不遇令嬢ヴィオラ、常に姉の「お下がり」でしたが、最後に宛がわれた旦那様だけは世界で一番の宝物でした。
「ヴィオラ、またそんな顔をして。本当に可愛げのない子ね。ほら、これをお着なさい。お姉様が去年お召しになったドレスよ。あなたにはそれで十分でしょう?」
鏡の前に立つ私の背中に投げかけられたのは、実の母からの冷ややかな声だった。
差し出されたのは、流行の過ぎた、あちこちのレースがくたびれた淡いピンクのドレス。かつて姉のイザベラが「もう飽きたから捨てるわ」と放り出したものだ。
「……お母様、今日は私の十八歳の誕生日を祝う晩餐会だと伺っておりましたが」
「ええ、そうよ。そして同時に、イザベラと公爵令息エリオット様の婚約内定を祝う席でもあるわ」
母は私の言葉を遮り、うっとりと隣の部屋を眺めた。そこには最新の絹をふんだんに使い、宝石を散りばめた目も眩むようなドレスを纏った姉の姿がある。
「ヴィオラ、勘違いしないでね?」
姉のイザベラが扇子で口元を隠しながら近づいてくる。その瞳には、私を見下す悦びが満ちていた。
「エリオット様は元々貴女の婚約者候補だったけれど……、彼が言ったのよ。『魔力も弱く、地味なお下がりばかり着ている妹より、華やかな姉の君の方が僕に相応しい』って。だから彼は私が頂いてあげるわ」
「そんな……、エリオット様とは、あんなに将来の約束を……」
「しつこいわね。無能な貴女に公爵夫人の座なんて身の程知らずもいいところよ」
母が私の肩を強く突き放す。
「いいこと、ヴィオラ。今日、この家であなたのお下がり人生は終わりよ。新しい嫁ぎ先が決まったわ」
その言葉に、わずかな希望を抱いた私が馬鹿だった。母の口から出たのは、この国で最も恐れられている名前だった。
「辺境の『化け物辺境伯』、ライオネル・グレイスフォード閣下よ。戦場で顔を焼き、性格も残忍で、屋敷には夜な夜な悲鳴が響くという噂だわ。……ふふ、ちょうどいいじゃない。お姉様のお下がりですらなくなったゴミ同然の貴女には、化け物の妻がお似合いよ」
姉と母の冷酷な笑い声が、豪華な部屋に響き渡る。
私の手元にあるのは、色褪せた「お下がり」のドレスだけ。
(……ああ、神様。私はただ、誰かの一番になりたかっただけなのに)
私は震える手で、重く湿ったドレスの裾を握りしめた。
それから一週間も経たないうちに私は一通の離縁状ならぬ「絶縁状」を無理やり書かされ、馬車に押し込められた。
向かう先は冬の冷たい風が吹き荒れる北の最果て、グレイスフォード辺境伯領。
「化け物の餌食になってきなさい」という姉の嘲笑が今も耳の奥にこびりついている。
ようやく辿り着いた屋敷は、噂通り殺風景で重厚な石造りだった。
(ここで、私は誰にも知られず朽ちていくのね……)
覚悟を決めて馬車の扉を開けると、そこには一人の男が立っていた。
「……君が、ヴィオラか」
響いたのは、地響きのような唸り声ではなく、銀鈴を振るったような低く心地よい声。
顔を上げた私は、息を呑んだ。
そこにいたのは、戦火で焼かれた化け物などではなかった。
月明かりに濡れたような銀髪。冷徹さと慈愛を同時に宿した、深く鋭い碧眼。彫刻のように整ったその貌は、これまで王都で見てきたどんな貴族よりも圧倒的に美しく、気高かった。
「あの、火傷は……? 化け物という噂は……」
「ああ、あれか」
彼は戸惑う私に歩み寄り、冷えた私の手を、大きな、温かい手で包み込んだ。
「君の家族の浅ましさは知っていた。もし僕が本当の姿で求婚すれば、彼らは間違いなく君ではなく、あの欲深い姉の方を差し出してきただろう。……君を確実に、あの地獄から救い出すには、この方法しかなかったんだ」
「え……?」
「ヴィオラ、君がずっと『お下がり』ばかりを与えられ、それでも健気に笑っていたのを私は遠くから見ていた。……ずっと、私の元へ連れてきたかった」
ライオネル様は呆然とする私を抱きしめるようにして屋敷の中へと導いた。
開かれた大広間の扉の先には、目も眩むような光景が広がっていた。
何十着もの最新のドレス、見たこともない大粒の宝石、そして私のためだけに整えられた、真っ白な花々。
「これ……、全部、私に?」
「ああ。君がこれまで奪われてきたものの、ほんの一部だ」
彼は私の髪に、優しく口づけを落とした。
「ヴィオラ、私の妻になる君にもうお下がりなんて必要ない。これからは世界で一番新しいもの、一番美しいものだけを君に贈ろう。……何より、私のこの心は、生涯君だけのものだ」
生まれて初めて、誰かの「一番」として扱われた。
私の瞳から、堪えていた涙が溢れ出した。
それから数ヶ月、私の生活は一変した。
朝は穏やかに目覚め、日中は私のためだけに仕立てられた新しいドレスに身を包み、ライオネル様から贈られる愛の言葉に頬を染める。
