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疑惑

 アンダーが帰宅すると、パピーは住み着いた2匹のオコジョと睨めっこをしていた。オコジョは牙をむき、威嚇の姿勢を崩さない。年頃でいえば小学校高学年の立派な少年が、それに臨戦態勢で挑んでいる。呆れた気持ちと共に、妙な安堵感を覚えたアンダーは、少年の横に重い鞄を下ろした。それをひじ掛け代わりにしてパソコンを開き、新刊の判例雑誌を戸棚から引っ張り出した。ほとんど聞いた覚えのない、オコジョの威嚇の声をBGMに、ドッグイアを施されたページを開く。弁護士の小論文が掲載されたページで、最近注目の判決に対する批評が記されていた。


(そういえば、詐欺事例の中に、ロマンス詐欺とかもあったよな・・・)


 職場での嫌な記憶を思い起こし、目次へと遡る。様々な判例の小題と判例番号が記されている中から、詐欺グループが絡んだ事例の一つを見つけ、これを開いた。


 事件の概要は以下のとおりである。原告(甲)が路上で歌の演奏を行っているところ、小規模芸能会社のスタッフを名乗る被告(乙)がこれを聞いて事務所への所属を持ち掛けたところ、原告甲はこれを承諾、書面にて契約を行った。その後、原告甲は事務所での活動としてナイトクラブでのライブを数度にわたって行った後、被告乙の提案によって、電子ギターに関わる最新の設備を購入した。被告乙は、訴外丙を名乗る人物からこれらの高額な商品類を仕入れたとして莫大な費用を請求、原告甲は訴外(丁)信用金庫から消費貸借契約を締結してこれを支払ったものの、契約に従って粗悪な商品を送付されたのを最後に、事務所からの連絡が途絶えた。この時にはじめて原告は詐欺被害にあったことを自覚し、乙を被告とした契約無効の訴訟を提訴した、というものである。


 この事例の場合、地方裁判所は詐欺行為を目的とした架空の事務所との契約の無効のほか、訴外丁との共謀が認められ、設備投資を偽った悪質な売買契約の代理行為の無効が認められ、原告甲はこれらの無効に基づく被告乙への利益償還請求が認められ、結果的に原告が救済される形となった。


 こうした詐欺事例については、アンダーの記憶の中にある限り、第三者の介入によって被害者が泣き寝入りをする事例も少なからず存在する。もちろん、詐欺罪に問うことはできるが、民事にかかわる問題は別問題である。場合によっては、被告の手元に金銭がなく、お金が全額戻ってくる事例は稀である。それを思えば、ケイナインはまだ手遅れではないのだから、先手を打って忠告するべきだと考えられる。


 アンダーが真剣な眼差しで判例を眺めているところ、オコジョたちが腕によじ登り、雑誌の上へと登ってきた。つぶらな瞳と目があって我に返った彼は、急いで台所へ向かうと、冷蔵庫の中を確認する。


 半分残ったもやしと、もずくが1点ぽつんと待機している。彼は頭を抱えた。


「・・・すまん、パピー。もずくともやし炒めしかないわ」


 そういうと、パピーはキョトンとした様子で切り返す。


「・・・ん?それが悪いのか?」


 少年の境遇を思い出し、再びアンダーは頭を抱えた。彼には配慮の足りないところがある、という自覚があるが、特に焦るとこういうことがよく起こる。ごまかして笑い、「飯、作るな」とだけ言い直して、冷蔵庫にある食料をすべて取り出した。


 幸いにも米もパンもあるので、主食だけはたくさん盛り付けることができる。先程までにらめっこを続けていた2匹は、今度は少年の胡坐の上で丸まって眠っている。パピーはその背中を手の甲で撫でている。


「やることなくて暇か」

「たまにはそういうのもいい」


 時間つぶしの雑談をしていると、早炊きの米が炊き上がる。溜め込んだ皿洗いに区切りをつけて、先ほど干し始めたばかりの皿を布巾で拭う。そこに出来立ての米をよそうと、「飯食うぞ」と背中に声を掛けた。


 オコジョたちが胡坐の中から飛び降り、少年が席に着く。食卓にはもずくと胡椒で炒めたもやしだけがあった。


 アンダーが手を合わせて「頂きます」と唱えるうちに、パピーは手ずから大盛りの茶碗から米を掴む。大きな口を開けて、貪るように食事をする彼に、アンダーは「ほら」と箸を指し示した。


 米がこびりついた指を舐め取り、睨み上げるようにするパピー。アンダーはタオルで少年の指を拭き取ると、正しい持ち方で箸を握らせた。パピーは、指と指の間を覗き込むようにして箸を睨む。すぐに箸の持ち方が崩れ、鷲掴みをするように握り直した。


「あーあー」

「持ちにくい」


 年齢の割には出来ないことが多い、そう脳裏をよぎったものの、アンダーは再び身を乗り出し、箸の持ち方を伝授してやった。


「ここを、こう握る・・・。で、ここで開閉して食べ物を挟む。うん、やってみろ」


 パピーは訝しみつつも米を箸の上に乗せる。持ち上げる前に、何度も茶碗の中にこぼしていたものの、それを繰り返すうちに、アンダーが食べ終わる頃に、米を口へ運ぶことができるようになった。


「ん。いいじゃん」

「・・・うん」


 湯気を失った米粒が、待ちわびたように茶碗の上で萎れている。パピーは彼らの期待に答えようと、懸命に米を掬った。


 言いようのない温い感情がアンダーの胸を満たす。彼は、人が物を口に運ぶ、ただそれだけの仕草をじっと眺めた。


「・・・なに?」

「いや・・・?」


 アンダーは鼻を鳴らし、「飯食ったら風呂入れよ」と言い残して立ち上がる。布団を敷きっぱなしの特等席に戻り、エナメル製の肘掛けに身を預けて、参考書を開いた。


 ぱっ、と視界が明るくなる。顔を持ち上げると、パピーがスイッチの前に立っていた。


「目、悪くなるぞ」

「・・・ん」


 アンダーは、苦笑交じりに答えた。


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