2
五
翌朝、昨日の決意が変わっていないのを自分の胸に確かめると、それを実行するための作戦を考え始めた。
なんの作戦かって?
ニクさんに告白するための作戦だ。そう、俺は、告白することに決めたのだ。
正直、振られるのは怖い。そうしたら、もうあのカフェには通えない。店員と客。彼女とは今の関係、距離感がちょうどいいのかもしれない。
だけど、グッサンが昨日いっていたように、人生は一度きりだ。一度きりの人生で、ニクさんと仲良くなりたい。仲良くなってもらいたい。彼女のことを、よく知りたい。
だから俺は、もう告白することに決めたのだ。
さあ、どうやって告白しよう。どんな作戦なら、ニクさんと仲良くなれるのか。
いきなり付き合ってくださいといっても無理なのは、わかっている。それは違う。俺だってニクさんのことを詳しくは知らないのだ。どんな人かわからないのに付き合えないのは、特に彼女の方からしたら当たり前だろう。もちろん、いきなり付き合える人もいるのかもしれないが、それは特殊ケースだと思っている。俺にそんな奇跡は起こらない。
では、友達になってください、ならどうだろう。うーん。いきなり声をかけられて、しかも声をかけてきた相手が俺。俺ごときと友達になりたいと思うだろうか。無理目な気がする。
こんなとき、小説の主人公なら、どうするのだろう。小説の主人公なら。
小説か。
……。
はっ。
そのとき、突然、ひらめきが生まれた。
俺は小説を書いている。書き上げると投稿する前に、いつも、エーイチに読んでもらい批評をもらっていた。小説を読んでくれる人は、俺には彼しかいないので、本当に助かっている。だから批評をもらうときには、ギブアンドテイクのつもりでエーイチにはお茶や食事を奢るようにしている。
そして、いつかしらエーイチに、こんなことをいわれたのだ。カフェで批評をもらっていたときにだ。
「もし可能なら、いろいろな人に読んでもらった方がいいだろうな。人によって視点は違うし、意見をいってもらえたら、また違うだろうし」
エーイチなりに俺の小説を思っての発言だろう。そういわれたとき、確かに女性視点での意見も聞きたいと思ったのだ。
だが、今の俺には頼めるような女友達もいない。そこで、さっきひらめいたのだ。
ニクさんに頼んでみてはどうだろうか、と。
「自分は小説を書いて投稿しているのですが、その小説を読んで、女性の視点で、感想をくれる人を探しています。感想は、面白かった、つまらなかったの一言だけでも構いません。そうしていただけると、とても助かります」とでも頼んでみてはどうだろうか。
もし気のいい人なら、話を受けてくれるかもしれない。これはある意味、ニクさんの人間性を量る意味でもいいかもしれない。
俺は優しい人と付き合いたい。一目惚れしただけでなく、彼女の接客態度も見て、素敵だと思えたのだ。
もちろん、小説を読んでもらうのは、こちらの厚かましい都合だし、俺はニクさんの友人でもなんでもないのだ。彼女が優しい人でも面倒だろうし、断るのが普通かもしれない。
でももし彼女がOKしてくれたなら、かなり優しい人に違いない。この方法なら、よしんば断られても気まずくないので、またあのカフェに通えると思うし、いいんじゃないだろうか。
なんだかグッドアイデアを思いついた気になった俺は、それを実行に移すために、どうすべきかを考え始めた。
六
あれから一週間くらい考えてみた。決意が揺るぎそうになる瞬間もしばしばあった。やはり拒絶されるのではないかと思うと、身震いがする。
でも他にアイデアは思いつかないし、何かニクさんと知り合うきっかけを作らないと、彼女とはなんにも起こらない。ささいなきっかけで縁ができることがあるとか、よくいうじゃないか。きっかけを作るのだ。そのために、やれることをやらないと。それさえしなければ、人生という川で、ただ流されていくだけだ。自分の意思と力で泳がないと。
そうやって迷いながらも決意を固めていた俺は、自分の六畳の畳の部屋をぐるぐると回りながら、どうやって彼女に声をかけるべきか考えていた。
レジで話しかけるのは勇気が要るし、仕事の邪魔になる可能性もあるよな。そうだ。手紙を渡そう。それがベストな気がする。いつ、どんなタイミングで渡すかも考えておかなければ。
でも、いきなり知らない人間が手紙を渡して、そこに書かれた申し出を承諾してくれるだろうか。そもそも、ちゃんと読んでくれるのか? うーん。手紙を渡す前に、何かアクションを起こしておくべきではないか。ニクさんに良い印象を与えておきたいなあ。何かないか。
