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九
あれから俺なりに考えて、いろいろ考えた結果、次の作戦を実行することにした。
マジック用にとファンシーグッズで手に入れた、玩具の一億円札を、会計のときに出してみる。
玩具の一億円札は明らかに普通のお札よりも厚みがあり、一目で偽物だとわかるので、悪意で偽札を出してきたとは思われないだろう。一応、そこまで気にする俺。
ギャグだ、と気づいてくれるはず。そのはず。「お客様、こんな大きい額ですと、お釣りが出せません」という、高度な返しもされないだろうから、慌てる必要もないはず。そのはず。
これが俺という矮小な人間が一週間で導き出した答えだ。
もっとよく考えろという内なる声も聞こえなくはないが、俺という小心の人間は、ぐずぐずしているとネガティブな心に覆い尽くされて、ニクさんとの距離を縮めるという大元の作戦自体諦めかねないので、もうやる。
玩具の一億円札を渡したときに、「あ、間違えた」といってみよう。もし笑いが取れなかったきの秘策も考えてある。
人は相手が笑顔になると、つられて自分も笑顔になるという習性のようなものがあるらしい。何かの本で読んだ。
二段構えの仕掛け。用意周到な俺。
草食系男子の俺は打たれ弱いからな。駄目だったときの作戦も同時に考えておかなければな。こういうのをリスクマネージメントとかいうらしい。これも本で読んだ。
いよいよ実行の日。カフェの外でガラス越しに店内を覗き、レジカウンターにニクさんがいるのを確認する。幸いなことに、今は彼女がレジを任されているようだ。
この日のために長財布も購入した。なんで必要かというと、玩具の一億円札は堅い厚紙でできているため、俺が常用している二つ折りの財布には収まらないからだ。
それでも普通のお札より一回りは大きいのですでにはみ出しているけれど。
玩具の一億円札を出すタイミングは、自分の部屋で一〇〇回は反復練習をした。準備よし。行くぞ。
両頬を両手で挟み込むように叩き、自分に気合いを注入。道行く人に変な目で見られたが、変じゃないとこれから行うようなことはできないので、よし。
店内に入り、緊張しながらレジカウンターに近づく俺。レジの前のニクさんの横にいる店員さんに、「店内でお召し上がりですか?」と訊かれる。予定通り「はい」と応える。「それではご注文をどうぞ」これも予定通り「ブレンドのSサイズをホットで」と応える。
そしていよいよ彼女の元へ。ニクさんから「Sサイズのホットブレンドでございますね。二〇〇円になります」といわれる。これもまた予定通り。一〇〇回以上シミュレーションしたからな。
俺は鞄から長財布を取り出し、そこから玩具の一億円札を出す、予定だった。
「あれ? ない」
驚いて思わず声に出してしまった俺。ないのだ。長財布の中に玩具の一億円札が。
冷静に考えれば、最初からはみ出していたのだから、ずれて鞄の中に落っこちているとわかるはずなのだけれど、気がつくと、俺はてんぱり、「あ、あります」といい、普通に二〇〇円を出していた。
しかし俺は、すぐに玩具の一億円札が鞄の中に落っこちていることに気づいてしまったので、今度は慌てて予定していたところとは違うタイミングで「あ、間違えた」といい、一億円札を取り出し、それを二〇〇円の上に置いてしまい、さらに「あ、間違えた」といった。
呆然とする俺。なんなんだ、これは。いや、なんなんだはニクさんの方で、俺の意味の通らない一連の流れを目の前で見せられ、きょとんとした顔をしていた。
うわー、となった俺は、ますますてんぱった。いかん。わ、笑え、俺。
「はは」
明らかに引きつっている笑顔だと自分でもわかった。しかし、そんな俺にニクさんは優しかった。
「あは」
笑ってくれた!
