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   二一


 次の仕事の日、いつものようにグッサンと同じ班で仕事をし終えた俺は、帰りの着替えのときに、彼が一人になるのを見計らって声をかけてみた。そして相談した。

 ニクさんに小説の感想をもらうことには失敗したが、彼女のことを諦めきれない、どうしたらいいのか、と。

 するとグッサンは、思ったとおりというか、グッサンらしいストレートな反応を示した。


「そんなの押せ押せっすよ。女の子は結局、自分に強い興味を持ってくれる男を好きになるんすよ。外れる場合もありますけど、とにかくアピールしなきゃ駄目ですね」


 グッサンからの、その答えを待っていた。後押ししてもらいたかったのだ。

 彼が土下座しようとしてまで女性に食い下がる姿を俺は見ている。あの情熱を持った男ならどうするのか。期待した答えだった。グッサンはつづける。


「就活に近いところがあるんじゃないですかね。自己アピールと志望動機っすね。嘘の志望動機でもいいんで、しつこくいかなきゃ。ほら就活だと人生かかってるから、みんな必死こくじゃないっすか。あれが必要なんすよ。俺は女の子といろいろすることに人生賭けてますから」


 グッサンと違って、一夜限りでもいいわけではないので、嘘は駄目だと思うけれど、彼のいうことはもっともだ。自己アピールだ。どれだけニクさんと仲良くなりたいと思っているのかを伝えなくては。グッサンのポジティブなアドバイスを聞き、彼女への気持ちがはっきりとぶり返してきた。

 ニクさんと多少触れ合ってきたことで、ますます彼女のことを好きになっている。でも彼女は俺のことをどう思っているのかわからない。俺のことを知ってもらって興味を持ってもらわないと。そのためには、まずは友達になってもらわないと話にならないのだ。


「そうだよね。がんばるよ」

「応援してますよー。それにしてもあの草野さんに、そこまで思わせる女の子って、どんな子ですか? 可愛い? 見てみたいなー」

「え、いや、それは、俺の結果が出てから、ね」


 しどろもどろに答えてしまった。危ない危ない、危ないよ。だってグッサンは肉食系だよ。他人の獲物だって、お構いなしかもしれないじゃないか。もしもニクさんがグッサンに横取りされたらと思うと、恐怖だ。実際、彼女は可愛いので、グッサンの獲物になりかねない。グッサンに紹介するわけにはいかないのだ。だから、ニクさんに振られるにせよ、うまくいくにせよ、結果が出てからじゃないと恐ろしくて会わせられない。


「そうっすか。残念。でも、興味沸くなー」


 無邪気なグッサンの口元に八重歯が見えた。それが肉食獣の鋭い牙を思わせ、ぞぞぞっときた。

 グッサンだけじゃないぞ。他の男だって、ニクさんを知ったら、付き合いたくなるはずだ。取り返しのつかないことになる前に、行動せねば。

 ニクさんと会えなくなったと思ったときの後悔は本物だった。もう、あんな思いをするのは嫌だ。会える今だからこそ、行動を起こさねば。

 誓いを胸にして、グッサンと共に、車のある駐車場に向かった。外はもう真っ暗だったが、月明かりはある。希望は捨てない。


   二二


 次の日の夜、勢いのままに、一日かけて考えた文面をメールにしてニクさんに送った。

 メールにはただ一言、「話したいことがあるので、会ってください」とだけ記した。

 しかし、返事が来てほしいという期待とは裏腹に二日待っても返事は来なかった。

 こんなとき、グッサンならどうする? 行動あるのみだ。俺だって、今さら引く気など毛頭ない。

 自分の机の引き出しからレターペーパーと万年筆を取り出し、手紙を書き始めた。伝えなければいけないことがあるから。


〈ニクさんへ

 もう小説の感想は貰えないというのに、こんな手紙を書いてすみません。

 でも、いいたいことがあるんです。

 本当は、ニクさんに小説の感想が貰いたくて声をかけたわけじゃないんです。

 本当は、ニクさんのことがよく知りたくて、お友達になってもらいたくて声をかけたんです。

 いきなりお友達になってもらうのは、難しいのではないか、そう考えた僕は、ああいう形でニクさんに会ってもらったんです。

 僕はニクさんのことをよく知りません。でも、知っていることもあります。

・笑顔が素敵だということ。

 接客のときだけでなく、プライベートで会わせてもらったときも、やっぱり笑顔が素敵でした。

・単純に可愛いということ。

 これはいうまでもないです。

・そして、優しいということ。

 ニクさんは覚えていないでしょけど、それを知ったのは、五ヶ月ほど前、去年の一二月のことです。

 サンマリオもオープンしたばかりで、そのときからニクさんがいたのは覚えています。店長ですもんね。

 でも、そのときは、可愛い店員がいるな、としか思っていませんでした。

 僕、臆病なところがあって、だから一目惚れとかできないんです。

 だって、好きになってしまったら、心を痛めることもあるじゃないですか。

 だから、ニクさんのことも、好きにならないようにという意識は働いていました。

 でもある日、そんな臆病風が吹き飛ぶような出来事が起こってしまったんです。

 サンマリオを気に入り、常連客になりかけていた去年の一二月のあの日、僕はサンマリオで、注文したコーヒーを飲もうとして、手が滑って、カップを落としてしまい、ズボンにコーヒーを零してしまったんです。

