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二万円の魚

私の町は西側に内海が入り込んでいる。

その海面には、この地名産の真珠を養殖する為の筏が一面に浮かんでいる場所もあるが、その他に近場の猟師たちは*はまちの養殖に精力を注いでいる。



私たち夫婦が三十代のころ。

夫は釣りを楽しむことを覚えた。


兄と共同で中古の木造の釣り舟を購入し、夫は船舶の免許をとり、舟で釣りに出かけるようになった。

私も一度孤島まで乗せてもらったことがある。


はまちの養殖の囲いの外に舟をつけると飛び出したはまちが泳いでいるので、素人の釣り舟の中からでも立派なはまちが釣れることがたまにあるのだ。



或る日、夫は釣り舟を操縦して出かけた。

その日は少し風が出ていて舟が揺れていた。

はまち養殖の囲いの近くに舟を付けて、釣りに夢中になっていた。


だから夫は気がつかなかったのだ――。

ちょうど隣にうちの舟より少し大きな舟が、ぴったり横付けされていたことを。


しばらくして隣の舟の男が、もの申してきた。


「あんなあ、わしの舟にあんたの舟が当たったんよ。エンジンが壊れたわい。弁償してもらわんといけんな……」


いくらか金を出せ、ということだ。

波が寄せて舟が揺れて、お互いの舟がかすり合っただけのこと。


「10万はいるねえ」

夫はあちらの言い分を黙って聞いた。


後日自宅に電話がかかってきた。


「あんなあ、お盆休みでまだ舟が修理ができんのよ。漁を休んどる間は金が入らんけん、その分出してもらわんとなあ」


結局賠償金は20万円に跳ね上がった。


私がその弁償金を払う日時と場所を聞いたのは、ちょうど広島へ住まわせている娘の所に行く前日だった。


――どうもおかしい。ゆすられてるんだな。これは夫一人で出かけさせるのはまずい。

……と私は思った。


交渉の待ち合わせ場所は、自宅からかなり遠くの喫茶店ということだ。


「明日わたしもついて行くから……」

ということで、当日私が同伴することにした。


当時私は小型トラックで、又あるときは軽自動車でフェリーに乗って広島まで出かけ、しばらく娘のアパートに滞在する生活を繰り返していた。


子供をフリースクールに在籍させ、アパートを借りて自炊をさせていたのだ。

子供はまだ世間を知らぬ16歳だった。

親としては命がけの冒険だった。


毎日家で祈り、娘に届けたいのは品物でも人並みの愛でもなく、命をかけた必死の祈りだった。

――絶対に危険はない!

その願いを信念として祈っていた。



そういう状況だったので、私は怖いものはなかった。

ましてや人間が怖いと思ったことはなかった。


バス停の待合所の横の席に酔いどれが座っていても仲良く話した。

バスが来て席を立つとき、酒瓶を持ち酔いどれてへろへろの男は「もっと話したいなあ~、奥さん!名残惜しいなあ」と別れを惜しんだ。


どこかの心理学講座のグループに誘われて参加し、無視されることもあった。世の中とは所詮そんなものなのか、と居場所のない自分に腹をくくっていた。


電車の長い旅の時間は、隣の人とまるで知己のように談笑してすれ違うこともしばしばだった。

だから、人との交渉には自信があったのだ。



待ち合わせの当日、私たちは20万円を持って指定された喫茶店に向かって車を走らせた。

所要時間40分ほどの町にある喫茶店。


丁度店の前に来たとき、男も車から降りてきた。

真っ白いスーツを着て、黒いサングラスをかけていた。


やっぱり……。

とわたしは思った。


喫茶店に入ると、テーブルを挟んで男と向かい合って座った夫と私。


男に20万円の入った封筒を渡すと、男は中身を確かめて言った。

「すまんなあ、奥さん」


私はにこにこと笑っていた。



当時私は子供のことで縋る思いで先祖供養をしていた。


成り行きで、男と私との話の流れはなぜか先祖供養の話に及んだ。

そしてお互いの子育ての話もしたりした。

色々と、まるで親しいかのような雰囲気で雑談をした。


男は何度も何度も繰り返した。

「すまんなあ、奥さん」と。



謝られても金を返してもらったわけではない。


「奥さん、お詫びの印にうちの漁場に来んかな」

「はあ、ええですけど、行きましょか」


私たちは海岸の近くの男の家まで、男の車の後を追って車を走らせた。

20~30分ぐらい走ったろうか。見覚えのある海岸の道だった。


男の家に着いた時は、男はもうすっかり海岸のお兄さんという雰囲気だった。

悪い人ではないような気がした。


「ここに来てみなはいや」


私たちが海への石段を下りて行くと、囲いの中で大きな魚が泳いでいた。

男はその中から、魚を一匹ずつ網ですくいあげた。


「これぐらいでええかな」

10匹すくって、男はそう言った。


私たちはそれを容器に入れてもらって、10匹の「いさき」という魚を持ち帰った。

何事も無かったかのように、その晩いさきの煮物をしたり、刺身にしたりして舌鼓を打った。


翌日まだ沢山魚は残っていたが、私は広島へと旅立った。



後日私が広島から帰り、わが家で音楽のグループ会を持った。

いつもの四人のメンバーで、歌の合間におしゃべりを楽しんだ。


私は先日のその話をした。

20万の弁償金を払ったこと。土産に大きないさきを10匹もらったこと。

とってもおいしかったと彼女らに伝えた。


その中の一人が言った。

「そりゃあ、美味しかったはずだわ。だって一匹2万円の魚だもの……」




            

次話をお楽しみに。

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