「無能」と笑われた私の微弱な魔力も、ライオネル様は「繊細で、月光のように美しい」と慈しみ、私が手入れした庭園の花々は、辺境の寒さを忘れたかのように咲き誇っていた。
……けれど、その穏やかな幸福を切り裂くように、聞き覚えのある傲慢な声が屋敷の玄関に響いた。
「あら、なんて立派なお屋敷! ヴィオラ、お姉様が来てあげたわよ!」
振り返ると、そこには豪華な、けれどどこか着古したようなドレスを纏った姉のイザベラと、険しい表情の両親が立っていた。
かつての輝きはない。聞けば、姉のあまりの我儘に愛想を尽かした公爵家から婚約を破棄され、実家は多額の慰謝料で没落の危機に瀕しているという。
「……お姉様、お父様、お母様。どうしてこちらへ?」
私が問いかけると、姉は私の首元のダイヤモンドをぎらついた目で見つめ、いつもの調子で鼻で笑った。
「どうしてって、決まっているじゃない。貴女にはそんな贅沢、似合わないわ。……あら? そちらの方が噂の辺境伯様?」
姉の視線が私の隣に立つライオネル様に注がれた。その瞬間、彼女の瞳に欲望が走る。
噂とは似ても似つかない、月光を纏ったような美丈夫。
姉はあからさまに頬を赤らめ、私の隣に割り込もうとして信じられない言葉を吐き捨てた。
「ヴィオラ、よく聞きなさい。その『お下がり』のドレスも、その首飾りも、全部お姉様に返しなさい。……それから、その旦那様もよ」
「……なんですって?」
「聞こえなかった? エリオットはもういらないから貴女に返してあげるわ。その代わりにその素敵な旦那様をお姉様に譲りなさい。こんなに美しい方はお姉様にこそ相応しいわ。さあ、今すぐ交代なさい!」
母も頷き、当然のように付け加えた。
「そうよヴィオラ、これは命令よ。お姉様に譲るのがあなたの役割でしょう?」
彼女たちは信じて疑っていなかった。
これまで通り、ヴィオラが「はい」と頷き、すべてを明け渡すのだと。
だが、私の腰を抱くライオネル様の腕が氷のように冷たい殺気を孕んで強まったことに、彼女たちはまだ気づいていなかった。
「譲る……? 妻を、物のようにか」
ライオネル様の低く、地這うような声がエントランスに響き渡った。
一瞬で空気が凍りつき、勝ち誇っていた姉の顔が引きつる。
「あ、あの、閣下……? ご存知ないかもしれませんが、この子は我が家で最も無能な、余り物でして……。ですから、私のような美しい女こそが貴方の隣に――」
「黙れ、卑しい女」
ライオネル様の碧眼が、ナイフのような鋭さで姉を貫いた。
「ヴィオラが家でどんな扱いを受けていたか、すべて調査済みだ。私を欺けると思ったか? 私が化け物の噂を流したのは、君たちのような強欲な連中から彼女を守り抜くためだ。……私の妻に無礼を働く者は、たとえ血の繋がった親族であろうと容赦はしない」
ライオネル様は傍らに控えていた執事に、一通の書類を提示させた。
「君たちの家が抱えた莫大な借金、その債権はすべて私が買い取った。今日この瞬間、貴公らの領地と爵位を没収する。安心しろ、命までは取らん。だが、今後は平民として、己がこれまでヴィオラに強いてきた生活を身をもって味わうがいい」
「そんな……、嘘よ! 待って、ヴィオラ! あんたからも何か言ってやりなさいよ!」
母が叫び、姉が縋り付こうと手を伸ばす。
けれど、その手は衛兵たちによって無情に遮られた。
私はライオネル様の胸に静かに顔を埋めた。
「……お母様、お姉様。私はもう、貴方たちの『お下がり』を預かる都合のいい箱ではありません。私はこの場所でライオネル様の妻として生きていきます。……さようなら」
それが、私が家族へ贈った最後の言葉だった。
――数ヶ月後。
王都の片隅でボロボロに擦り切れた古着を纏い、泥にまみれて働く三人の男女の姿があったという。
かつて彼女たちが「ゴミ同然」と捨てた、誰かの着古した服――本当の「お下がり」だけが、今の彼女たちの全財産だった。
一方、辺境の地では。
新緑が芽吹く美しい庭園で、私はライオネル様に抱き寄せられていた。
「ヴィオラ、新しいドレスが届いたよ。君の瞳の色に合わせた特注の絹だ」
「ありがとうございます、ライオネル様。……でも、私は貴方が隣にいてくださるだけでもう十分に幸せです」
「欲がないな。だが、私は君を世界一の欲張りにさせるつもりだよ」
ライオネル様が私の額に優しく口づけを落とす。
もう、誰かのお古を待つ必要はない。
差し出された温かい手を握り返し、私は自分だけの「新しい幸せ」を、深く、深く噛みしめた。
(完)
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誰かの「お下がり」ではなく、ヴィオラが自分だけの「一番」を見つけられるお話を目指しました。
ライオネルの過保護な愛を楽しんでいただけたなら幸いです。