 ホットコーヒーだったので、思わず「熱い!」と声をあげてしまいました。

 そうしたら、ニクさんがイの一番に僕の席にやってきて、ポットに入った冷たい水を、僕がコーヒーをこぼしたズボンにぶっかけたんです。

 今度は、「冷た!」と叫んだと思います。

 そしてニクさんは、いったんです。


「申し訳ありません。お客様が火傷なされてはいけないと思って、つい」と。


 その優しさに触れた瞬間、僕は恋に落ちてしまいました。

 その後、ニクさんが、店で用意していたドライヤーでズボンを乾かしてくれている間もずっと、どうしよう、好きになってしまった、好きになってしまった、と思っていました。

 僕はニクさんのことをもっと知りたくなりました。僕のことも知ってもらいたいです。

 だから、どうか、僕とお友達になってもらえないでしょうか?

 本当によろしくお願いします。〉


 俺は、手紙を認める(したためる)と、淡い黄色の封筒にそれを入れ、部屋を出た。

 手紙を手に、勇気を胸に、ニクさんのいるサンマリオに向かったのだった。


   二三


 もう一つの商店街にあるサンマリオに着くと、窓越しに中を確認した。いる。ニクさんだ。

 深呼吸を一つすると、レジカウンターにいるニクさんめがけて店内に突入した。

 彼女はすぐに俺に気づき、一瞬、「あ」というような口をし、驚いたようだ。でもすぐに、取り繕ったような笑顔で「いらっしゃいませ」という。

 俺はブレンドコーヒーを注文した。そして待っている間に、意を決してニクさんに話しかけた。


「あの」


 彼女は驚いた表情を見せた。ひるむな、俺。勢いだ。そして、勇気と共に、手紙を持った右手をニクさんに差し出した。


「これ、読んでください。お願いします」


 彼女は固まって動かない。ひるみそうになる心を後ろから支える。押せ。押し切るんだ。


「お願いします」


 頭を下げて、もう一度いった。するとニクさんは、手を差し出してきて、その手紙を受け取ってくれた。隣で注文を受けた別の店員さんは、不振そうな目をしながら「お待たせしました」と、ブレンドコーヒーを出してくれた。

 会計を済ませ、席に着く。レジカウンターからは見えない位置の席を選んだ。

 やったぞ。俺はやった。やり切った。ちゃんと友達になってくださいという手紙を出せた。長い道のりだったが、ようやく。やれることをやったのだ。これでたとえどんな結果になったとしても、もう後悔はない。

 店内の周りの人間の目が気になって恥ずかしいという気持ちよりも、ニクさんに手紙を渡さなければいけないという使命感、そして渡せたという達成感の方が大きく、気分は高揚していた。

 そして、コーヒーを飲みきり、席を立とうとした瞬間のことだった。つかつかと誰かが歩み寄ってきた。ニクさんだ。彼女が俺の席までやってきたのだ。

 彼女の指先には、読んだばかりであろう手紙が、封筒から出され掴まれていた。

 まさか、すぐにニクさんが来てくれるとは予想していなかったので、驚いた。でも、あのニクさんがわざわざ来てくれたのだ。自分の口でも伝えよう。


「あの」

「手紙、読みました」俺の言葉を遮って、いった。


 その目には、力が込められている。どきどきしながら、俺は声を捻り出す。


「はい、その」

「最初からいってくれれば良かったのに」

「え」


 どういう意味かと考えあぐねている俺に、ニクさんはつづけた。


「私とお友達になりたかったんですね。私を気に入ってくれた動機もよくわかりました。いいですよ。お友達になりましょう。草野さんは面白い人だし、私も草野さんに興味が湧きました。いっぱいお話して、お互いのことを知り合いましょう」


