新米白魔導士
ラスレイア大陸。
様々な種族が住まう広大な大陸には、大きく分けて四つの国がある。
ひとつは人間が治めるルウェイン。
ひとつは獣人が治めるウルズ。
ひとつはエルフが治めるリアファル。
ひとつは神魔が治めるルナティルス。
彼らは互いに協力し合い、今日までラスレイア大陸に平穏をもたらしてきた。
十年前に起こったルナティルスでの反乱の余波は、今でも大陸全土を不気味な波紋で揺らしてはいるが、今のところ残り三国家の力により特に目立った事件は起きていない。
が、しかし。
その平穏は、一人の少女の轟音にも似た怒鳴り声で破られようとしていた。
「どうして駄目なのよ!」
大陸を占める四つの国が交わる国境地帯に、どの国にも属さない大きな街がある。国境だけあって行き交う情報量も半端なく、すれ違う者も旅人や冒険者の類が大半を占めている。種族に限っても多種多様で、一言で言えば賑やか、或いは騒々しい街と言う印象が強い。
街の名はベルズ。別名「冒険者の街」とも呼ばれるこの場所には、その名の通り大陸で一番大きい冒険者ギルドがあった。勿論ここが本部である。
先程の少女の怒号は、どうやらこのギルドの奥から聞こえてきたらしい。カウンター越しにギルドマスターと睨み合っているように見えるが、実際不機嫌なのは少女だけで、マスターと言えば片耳をほじりながらうんざりしたように溜息を吐いていた。
「駄目なもんは駄目なんだよ。お前さんにこなせる任務はひとつもない」
大柄でがっしりとした筋肉質の体躯の前では、意気込む少女もただの子供にしか見えない。しかもこのギルドマスター、体は立派な格闘家並みに鍛え上げられており、なおかつ顔は狼そのものだから、初対面では誰もが少なからず驚いてしまう。それがか弱い少女であるなら尚更だ。
自分よりはるかに上から見下ろしてくる視線は、それだけで言葉を失わせてしまうほど迫力のあるものだったが、明るい栗色の髪をしたこの少女にだけは、その凄みのある眼光も意味を成さないようだ。
「勝手に決め付けないでよ。大体、今日初めて会ったのに、どうしてそんな事が分かるのよ!」
「分かるんだよ」
少女の訴えなど物ともせず、狼頭のギルドマスターがおもむろに一枚の紙切れを取り出した。それはさっき、少女が彼に渡した身分証明書だ。
「レフィス=ヴァレリア、十七歳。得意分野、白魔法。しかも独学」
「偉いでしょ」
「阿呆。大体白魔法だけで、どうやって敵と戦うんだ? 見たところ仲間なんていないようだしな。おまけに独学ってのが怪しいんだ。ちゃんと魔法の基礎出来てんのか?」
「失礼ね! 仲間なんて後から見つければいいじゃない。それに冒険者の最初のランクはコーラルだって聞いてるし、そんな初心者に危険な仕事は回さないはずでしょ? 実力は後から伸ばすの!」
一瞬もっともらしい発言に言葉を飲み込みそうになったマスターだったが、慌てて首を振り姿勢を正すと、手にしていた紙切れをレフィスの目の前にずいっと突き返した。
「実力の伸びない冒険者を雇うほど、俺は優しかねーんだよ。それにお前さん、勘違いしてねぇか? 確かに冒険初心者ランクはコーラルだが、俺はお前さんをコーラルにした覚えはないぞ」
「え?」
「誰がコーラルっつった? お前さんの今の能力じゃ、おまけしてもストーンだ」
その単語に、それまで騒がしかった店内が一気に音をなくした。酒を飲み大声を上げていた獣人も、仲間と次の冒険の計画を立てていたエルフも、そこにいた者全員が一斉にカウンターの二人へと視線を巡らせる。
「……ストーンって」
わなわなと震える唇から、今までの少女が発した言葉の中で一番弱々しい音が零れ落ちた。
「ストーンって……ただの石っころじゃないのー!!」
顔を真っ赤にさせて叫んだレフィスを勝ち誇ったように見下ろすマスター。その目と、背後に嫌と言うほど感じる冒険者たちの視線に、レフィスの体が不快な熱を持ち始める。
冒険者たちはギルドに登録すると同時に、自分の能力に見合ったランク付けをされる。一番上からダイヤモンド、クリスタル、エメラルド、サファイア、コーラル。ダイヤモンドとクリスタルのランクを持つ者は少なく、一般的にエメラルドとサファイアのランクを持つ者が多い。今もこのギルド内にいる冒険者たちの殆どが、エメラルドかサファイアだ。
そしてこの五つのランクの他に、ストーンというものがある。それはコーラルにも満たないランク外で、いわゆる「貴方、冒険者に向いてませんよ。お止めなさい」と言う、非常に稀な称号の事である。
「悪いこた言わねぇ。お前さん、冒険者諦めな」
「嫌」
此処まで言われても引き下がらない頑固さに、さすがのマスターもくたびれた表情を浮かべてがっくりと頭を垂れた。
「お願い、マスター! 何でもいいから仕事頂戴。完璧にやり遂げられなかったら、そしたら諦めるから!」
「そう言われてもなぁ」
渋るマスターを何とかして頷かせたい一心で、レフィスが土下座でもしようかと少しだけ後ろに下がった。その背中が、どんっと何かにぶつかって止まる。
