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二五
「なん……だとう!」
いつものファミレスで、エーイチは激高していた。俺がエリコちゃんと友達になったと報告したからだ。
「ふざけるな! ふざけるなよ、ちくしょう!」
いつものぼそぼそ声など微塵も感じさせないくらい声を荒げるエーイチに、俺は落ち込む。やっぱり祝福してくれないのだ、と。「声がでかいよ」と彼を諫めようとしてみるが、聞いちゃいない。
「なんでそんなことになってんだよ! なんでそれを俺にいうんだよ!」
「いや、だって、エーイチが報告しろって……」
「ぐ、そんなに、そんなに俺のことを追い込むのなら、俺だっていうぞ! 俺だってクサタロウを追い込んじゃいけないと思って、話さなかったことがあるんだ!」
「え?」いきなりのエーイチの反撃に驚く。話さなかったこと? なんだ、そりゃ。
「い、いうぞお! い、いいか、お前は、お前は……!」
すっかり興奮状態の彼の言葉に耳をそばだてる。
「お前は、誰の物でもない!」
どんっとテーブルを両拳で叩くエーイチ。な、何をいうかと思えば。
「そして、残念ながら、俺の物でも……ない!」
「は?」
ぽかんとする俺。ちょっと意味がわからない。
「いいか、クサタロウ、俺は、ゲイだ」
その言葉は、場の空気を一瞬で固めた。人生経験のまだ浅い俺には、日常生活の中で使っているのを、初めて聞いた言葉だった。
「ゲイ?」
「そうだ。俺の恋愛対象は、男だ」
男だ、という声は消え入りそうなほど小さかったが、確かに聞こえた。とんでもない友達の告白に、絶句した。
そして、ようやく言葉を絞り出した。
「初めて聞いたぞ」
「当たり前だ。初めて話したんだ」
エーイチは俯いたままだったが、顔が真っ赤になっているのがわかった。
「今まで話せなかったのは、偏見を持たれるのが怖かったのと、お前に負担をかけたくなかったからだ」
「別に偏見は。それに負担って。そりゃあ驚いたけど、負担にはならないよ」
「俺はお前に友情を感じている」ばっと顔を上げていうエーイチの目は、潤んでいた。
「俺も感じてるよ」
「だが!」エーイチはぷるぷると震えていた。「友情とは、恋愛対象でない性別間でのみ成立するものだ。恋愛対象の性別の相手との友情、それはまさに恋愛だ」
ええええええ? 俺は口をぱくぱくさせる。エーイチ、お前、まさか、俺に?
「俺は、クサタロウのことを、ちょっといいかなって思ってる」いうが早いかエーイチは顔を背けた。
これはマジか? 本気のマジなのか? なんてことをいってくれるんだ。正直、聞きたくなかった。俺は精一杯の言葉を探した。
「恋愛対象の性別間でも、友情は成立すると思うぞ」
「無理」
「無理って、お前」
「俺はお前のことを気に入ってしまっている」
「そんなこというなよ」
その言葉にエーイチは再び激高して叫んだ。
「そんなことって、なんだ! お前が俺のことを追い込むからこうなったんだぞ! ばかやろう!」
そしてエーイチは、自分の鞄をひっつかむと財布を出し、テーブルの上に千円札をどんと置いて、足早に店を出ていった。
後に残された俺は、嵐が去った後の静けさ、というわけにもいかず、混乱して頭の中が整理できずにいた。なにせ、エーイチのことを、完全にノーマルだと思い込んでいたのだ。しかも俺に好意を持っているなどとは露ほども感じていなかった。とんでもない嵐、激震を起こされたものだ。
「どうすりゃいいんだ?」
エリコちゃんとのことがうまくいき始めた矢先の出来事だった。こんな展開になることなど、まるで予想がつかなかった。俺は本当に頭を抱えた。
二六
エーイチとの間に激震が走った後、それは六月の最初の水曜日の午後二時頃のことだった。エリコちゃんと俺、お互いの休みが水曜日であることを知った俺たちは、毎週水曜日の午後にお茶をすることが多くなっていた。
エーイチのことはエーイチのこととして、いつものカフェでエリコちゃんを目の前にして、今日も可愛いなあ、と見とれて色ぼけしていた俺に、今度は雷が落ちたのだ。
オープンカフェなのかって? いや、あんな雷はオープンカフェだろうが、雨風を通さないしっかりとした屋根のあるカフェだろうが関係ない。落ちてきたが最後、それを回避することは不可能なのだ。
避けようのない突然の雷に打たれた俺は、今まで築き上げてきた物をぶっ壊され、新たに自分を構築するために、困難な選択をせざるをえなくなってしまったのだ。