 矢継ぎ早にいう彼女の言葉が、にわかに信じられなかった。小刻みに喉を振るわせながら確認した。


「本当に、お友達になってくれるんですか」

「はい」


 心の底から、何か全身を喜びで振るわせるものがせり上がってきて、体から吹き出した。


「ばんざーい!」


 気づくと俺は、両手を天に突き上げ、大声で叫んでいた。

 すぐに我に返り、「あ、すみません」という俺にニクさんは、「あの、他にお客様もいますので」と、困惑した声を出した。でも笑顔だった。


「よろしくお願いします」


 頭を下げる俺に、彼女はいった。


「私たち、仲良くなれるといいですね。あは」

「は、はい。あは」


 ニクさんをいつも笑顔にできるくらい仲良くなりたい。彼女と握手がしたくなり、足を踏み出し前進した。


   二四


 ニクさんと最初にプライベートで会ったカフェの中で、今、目の前には彼女がいる。れっきとした友達として。もう喜びを噛みしめずにはいられない。

 俺は浮き足立ちながら、ニクさんに好印象を与えようと話をしていた。嫌われないように、という後ろ向きな意識ではなく、好印象を与えようというポジティブなそれが働いているところが、この三ヶ月ほどで、もっとも成長したところだと思う。いいぞ、俺。

 彼女の名前は、仁久絵里子ニクエリコ。友達からはニクコなんて呼ばれているらしい。確かに、肉食系でバイタリティのある彼女らしいニックネームだ。「好きな食べ物も焼き肉なんだけどね。あは」なんていうニクさんは、肉食系だとは思えないほど、愛くるしい。

「俺のクサタロウというあだ名と通じるものがありますね。俺は典型的な草食系男子なんで」というと、「気が合うかもね」なんて返され、俺はご満悦。

 ご機嫌な俺に彼女が提案した。


「でも、せっかく声をかけてくれて縁ができたんだし、普通の友達と同じあだ名で呼び合うよりも、別の呼び方をした方がいいんじゃないかな。どう?」

「いいですね」


 それって、特別な関係だと思ってもらえているんですか? とニクさんに尋ねたくなったが、そこは草食系男子。それは訊けずに、もんもんとしながら、ニクさんをなんて呼ぶか考えた。

 エリコ。正直、下の名前で呼びたい。呼び捨てで。

 俺のように女性を名字にさん付けでしか呼べない男にとって、下の名前で呼ぶことはかなりハードルが高い。

 しかしそれ故に、憧れがある。男の独占欲というか、とにかく男の何かを満たすようなものが、そこに含まれているような気がしてならない。

 普通にフレンドリーに下の名前を呼べちゃう人たちは、そんなこと意識せずにできてしまうのかもしれないが、俺にとってはウルトラでスペシャルなことだ。

 エリコって呼んでもいいですか?

 いいたくてもいえない、その言葉を口の中でもごもごしていると、ニクさんが喋った。


「コウタロウって呼んでもいい?」


 こともなげに下の名前で俺のことを呼ぶ彼女に、即座に「はい」と返事をした。

 俺は嬉しくて、にやけそうになる自分を自制しながら、「じゃあ、俺も、エリコ、ちゃん、でいいですか?」と便乗するようにいった。

「うん」と答えるエリコちゃんの前で、「ゲットオオオオ!」と叫んだ。もちろん、心の中でだが。

 エリコちゃん。いい響きだ。エリコ、と呼び捨てにする勇気は出なかったが、エリコちゃんと、ちゃん付けで呼ぶのも、またいいじゃないか。なんだか、好きだよ? と呼びかけているような愛しさを感じる。

 俺が頭の中で、妄想を爆発させているとも知らずに、エリコちゃんはいろいろ話してくれた。

 別の店舗のサンマリオに移ったのは、最初の店舗の運営をうまく軌道に乗せた腕を評価されて、今の店舗もうまく軌道に乗せるためである、とか。店舗経営で裏方の仕事も多いけれど、やっぱり表に立って、客の顔を見ながら笑顔で接客するのが自分には合っている、とか、昨日の晩も、やっぱり焼き肉だった、とか。客と店員の関係では絶対に聞けなかったような話をしてくれた。

 そして俺も、がんばって話をした。

 バイトではこんなことをしている、とか。バイト先にすごい肉食系の奴がいて、自分もそこまでいけなくていいにしても、今のままじゃ駄目だと思い、エリコちゃんに声をかけた、とか。仲のいい友達が一人いるが、最近そりが合わなくて困っている、とか、小説は結果は出ないけれど、文章を書くこと、物語を作ることはやっぱり好きだ、とか。

 そしてエリコちゃんが好きだから、訊きたいこともたくさんあった。今の関係で全部訊けることばかりじゃないけれど、訊けたことを彼女は答えてくれた。

 俺が話をすると、エリコちゃんが応えてくれる。俺もエリコちゃんの話に応える。次、何を話そうかと、会話に間が空くこともあった。でも、こんな自然な会話ができる幸せを、胸いっぱいに味わっていた。

 今この瞬間、エリコちゃんは俺だけを見ている。俺のことだけを考えてくれている。なんという贅沢。細胞の一つ一つにまで、幸せが行き渡っていくのを感じた。

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