そう考えると、腕組みしてその場で立ち止まり、目をつぶった。頭を捻り、また「うーん」と唸る。
そして、再び部屋の中をぐるぐると回り始めた。すると、またアイデアが頭に浮かんだ。
そういえば、何かの本で相手を笑わせると、心の距離が縮まると書かれてあったぞ。そうだ、笑いを取ろう。ニクさんの笑顔は見たいし、自分が彼女を笑顔にさせたら、それはえもいわれぬ喜びだ。
すごくポジティブな妙案を思いついた気になった俺は、心が弾んだ。ついでにその場でジャンプする。着地すると、その高いテンションのまま、すぐにそのために何をするべきか考えた。
レジのときだな。レジのとき、一瞬で笑わせなければならない。でも、自分というちっぽけな草食系男子にそんなことが可能なのか? 今までだって、女性を笑わせたことも、笑わせようとしたことすらないのだ。
また気持ちがネガティブに入っていくのがわかった。だが、今の俺には、すぐに気持ちを盛り返すだけの動機があった。
人生は一度きりしかないのだ。そして、今、ニクさんを諦めるということは、今後の人生でも女性と仲良くなることを諦めるということだ。
俺はすぐに気持ちを立て直し、再び考えつづけた。そして、またひらめきが生まれる。
手品はどうだろう。レジでの会計の際に、支払いをするときだ。そのときに、一瞬のお札とかコインを使ったマジックとか。そうだ、マジックがいい。
そう思いついた俺は、小走りで部屋を飛び出し、本屋までマジックの本を手に入れるため、自転車を走らせた。
七
とりあえず、どんなマジックをするかを決めた。手のひらに乗せた五〇〇円玉を、手のひら大の花に変えるものだ。
だがすぐに問題が発覚した。改めて気づかされたのだ。自分が、とてつもなく手先が不器用だという現実に。
このマジックをすると決めてから五日間、仕事以外の時間はほとんどその練習に費やしてみたが、さっぱりできない。できる雰囲気すらない。できそうだというイメージなど、まったく湧かない。
ならば実践で腕を磨こうと思い、今さっきもエーイチの前でマジックを披露するつもりでいたら、する前に、「その手首の裾のところに入れてある花らしきものは、なんの意味があるんだ」と突っ込まれてしまった。まだマジックをするともなんともいっていない段階で。
ここはいつものファミレス。エーイチは同じテーブルの対面の席から、不振そうな目で、いつもと違う行動をとる俺を見ている。
しょうがないので、事情を話した。
するとエーイチは、驚きの表情と疑いの目を俺に向けた。
「そんなことが我々のような人間に可能なのか?」
さらに、追い打ちをかけるように、「不器用なクサタロウにマジックなんてムリだよ。恥をかくだけだ。やめておけ」と釘を刺された。エーイチは、焦っているように見える。
俺も焦りながら「やっぱりそうか」といつもの草食系の自分に戻り、エーイチはその言葉にほっとしたように「そうだ、そうだ」と応えた。
そしてその話はそこでたち消え、いつものエーイチのアニメや取り留めのない話に戻った。でもなんだかエーイチは、ぎくしゃくしていた。
それはそうだろう。二次元しか愛さない男には、俺の今回の話は刺激が強すぎるし、癪に障ったのかもしれない。
でもそれって、やっぱりエーイチは、二次元しか愛さないんじゃなくて、今はそうするしかなくて、本当は現実の女性を愛したいことの表れじゃないだろうか。
だって、今のエーイチの反応からは、俺にも現実の女性に目を向けないでほしい、俺だけ抜け駆けしないで欲しいというような、自分を置いていかないで欲しいというような訴えを感じられて、エーイチは二次元だけを愛するという状況に、本当は満足できていないからこその訴えに見えるから。
話すべきではなかったか。
そしてそのまま変な空気を纏った俺たちは、ファミレスを出て別れた。
家に帰ってすぐに自分の部屋に戻ると、また、ぐるぐると部屋の中を回り始めた。
マジックに関して、エーイチにミソをつけられる形になったけれど、確かに俺は、昔から手先が不器用で覚えが悪い。マジックには向いていないのだ。向いていたのは、ピッチャーだけ。なぜか野球の硬球だけは最初から投げられるイメージがあって、実際そうだった。不思議。いや、今はそれどころじゃない。
そもそも素人レベルのマジックって、笑いが取れるものなのか。普通は、おーってなるくらいで、あははとはならないんじゃないか?