そう、奴。長里マサシという名の男の襲来によって。
◇
その日はいつものように、原付ではなみずき通りを通り、エリコちゃんに会うために街中に向かっていた。例の建築中の建物の前を通り過ぎる。まだブルーシートがかけられたままだ。何ができるのだろうという興味を抱きながら、通りを過ぎていった。やがて街中に着き、カフェに行くと、もうエリコちゃんは来ていた。そしてカフェに入り席に着くと、すぐに会話が始まった。
「え、サンマリオのブレンドコーヒーって、ブラックにミルクが付いているだけなの?」
「そうだよ。気づかなかった?」
「き、気づかなかった」
てっきり、違う種類のコーヒーなのだと勘違いしていたのだ。いつもブレンドコーヒーを頼んで、ミルクを入れずに飲んでいたので、毎回一〇円損していたのか……。
衝撃(?)の事実を知り、動揺していた。そのときだった。
「あれえ、エリじゃん」
俺たちの座る席の横で立ち止まったその男は、とうとつに、なれなれしく声をかけてきた。
「え、マサシ、今日、休みだっけ」
満面の笑みでそのマサシという男を呼び捨てにするエリコちゃんを見て、俺の心の中は動揺していた。
誰だ? お互い、やけになれなれしい、親しげな感じだ。冷静さを装いつつ探りを入れる。
「ど、どちらさま?」
「あ、彼、マサシっていって、私の同僚なんだ」
「どうも、長里マサシです。えっと、こちらは」爽やかな笑顔で俺を見ている。それだけで何か負けた気になる俺。
「彼は草野くん。私の友達。最近、仲良くなったんだよねー」
エリコちゃんの紹介に愛想笑いをしながら応える。マサシって人のことは下の名前で紹介しておいて、俺の方は名字で紹介するの? どういう差があるのだろう。
釈然としないでいると、マサシさんが俺に向かって右手を伸ばしてきた。
「よろしく」
握手を求めているらしい。むむ。爽やかスマイル一〇〇%だ。身長は一八〇センチはあるだろうか。でかい。眉毛はきりりとしていて、端正な顔立ちをしている。声もはきはきしていて、明るい人間に見える。もてるな、この人。即座に相手の戦闘能力を導きだし、自分との差を知る。卑屈になりながら俺も右手を差し出す。エネルギー吸い取られるんじゃないかな、などとばかなことを考えつつ。
「よ、よろしくお願いします」
気圧された形で握手に応じた俺に、マサシさんは余裕の表情だった。
「じゃあ、うちのエリをよろしくお願いします。俺はもう、店出るんで」
「あ、行っちゃうの? 寂しー」
「何いってんだ。そんなたまじゃないだろうが、お前。じゃあ」
隣の席とこちらの席を区切っているパーティションの陰から首を伸ばして、マサシさんが去るのを確認する俺。彼は手を振りながら、店を出ていった。
うちのエリ? おまえって呼び捨て? 何より、今エリコちゃんは、寂しいっていったよな。あいつがいなくなると寂しいの?
口に出せない言葉を口の中いっぱいにして、ほがほがしていると、エリコちゃんは俺を見てぷっと笑った。
「どうしたの、コウタロウ? 変な顔してるよ」
「い、いや。今のかたは、同僚の、マサシさん?」
それ以上の関係はないのかという意味を込めて確認する俺。しかし、エリコちゃんの返事は、あっけないものだった。
「そうだよ。同期入社のね。マサシとは、うまが合うっていうか、新入社員のときは、しょっちゅう飲みに行ってたなー」
今は? 今もよく飲みに行く仲なの? 訊け、訊くんだ、俺。
生唾をごくりと飲み込む。
「最近も飲んだの?」
「ううん。最近は二人とも部署が変わっちゃったし、忙しくなったから行ってないなー」
その言葉にほっと胸をなで下ろす。そうか、最近はないのか。とりあえず恋人関係にあるとか、そういうことはなさそうだ。
しかし次の言葉に肝を冷やす。
「でも連絡は取り合うよ。あいつ、マメなの」
ええー? マメに連絡取り合うの? じゃあ、二人の間に何か意識していることはあるのか? いや、仲がいいのなら連絡くらいするか。仲がいい? それって親密な関係ってことだろう? やっぱり二人は男女の仲を意識して……。
かつてない衝撃で妄想が爆発し、自滅しかかっていると、エリコちゃんが、ぽんっと両手を合わせる音がして我に返った。
「そうそう。コウタロウにも仲がいい友達がいるっていってたよね。男? 女?」
「え、男。いや、女?」
「え、何それ」
そして、はっとする。そもそも今、エリコちゃんに恋人はいないのか? 訊くしかない。勢いのまま、訊くんだ、俺!