また「はは」と笑いながら一億円札を鞄にしまい込む俺。その後、会計は滞りなく進み、席に着いた。
よ、よし。とりあえず成功だよな。うん。これは成功だ。
淹れ立ての香り豊かなブレンドコーヒーが鼻孔と喉に通るのを感じながら、小さな歓喜も感じる俺であった。
一〇
その二日後、すぐに次の手を考えついた俺は、はやる気持ちのままニクさんのいるカフェに行った。店の窓越しに店内を見ると、今日も彼女がレジにいる。アタック開始だ!
いつものように注文したコーヒーにお金を払う。二百円ちょうどではなく、五百円玉を出すのが、今回のミソだ。そしてお釣りを受け取るための左手をニクさんに向けて差しだした。予定どおり、彼女は三百円とレシートをその左手めがけて渡そうとした。
すると、ニクさんの動きが止まった。
なぜなら、俺の掌に、やる気スイッチと添え書きされた、小さな赤いボタンが付けられていたからだ。
やるなら、ニクさんとコミュニケーションがとれる作戦を実行したいと思った俺は、これは面白いのではないか、と思いつき、実行に移したのだった。スイッチはそれらしいものを百円ショップで手に入れた。百円ショップには、なんでも置いてあるよな。
もしもこのスイッチを押してくれたら、コミュニケーション成立だ! はたしてどうなる?
「えい!」
掛け声とともに、ニクさんがやる気スイッチを押してくれたのだ!
「あは。やる気でました?」いたずらっこのように、にこっと笑うニクさん。
「は、はい。すごく」
やった! やったぞ! コミュニケーション成立だ! 有頂天になった俺は、テーブルに着く際、テーブルに足をぶつけてよろけてコーヒーをこぼしそうになった。でも、「ドンマイ、俺」と笑顔でいえた。だって、そんなこと気にする必要もないほど、でかいことが起きたからね!
一一
ある日の土曜日、正午ごろ、俺がいつものようにニクさんのカフェでアクションを起こした後、読書をしていると、レジカウンターの方からドスの効いた男の声が響いてきた。
そちらを見ると白いスーツを着た俺と同い年くらいで五分刈くらいの坊主の太めの男が女性店員に向かって何やら叫んでいた。めちゃくちゃ不穏な空気を感じる。ヤカラだ。
「だからよ、ここらは俺らのシマだからショバ代払ってくれなきゃ困るんだよ!」
すぐにニクさんが駆け付け泣きそうになっていた女性店員の代わりに応対を始めた。
「当店はちゃんと家賃を払ってこの場所で営業しております。突然来られてお金を要求されても困ります」
「お姉ちゃん、困ってんのはこっちなんだって。ショバ代払わずに勝手に営業されてるとこちらとしても実力行使に出るしかねえな!」
あいかわらず大声で喋る男に彼女はお静かにお願いします、他のお客様にもご迷惑がかかりますのでという。
「だったら払ってもらおうか。静かにしてもらいたいならな! 俺は何度でもここに来るぞ!」
ニクさんの顔を見る。毅然とした態度で応対しているが、青ざめているのが見てとれる。
助けなければ――。
そう思うや否や、俺はニクさんの元へ向かっていた。
「お兄さん、警察呼びましょうか」
突然、背後からこんな声をかけられたものだからヤカラは、驚いた表情をしていた。しかしすぐにさきほどのヤカラに戻る。
「な、なんだ~、てめえ! 関係ない奴はすっこんでろ!」
「俺の親父は松山東署の署長をやってるんです。電話をかければすぐ警察官が来ますよ」
スマホをヤカラに向かって見せる。
「なんだと?」
ヤカラが額に汗をにじませ始めたのがわかった。
「おまえ、高安の息子か」
高安? 署長の名前だな。
「そうです。高安は俺の親父です」
たぶん名字だと思うので俺も高安なわけだが。
するとヤカラはマジマジと俺の顔を凝視し始めた。
「確かに……目元がどことなく高安に似ている気がする」
勝手に勘違いしてくれている。乗っかることにした。
「よく目元が親父に似ているといわれます」
ヤカラの額からさらに汗が流れ始める。
「ち、邪魔したな!」