「ひゃ!」
ぶつかった拍子に間抜けな声を上げて振り返る。その視界が、一瞬だけ黒に染まった。
黒いマントを羽織った男が、レフィスを見下ろすようにして背後に立ちふさがっていた。細く折れそうな印象を持つ金髪と白い肌。一瞬エルフかと思ったが、少し伸びた前髪の隙間から覗く紫紺の瞳がそうではない事を物語っていた。
一目見て、彼を美しいと思った。はっとしたまま、息をするのを忘れてしまうくらい、レフィスは背後の男に見惚れてしまっていた。
「邪魔だ。どけ」
惚けたように男を見上げていたレフィスの耳に、簡潔で冷たい声が届いた。どうやらそれはレフィスが見惚れていた男の口から発せられたもののようで、それを裏付けるように男は冷ややかな目でレフィスを見下ろしていた。
「それに煩い。此処はお前だけのギルドじゃない事くらい、分かってると思ってたが」
次々に浴びせられる言葉の数々に、レフィスの思考はおろか表情までもがぴきっと凍った。それまでかすかに鳴っていた胸の鼓動もぴたりと止まり、反対に別の意味を持つ熱が沸々と込み上げて来る。こんな男に一瞬でもときめいた自分を悟られないよう、レフィスが精一杯の非難の目を向けて背後の男を睨みつけた。
「何なのよっ」
「煩い。さっき言った事をもう忘れたのか?」
「うっ」
冷ややかな目を向けられ言葉を飲み込んだレフィスを通り過ぎて、男が何事も無かったかのようにカウンター奥のマスターへ話し掛ける。
「フレズヴェール。何か依頼はあるか?」
「あぁ、ユリシス。いい所に来た。魔物退治の依頼があるぞ」
そう言ってテーブルの上に置かれた丸められたままの依頼書を一瞥して、ユリシスと呼ばれた男が気乗りしない表情を浮かべた。
「もっと報酬のいいやつははないのか?」
「他に手の空いている奴らがいなくてな。受けてくれるなら報酬は一割増してやるぞ。どうだ?」
「そう言って、ライリだけは二割増か? あいつも報酬の分だけちゃんと動いてくれれば言う事ないんだがな」
すぐ側にいる自分を無視して会話を進める男とマスターに、レフィスは自分がのけ者にされたような気分になり、むうっと眉間に皺を寄せてカウンターに身を乗り出した。
「ちょっと、割り込むなんて非常識よ! 私が先なのっ」
「お前は依頼を受けられないんだろ? ランク外のストーンなんて今時稀だな」
「受けるわよ! さっきちゃんとマスターと約束したもの。ねっ!」
縋るような眼差しの奥にかすかな脅迫めいた煌きも感じて、マスターが諦めたように深い溜息をつく。くるりと背を向けて、奥の引き出しから丸められた一枚の依頼書を取り出したマスターは、その中身を確認する事もせずレフィスに手渡した。
「ほら、依頼。かなり危険だが、完璧にこなせよ」
「ありがとう! マスター、大好き!」
手渡された依頼書を握りしめて満面の笑みを浮かべるレフィスを、そこにいた者全員が呆れたような切ないような眼差しで見つめていた。
「絶対やり遂げて見せるから。待っててね、マスター!」
そう言って受け取った依頼書にキスをし、レフィスが突風の如く飛び出していった。嵐が過ぎ去ったようだと思ったのは、マスターだけではなかった。
「……何なんだ、あいつは」
「新米魔道士だよ。仲間もいない、白魔法しか使えない。冒険者には向いてないって、言ったんだけどな」
「でも今、依頼書を渡してなかったか?」
不思議そうに訊ねたユリシスを見て、マスターがにやりと意味深に笑う。
「あぁ、あれはただのお使いメモだ。卵やら肉やら、買ってきて欲しいものが書いてある。本当はバイトにでも行かせようかと思ってたんだがな」
「……買い物リストかよ」
「軽くあしらわれたと思って、もう来ないだろ」
「そう見えるか? 俺はまた来るような気がするぞ」
「そん時はまた買い物リスト渡してやるよ。それはそうと、この依頼受けてくれるか?」
仕方ないと溜息をひとつ零してから、ユリシスがテーブルに置かれたままの依頼書を受け取った。
「雪花の森に無人の古城があるだろ。そこに最近、魔物がやたらと集まりだしてな。数はざっと三十。集まりだした原因は不明だが、とりあえず集まった魔物を全滅させれば何か分かるかもしれないな」
「いい加減だな」
言いながら依頼書を開いたユリシスの眉間がぴくりと動いて、皺を作ったまま固まった。
「……おい。依頼内容は古城の魔物退治だったよな?」
「そうだ。お前さんたちなら朝飯前だろ」
「これがその魔物退治の依頼書か?」
呆れ口調で言って、ユリシスが依頼書をマスターに見えるように広げた。
森の奥にひっそりと聳え建つ古城。その闇に潜む魔物退治を記したはずの依頼書には、何故かこう書かれていた。
『ミトゥルの卵十個。レーメインの葉を一束。リュリュの実を二袋。ゼラリカのモモ肉(あれば左側)。よく冷えたロダを三本。靴の修理が終わったそうだから、それも受け取ってくる事。領収書も忘れずに。花屋のアリスには笑顔を向けろ』
「……」
「……」
数分後。ギルドの奥から、身を捩るような低い唸り声とも取れる叫びが響いてきた、とか。