「あのさ、ところでエリコちゃんて他に仲のいい人、その、恋人はいないの?」
訊いた! 訊いたぞ! 心臓をばくばくいわせながらエリコちゃんの答えを待つ。それは一瞬の間のはずだったが、えらく長い時間に感じられ、心臓が疲れた。
「いないなー。今は仕事が恋人だし。あ、でも、募集してないことはないから」
「そ、そっかあ」口だけでも笑顔を作ろうとしてひくひくするのを感じる。意識してないように見せようとして、結果、かなりぎくしゃくしてしまった。
でも、ほっとした。そうか、とにかく今はフリーなんだな。よし。
心の中でガッツポーズを作る。しかし、先ほどのマサシさんとの親しげなコミュニケーションを思い出すと、安心などしていられなかった。エリコちゃんはこんなに魅力的なんだ。他の男が放っておくはずがない。
なんともいえない焦燥感が押し寄せてくる。アイスコーヒーの入ったグラスを握った。
「わ、すごい」
エリコちゃんが目をぱちぱちと瞬かせている。俺はストローを使わず、直接グラスに口をつけて一気にコーヒーを飲み干したのだ。
しかしこのときばかりは、カフェインも俺の心に作用しなかった。落ち着かなくなった心は、エリコちゃんと目を合わせるたびに揺れた。
俺は、ただのフリーター。マサシさんは正社員。社会的立場や収入が違う。結局、女性と真剣に付き合うには、収入や世間体が必要なんじゃないのか? それもしっかりと安定した。真剣に考えれば考えるほどに、それは二人の幸せな生活の確保、維持を目的とすることになっていくため、看過できない要素だと思えてくる。中にはそんなことを気にしない女性もいるのかもしれないが、そういう女性はやはり稀少種だろう。何より、俺の方が気にする。今の俺じゃあ……。
エリコちゃんを見る。コーヒーをストローで飲む仕草が可愛く思えた。しかし、それがよけいに不安にさせる。誰かに奪われても仕方がない。今の俺は、そういうレベルなんだ。
マサシさんという強烈な落雷を受け、今まで小説を傘に遠ざけていた現実と向き合わなければいけないと、真剣に考え始めた。
そう、就職だ。そして焦る気持ちは次の瞬間には、もう俺に、今の思いを口に出させていた。
「エリコちゃん、俺、就職しようと思うんだ」
急かされるようにそういう俺の突然の告白に、エリコちゃんは目を丸くしている。
「いつまでも小説、小説って夢ばかり追っててもしょうがないし、俺も正社員を目指す」
「そう? いいんじゃない? でも、小説は好きならやめなくてもいいと思うけど」
「いや、中途半端が良くないんだ。どうせ可能性のないものだ。この際、きっぱりやめようと思う」
書きかけだった長編小説を思い出す。全体の五分の四以上は書いている。だけど、今はもう、本当にそれどころではない。
正社員になる。そこから、ぶれるわけにはいかない。
少し固い雰囲気になった空間の中で、さらに決意を固めていた。
地震の後は、こんな雷だ。次は何が来るんだ? オヤジ? 俺は心の余裕を失っていった。
二七
俺はさっそく、ハローワークに通い始めた。
しかしすぐに壁にぶち当たる。求人募集のデータがびっしりインプットされたパソコンを前に、俺はどうしたらいいのか途方に暮れた。
やりたいことが、これといってないのだ。
特に手に職、資格も持ち合わせていない俺に、いったい何ができるというのか。
とりあえず、小説、本が好きなので、編集者の仕事ができる出版社の応募を探してみた。
募集要項を見ただけで、大変そうな仕事だなと気分が落ち込んだ。はたして編集者の激務など、自分に務まるのか。締め切り前など、そうとうなプレッシャーで時間に追われることは容易に想像できた。気が遠くなる。しかし、やりたいことが特にない以上、少しでも興味のあるところにチャレンジしなければならない。
俺はパソコンディスプレイに映し出された、車の雑誌を作るその出版社の募集要項をプリントアウトした。
車になど興味はないのだが、今はこれしか求人がないようなので、仕方がない。都会と違って、ここのような地方では出版社の数も限られている。とにかく募集しているところに応募してみるしかないのだ。
それから二週間後、その出版社に送った履歴書の書類選考の合否のお知らせが郵送で送られてきた。どきどきしながら封筒の中身を取り出すと、なんと、書類選考に通ったという旨の手紙が入っていた。