進む方向を間違えたと思った俺は、またネガティブに入りそうになったが、すぐに別の手を考え始めた。
どうも思考がポジティブになるような回路が、頭の中にできてきたようだ。ぐるぐると歩き回りながら考えつづけた。
それにしても、エーイチの反応は残念だった。やっぱり、ああなるか。彼にとって望まないことなんだな。
立ち止まりそうになる。それでもぐるぐると歩き回りつづけた。
八
マジックにつづく次の手を考えていた俺は、休日の水曜日の夜、ニクさんのいるカフェにいた。
いつもはだいたい、休日の朝か昼の時間帯にここに来るのだが、今日は部屋に籠もって、彼女と友好関係を築くための作戦を考えていたら、あっという間に夜になってしまったのだ。だから、いつもより遅い時間だけど、今、カフェに来ている。
貴重な休みの日、週に一度はニクさんに会っておきたい。会うっていうか、こっちが一方的に見るだけなんだけど。
朝昼のニクさんの勤務時間帯はだいたい把握しているのだけれど、夜の時間帯は知らない。はたして、今日もいるだろうかとカフェに来てみると、幸いなことに彼女はいた。
レジカウンターにいるニクさんが見えるベスポジ(ベストポジション)を確保。ラッキーと思いつつ、読書をする俺。ちなみに、いつも頼むブレンドについてくるミルクは使わない派だ。コーヒーの味をダイレクトに楽しみたいから。
気づいたら、あと三〇分で閉店の二二時。今日はこのままラストまでいるかと思って、ニクさんをちら見しつつ、読書をつづけていた。
そして二一時四五分を過ぎたあたりだった。ニクさんの、いつもとは違う声が聞こえてきた。
「おそれいります、お客様。もうすぐ閉店でございます」
声のする方を凝視すると、なんと彼女が、各テーブルを回って客に、閉店間際の声掛けをしているのだ。
だんだん俺の席に近づいてくるニクさん。緊張と期待感もだんだんと高まってくる。
そして、俺に声をかけた。
「おそれいります、お客様。もうすぐ閉店でございます」
「あ、はい」
急ごしらえで用意した、今まで披露することのなかった精一杯のスマイルで俺は応えた。
ニクさんはそのまま次のテーブルに向かう。
いつもと違う、彼女との距離間に、俺はかつてない喜びを感じていた。
これは、コミュニケーション。客と店員という枠組みの中で最大限ポテンシャルを発揮したコミュニケーションだ。
今までにないシチュエーションに、心を一瞬で持っていかれて本気でそう思い、すぐに、何考えてんだ俺、と冷静になったけれど、確かに俺は感じていた。幸せを。
いい。ニクさんはいい。
そしてすぐに、あ、と思った。
このタイミングだ。このタイミングで手紙を渡せばいいんだ。レジで渡すよりも人目を気にしなくていいし。
店内を見渡す俺。俺のいる禁煙席は広さが二五メートルプールくらい。その端のソファー掛けの席の客に彼女は最後の声掛けをしていた。
そうだな。あの席。ニクさんが最後に声掛けをするであろう一番端っこの席で待機していればいい。
この時間帯、店内にいる店員は三人。毎回ニクさんが声掛けで回ってくるとは限らないだろうけど、この先も回ってくることはあるはずだ。待っていれば必ず。
夜、ニクさんがいる時間帯をチェックしなければ。チャンスはある。あとは手紙を渡すだけだ。
光明を見い出した気になった俺は、コーヒーカップを食器返却の棚に戻す。
三人の店員の「ありがとうございましたー」のハーモニーのような挨拶の中にニクさんの声がするのをしっかり鼓膜で確認して店を出た。
そしてさっきの幸せを噛みしめながら、この幸せがつづくことを祈りながら帰路に着いた。