ヤカラは踵を返し、出口に向かう。少し小走り気味だ。俺は追い打ちをかけた。
「ここは、俺のお気に入りの店ですからね。俺はいつでもいますよ。もう来ないでくださいね!」
「う、うるせええな。二度と来るかよ!」
そういってヤカラは去っていった。聞きたかった捨て台詞も聞け、ホッとする俺。すると店内で誰かが拍手をし始め、やがてそれは全体を巻き込み大きくなった。
気づけばニクさんも拍手をしていた。満面の笑みでだ。
「お客様、すごいです。警察署長のご子息だったんですね。ありがとうございました!」
興奮気味にいう彼女に、頭をかきながら応える。
「いやあ、嘘です」
「嘘?」
目をぱちくりさせ、動きが止まるニクさん。
「はい。はったりです」
嘘つきは嫌いかな。俺が気にしていると、彼女はぱあっと明るい笑顔を見せてくれた。
「やっぱりすごい。勇気がおありなんですね。格好いいです!」
勇気、格好いい。その言葉を反芻する。
あなたのためなら。そんな言葉が喉元まで出かかって止まる。俺は、「いやあ」と照れ笑いをしていた。
◇
結局、その日は頼んだ品をタダにしてもらい、何でも好きなパンを持って帰ってくださいというので、一度は遠慮したが向こうの気も済まないだろうと察し、チョコクロワッサンドーナツを一個だけ頂くことにした。
今、そのパンを帰ってきたばかりの自分の部屋で食べているところだ。にやにやしながら。
『勇気がおありなんですね。格好いいです!』
何度もニクさんの言葉とそのときのニクさんの表情をを脳内再生している。にやにやが止められない。
帰ったとき玄関でばったり遭遇した姉に、「なによ。にやにやして気持ち悪い」といわれたが、いいもんね。ニクさんには格好いいといわれたし。好きな人のためなら勇気がわくことがわかったのもでかい。
『勇気がおありなんですね。格好いいです!』
むふ。笑む俺。
今ならいけるんじゃないの? 作戦成功するのでは。
「次、行ったとき決行するか」
だが待てよと思う。すぐやっちゃうと、下心丸出しのドスケベ野郎と思われないか。うーん。
しばし考える。
「やっぱり今までの作戦通りにいくか。まだマジックのネタも残ってるし」
結局、次、決行とはしなかった。だが流れは来ている。追い風だ。そう思い俺は残りのクロワッサンドーナツを飲み込んだ。
一二
それからレジカウンターでのアクションを繰り返していた何度目かの日、今日も左手にある仕掛けを施しお釣りをもらう段階になった。
お釣りをもらうため、握りしめた左手をニクさんに差しだす。そしてぱっと開いた。中からは、掌に納められていたとは思えないほどの大きさの花(造花)が飛び出してくる。
「わ」と、彼女は目を見開いていた。俺はにやりとする。結局、簡単なマジックをしているが、ニクさんの様々な表情が見られる楽しみな瞬間になっていたのだ。
そして注文したブレンドができあがり、手渡された瞬間だった。ニクさんがいったのだ。
「あは。お客さんて、面白いかたですね」
体内を電撃が走った。俺はとりなし、「はは」と応え、席にコーヒーを置くと、店内のトイレに向かう。
中に入り鍵を閉める。畳一畳ほどのスペースのトイレ。清掃は行き届いており、芳香剤の香りと共に清潔感が漂っている。きっとニクさんが丁寧に清掃しているのだろう。
洗面台の上半身が完全に映るくらいの大きな鏡に映る自分を見た。どんな顔をしているだろう。
心からの喜びは隠せない。案の定、にやけていた。
幸せ者め。
よし、よしと外に漏れないように小さな声を出し、両手でガッツポーズを決める。若干、その場で跳ねながら。
『あは。お客さんて、面白いかたですね』先ほどのニクさんの笑顔と言葉を反芻する。
認めてもらった。面白い奴だと。
つづけてきた作戦が実を結んだのだと確信する。両手を天井に向かって突き上げた後、鏡に映る自分にいう。
「このまま、ただの面白い人で終わってはいけない。よーし。次、決行だ」
手紙を渡そう。