まさか、いきなり信じられないと思った俺は、筆記試験と一次面接のお知らせを読み、日時を確認した。そして急ごしらえで、準備を進めた。
面接当日は、嵐のような大雨だった。風も強く、豪雨の中、何を思ったのか、会社までの道のりを傘を差して二〇分ほど激走した。そんなに離れた距離じゃないし、大丈夫だと思ってしまったのだ。あまりにも甘い考えだった。心の準備ができていなかった。会社に着く頃には、もう全身びちょびちょで、髪の毛も乱れまくっていて、もうどうしようもなかった。なぜタクシーで来なかったのか。せめて合羽使えよ。
会社の受付に顔を出すと、明らかにとまどったような顔をされて、それでも筆記試験用の部屋に案内してもらえた。
ペンを握る右手は、強風の中、飛ばされないように、傘を強く握りしめていたので、握力はなくなっていて、ぷるぷると震えていた。思うように字が書けない。
泣きそうな気持ちで筆記試験を終えた俺は、次に面接室に通され、編集長を名乗る男の審判を受けた。今までの失敗を取り戻そうと、なんとかがんばったが、終始、怪訝な顔をされ、心はもう砕けそうだった。
ようやく面接を終え、「よろしくお願いします」と一礼し、去り際ドアの前でもう一度一礼すると会社を出た。
空は、さっきまで大雨が降っていたとは思えないほど穏やかに晴れ渡っていた。
タイミングが悪かった。悔やんでもどうしようもないこともある。せめて人間にできることは、それを予測して、準備をして、少しでもリスクを回避することだ。それができていなかった俺に、社会は厳しかった。
その会社の不採用通知を皮切りにして、次々と不採用の宣告を受けつづけるのであった。地獄の日々である。
二八
就職活動を始めてから三ヶ月。やみくもに応募しつづけたが、結果は闇雲に消えていくだけだった。定期的に不採用通知は送られてきて、しっかりと敗北感を体に叩き込まれつづける。エーイチとは会っていない。グチを聞いてくれる友達がいなくなってしまったのはつらい。日々、ストレスで体に毒を貯めているようなものだった。
ちなみにエーイチには、俺も正しいのか正しくないのかわからなかったが、精一杯考えて、「エーイチとは恋愛できないけど、尻の方の童貞は誰にも渡さないから」とメールした。メールした後でも、あんなメールをして良かったのかわからないでいた。
今日も体が重い。そう思っていた矢先、エリコちゃんからメールが来た。
「マサシがコウタロウと連絡取りたいっていうから、メアド教えてもいいかな? マサシはいい奴だよ」
特に迷うこともなく……正確には、就活で迷いすぎて考えるのが億劫だったので、オーケーの返事をした。
エリコちゃんとは、この三ヶ月、メールでやりとりはしていたが、月に一回か二回しか会わなくなっていた。いや、会えなくなっていたのだ。以前のように毎週会ってしまうと、毎週、不採用の敗戦結果を報告しなくてはならなくなり、好きな人に負け犬の姿を晒しつづけることが、つらくてしょうがないのだ。だから就活に集中したいからと、いい訳をして、そうしていた。
はあ、とため息をつき、携帯を閉じた。
◇
次の日、さっそくマサシさんからメールがあり、話がしたいから会えないだろうかと誘われた。負けが込んでいる今、あまり人と顔を合わせたくなかったのだけれど、それ以上に、エリコちゃんと仲がいいマサシさんという男がどんな人物なのか、知りたくて、会うことにした。
場所は、彼の方から指定してきた。三ヶ月前に彼と初めて会った、俺とエリコちゃんがよく会うカフェだった。
当日、カフェに着くと、すでにマサシさんは席に座っていた。挨拶もそこそこに彼は、エリコちゃんと俺の関係について訊いてきた。
「エリとは友達なんだよね?」
「あ、はい」
「そうか。エリとは、よくメールをするんだけど、最近、ちょこちょこと草野くんのことが書かれてあってね。まあ、俺も君に会って顔を知っているから伝えやすいからだろうけど、どうもエリは、草野くんのことを好意的に見ているようだね」
「そうなんですか?」
意外な言葉に驚いて、思わず大きな声を出してしまった。エリコちゃんが俺を好意的に思ってくれている。他人から指摘されるということは、本当にそうなのかもしれない。嬉しくなり、疲弊した体が軽くなるのを感じた。
しかしその後のマサシさんの言葉に、すぐにまた、いや、それ以上に疲れを感じる羽目になる。
「どうなのかなって思って」
「え?」どうなのかな? どういう意味だ?
