る。

 無理を言って付いてきたレフィスを、ユリシスはそれでも受け入れてくれた。離れるなと言って、そばにいる事を許してくれた。

 それなのに、そんな簡単な約束すら守れなかった。

 ノーウィに、一人残っていればよかった。危険な場所だと分かっていたのに、足手まといだと分かっていたのに、取り残される不安ばかりが募って……結局、一番最悪な状況に陥ってしまった。

 けれど、ユリシスはレフィスを責めない。それがレフィスには痛いくらいに分かっていた。ユリシスが誰を責めるのか、嫌と言うほど分かってしまうから、レフィスは自分自身に激しく後悔する。


「……ユ……シ、ス……」


 やっとの思いで名を紡ぎ、レフィスが震える指先をユリシスへと伸ばした。その手が届かない事を知っていても、そうせずにはいられなかった。

 せめて一言、謝りたかった。


 魔法陣が、赤く煌く。

 崩れかけた天井から顔を覗かせていた月が、嘆くように雲間に隠れた。それを合図に、血色の魔法陣がその色を中心の石に注ぎ込む。枯渇する石は一気に真紅に染まり、役目を終えた魔法陣が色をなくして粉々に砕け散った。



 ――ユリシス。ごめんなさい。



 力なく閉じていく瞼の向こうで、血に濡れたユリシスが剣を振り下ろすのを見た。

 絶叫に近い声で名を呼ばれ、再び瞼を開こうとしたレフィスだったが、その瞳がユリシスの姿を映す事はなかった。






 高い音を立てて砕けた魔法陣が、二つ。

 ひとつはレフィスの血を吸った封印の魔法陣。もうひとつはユリシスの自由を奪っていた拘束の魔法陣。

 足元に突き刺した剣を引き抜いたユリシスは、激しい死闘を繰り広げたかのように全身血塗れになってもなお、その剣を更に強く握り締めたままリーオンへと飛び掛っていった。


「全身血塗れじゃないか。そんな体になってもなお、僕に挑むと?」


 余裕のある動作でユリシスの一撃をかわして、リーオンが軽く剣を振り下ろした。その衝撃波を剣で受け止めたはずのユリシスだったが、思った以上に体が付いていかず、そのまま後方へ弾き飛ばされる。


「君は感情に流されないと思っていたんだけどね……馬鹿馬鹿しい」


 ユリシスに対する興味を失い、リーオンがレフィスへと視線を向けた。倒れて動かないレフィスの近く、赤く色を変えた小さな石を拾い上げて、満足げに笑みを浮かべる。


「僕の目的は果たした。今は君に付き合っている暇はないんだ」


 そう言うと、再度剣を振り下ろして、隣り合う二部屋分の壁を崩壊させた。崩れ落ちる瓦礫の中にユリシスの姿があろうがなかろうが、今のリーオンにとってそれは大事な事ではない。


「リーオン様」


 歩み寄ったアデイラを腕に抱き寄せて、リーオンが恍惚とした表情を浮かべたまま手のひらに乗る赤い石に見入る。


「戻ったら、君にも役に立ってもらうよ。アデイラ」


「勿論ですわ」


 血に濡れた部屋にそぐわない楽しげな笑い声が、闇に紛れて消えていく。暗い空から再び顔を覗かせた月が見下ろした部屋には、動く者の姿はもうどこにもなかった。


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