第13話 黒瀬瑠歌、登場
瑠歌の歌声が会場に響き渡ったあと、私はしばらく動けなかった。
胸の奥が熱くて、苦しくて、でも幸せで。
こんな感情、今まで味わったことがない。
(……なにこれ……)
自分でも驚くほど、心臓がドクドクしていた。
優ちゃんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「ひよりさん……大丈夫……?」
「……うん……なんか……すごい子だった……」
「すごい……どころじゃなかった……」
優ちゃんも震える声で言った。
そのとき、控室の扉が開いた。
黒瀬瑠歌が、ステージから戻ってきたのだ。
---
彼女は無表情のまま、静かに歩いていた。
拍手を浴びても、誰かに声をかけられても、表情は変わらない。
でも――
その無表情が、逆に美しかった。
(……綺麗)
私は思わず息を呑んだ。
瑠歌は控室の隅に座り、静かに水を飲んだ。
その仕草ひとつひとつが、絵になる。
周りの候補生たちがざわざわと話し始める。
「さっきの子、やばくない……?」
「歌、プロじゃん……」
「表情管理も完璧……」
「絶対上位だよね……」
誰もが口々に彼女の名前を出す。
黒瀬瑠歌。
その名前が、会場の空気を支配していた。
---
私は気づいたら、瑠歌から目を離せなくなっていた。
(なんで……こんなに気になるんだろ)
初めて見る子なのに。
名前を知ったばかりなのに。
胸の奥が、ずっとざわざわしている。
優ちゃんがそっと私の袖を引いた。
「ひよりさん……」
「ん?」
「……ひよりさん、さっきからずっと……あの子見てる……」
「えっ!? あ、いや、その……!」
私は慌てて視線をそらした。
(やば……バレてた……)
優ちゃんは小さく笑った。
「……ひよりさん、あの子のこと……気になるの?」
「き、気になるっていうか……なんか……すごい子だなって……!」
「……うん。わかるよ。私も……見惚れちゃった」
優ちゃんがそう言うと、胸が少しだけ軽くなった。
(そうだよね……誰だって見惚れるよね……)
でも、私の胸のざわつきは、優ちゃんのそれとは違う気がした。
もっと強くて、もっと深くて、もっと……特別な。
---
そのとき、瑠歌がふと顔を上げた。
黒い瞳が、まっすぐこちらを向く。
(――っ)
心臓が跳ねた。
目が合った。
ほんの一瞬。
でも、確かに合った。
瑠歌はすぐに視線をそらし、また静かに前を向いた。
でも、私はその一瞬で息が止まりそうになった。
(……やばい……)
胸が熱い。
手が震える。
(……これ……なに……)
自分でもわからない。
でも、確かに心が動いていた。
大きく、大きく。
---
優ちゃんが小さな声で呟いた。
「……ひよりさん……」
「な、なに……?」
「……ひよりさん、今……すごく綺麗な顔してた……」
「えっ!? ど、どういう意味!?」
「……なんか……“推し”を見つけた人の顔……みたいだった」
「っ……!」
図星すぎて、言葉が出なかった。
優ちゃんはくすっと笑った。
「……ひよりさんにも、そういう顔する相手がいるんだね」
「ち、違うよ!? 私はただ……!」
否定しようとしたけど、言葉が続かなかった。
(……違わない)
胸の奥が、はっきりと答えを出していた。
(……私……あの子を……推したい)
人生で初めての感情だった。