「いやね、エリと草野くんは友達なんだよね。ただの。なのにエリは、君のことをよく思っている。きっとかなりね。もしそれ以上の関係になってしまったら、どうなのかなって」
それ以上の関係ということになると、恋人ということになると思うのだが、それは俺にとって喜ばしいことだ。しかし、なぜマサシさんは、それを疑問に思うのか。
「だってね。付き合うとなると、その先のこともあるわけじゃない? 結婚とかね。俺はエリとの付き合いを軽く考えてほしくないから、付き合うなら相手の男には真剣に付き合ってもらいたい。君はそういうことを軽くなんて考えてないよね? でもさ、男と女が真剣に付き合うには、お互いがお互いにとって、ふさわしい相手かどうかってことが重要でさ」
マサシさんは、そこで腕組みをした。何か重いことをいわれるのだなとわかった。彼にとって重要な、俺にとって耳の痛い話を。
「つまり、何がいいたいかというと、草野くんは、エリに見合う男なのかなって」真剣な目で俺の目を見ている。「どう?」
「え、あ、いや」
見合わない。わかってはいたことだが、他人に指摘されて、改めてその現実に重みを感じる。
俺が何もいえないでいると、マサシさんはおかまいなしにつづけた。
「いや、何も草野くんに対して、悪気があっていってるわけじゃないんだ。でも、真剣に付き合うほどに、そういうのって大事で、もしお互いがお互いに見合っていなければ、傷つくことになってしまうんだ。俺はそれを恐れている。俺はエリの味方だから」
そしてさらに、核心を突いてきた。
「聞いた話によると、草野くんは派遣社員だそうじゃないか。将来のことはどう考えているの」
「それは俺も考えていて……だから、今、就職活動をしてます」
「それで、どこかに就職できそうなの?」
「いや……」また口ごもってしまう。
「このご時世、新卒でも正社員への道は厳しくなっているからね」
痛いときに痛いところを突かれてしまった。正直、正社員になれる気がぜんぜんしなくなってしまっていたのだ。
「エリと友達付き合いをやめてほしいといってるわけじゃない。けど、それ以上のことは考えない方がいいんじゃないかな。エリのことを思うなら」
マサシさんのいうとおりだった。自分はエリコちゃんと付き合おうにも、なんの責任もとれない男なのだ。格差社会というけれど、確かに俺とエリコちゃんとの間には、大きな格差があった。そしてそれを認めざるを得ない俺は、まごうことなき敗北者だ。完全に俯く俺。
「俺はさ、エリには直接話してないけど、エリのことを気にかけている。エリのことは今も大事に思っているけど、いずれ、ちゃんとプロポーズしようと思っているんだ。俺はエリに見合う男だって自負があるから」
やっぱり、そういうことか。マサシさんはライバルになりそうな俺に、手を引いてくれといいに来たのだ。それも、真っ当すぎる正論を盾に。事実、俺は何もいい返せない。自信も何も、すべてぐらぐらになって揺れていた俺の心は、とうとう崩れ落ちてしまった。
「じゃあ、そういうことだから」
マサシさんは伝票を持ち、席を立った。残された俺は、ただうなだれるだけだった。少し顔を上げ、アイスコーヒーの入ったグラスを見る。グラスの表面についた水滴が下に敷いている紙ナプキンをびちょびちょに濡らしている。水分をたっぷりと含んだそれは、もう用をなさない。価値を見いだすことはできない。俺もエリコちゃんにとって、価値のない男なのかもしれない。




