宿木
秋の映画祭が目前に迫り、メディアがロータス・シネマ・セントラルに集まっている。各ノミネート作品の紹介が全て終わり、評論家たちの興奮も一層高まっている。
アンダーはもやしを咀嚼しながらその様子をテレビ越しに眺めている。先日見たばかりの巨大なトロフィー像が映し出されたとき、彼は無意味な優越感に浸った。
ニュースが天気予報のコーナーに移ると、スマートフォンがぽぉん、と間の抜けた通知音を上げる。
「・・・?」
アンダーは何気なく通知を確認する。それはベインからの通知で、ごく短いメッセージが表示されていた。
『赤ん坊がお隠れになったそうです』
アンダーは静かに天井を見上げる。低い天井に、小さな電灯が貼り付いている。前方から当てられるカラフルな光は、希望に満ち溢れた爽やかな朝を演出する。
乱雑に積み重ねられ、絡まったもやしから立ち昇る湯気が細く弱弱しくなっていく。改めて前を向き直ると、一週間分の曇り予想が、画面一杯に並んでいた。
アンダーはスマートフォンを持ち上げ、返信を打ち込む。
『二人で会おう』
間もなく既読がつく。返信はなかった。
彼はチィチィと駄々をこねるオコジョたちに餌をやり、貴重品だけをポケットにしまうと、あてもなく外へと繰り出した。
雑踏がそれぞれの目的地へと『流れていく』中で、その流れに乗じて町を彷徨うと、バイト先のある大通りへと辿り着いた。ゴミ庫が置かれている従業員出入口の前で立ち止まり、仄暗い向こう側をぼんやりと見つめる。影の中には蠢くものもなく、ただしんと静まり返っている。彼はそのままじっと路地裏の道を眺めていたが、我に返って独り自嘲気味に笑った。
「・・・いないか」
そのまま踵を返し、ロータス・タワー方面へと向かって行く。路上の片隅で小さなイーゼルを立て、キャンバスに何かを描き込む人の姿がある。彼はその人物の顔を一瞥した。見ず知らずの男は、汚れた顔を伝う汗を拭っている。その表情に余裕はない。アンダーはほとんど逃げるようにその場を立ち去った。
タワー間近の高級な賃貸マンションにあった表札が取り外されていた。胸の内から何かが込み上げてくるのを感じつつも、彼はつとめて平静を装ってその前を通り過ぎる。
今は閑散とした飲み屋街。その一角にある、準備中の看板を提げた大衆食堂の前を通り過ぎる。擦りガラスの向こう側を覗き込むと、机に椅子が立て掛けられているのが、何とか確認できる。その中で、従業員らしい人影が掃き掃除をしているように見えた。彼は少しだけ目を伏せ、やがて歩き出した。
タワーの方角へ向かって歩き出し、自宅付近へと差し掛かろうという時に、スマートフォンが彼を呼ぶ。画面に目を向ければ、ベインから『ホテルの喫茶店へ』とだけ連絡が送られてきていた。彼は淡白な返事を返し、再び歩き出す。通り過ぎるビルとビルの間から射し込む光は、鼠や、人や、ゴミ庫や換気扇の動かない影を壁面に映していた。
一足先にホテルの前へと辿り着く。彼はスマートフォンを手に取り、時間を確認した。時間は11時と8分、喫茶店の席は少しずつ、楽し気な旅行客の笑顔で埋まっているようであった。




