応援(エール)
ロータス・タワー前の大ロータリーは笑ってしまうほどの大渋滞であった。
タワーの方へと向かう歩行者の数が異様に多く、路上駐車をする報道局の車両が一車線をまるまる埋めている。
郵便局のトラックが左側車線から追い越し車線へと無理矢理移動すると、捻じ込まれた高級な後続車が何度もクラクションを鳴らした。
ロータリー道路の車両用信号機が青から赤へと変わると、苛立たし気に最前列の車両が急ブレーキを踏む。それに驚いた後続車が非難のクラクションを鳴らし、さらに郵便局の車両に捻じ込みを喰らった高級車が荒々しくクラクションを鳴らした。
こだまするような車両の叫び声に呆れた笑みをこぼし、アンダーは人混みの流れるのに任せてロータリー道路を渡る。通り過ぎてばかりで一度も訪れたことすらない、巨大な高層ビルが視界一杯に広がった。
ぞろぞろとタワーの入り口に吸い込まれていく通行人は、いずれもエレベータへ向かう長い行列へと向かって行く。警備員が拡声器片手に「3列でお並びくださーい!」と声を張り上げている。楽しそうなカップルの隣に、禿げあがった頭の中年男性が並ぶ。楽し気なカップルの会話も、濁った目で聞き流している。アンダーはその痛ましい様子を待期列の半ばでずっと視界に収めながら、エレベータ前の行列が、少しずつ前へと進むのを待った。
ようやく自分の番が巡ってきたその時、奇妙な緊張感で胸が満たされた。スマートフォンに映った残り少ない座席数の上映予約のチケットを表示する。人と人の間に挟まって大スクリーンを前にするのは、些か緊張するものである。アンダーはエレベータが1階へと降りてくると、深呼吸をして一歩を踏み出した。
満員のエレベータの中で、鞄を抱きかかえる。遥かに見上げるほどのボタンの中で、光っている階層はたった一つである。
エレベータが目的の階層に到着する。扉が開くと同時に人々が一気に溢れ出す。押し出されるままにエレベータを降りたアンダーの視界に真っ先に飛び込んできたのは、映画祭で最も有名なトロフィーの巨大なレプリカ像である。
「・・・おぉ」
像の周りを囲うように並ぶ柱には、これでもかというほど大量のポスターが貼り出されている。映画祭にノミネートされた作品のポスターが、エレベータから最も近い位置の柱に貼られ、現在上映中の作品がそれに続く。エレベータの前で立ち尽くしたアンダーを、後続の入館者たちが押し出す。アンダーは焦って入館者たちの波に流され、続々と券売機に群がる行列へと流れ着いた。長い行列が10台並ぶ券売機に行儀よく連なる。発券を終えた人が券売機から離れると、すかさず次の入館者が券売機の前に並び立つ。
アンダーはスマートフォンを鞄から引っ張り出し、予約番号のコードを慣れない手つきで表示する。画面を胸に当て、抱きかかえるように両手で握りしめた。
長い長い待機時間の末、ようやく発券機の前に辿り着くと、既に上映時間の5分前であった。アンダーは急いで発券機にコードをかざし、発行される券を取る。彼は急いで受付へと駆けて行き、入場券を提示する。彼はスタッフの案内に従って、仄暗いレッドカーペットの隅を奥へ奥へと進んでいく。ノミネート作品を時間ごとに放映するスクリーンは廊下の突き当りに在り、映画祭の特別なポスターが貼り出されていた。彼はその中でも半ばの上映である、以前目に付いたアニメーション作品の半券を握りしめている。
彼がスクリーンに入った時、既に画面にはコマーシャルが流れていた。満員に少し足りないスクリーンの、隅の座席に座る。暗い室内の中にある静かな熱気の一部に溶け込むのが、不思議と心地よく感じた。
テレビではほとんど感じたことが無い、四方から鼓膜を揺るがすような音響に驚く。周りには、そんなことに驚く人などいない。
彼が席についてすぐに、アニメーション映画が大スクリーンに上映されたのだった。
一時間弱という短尺の映画であったものの、スクリーンを出た直後の彼は満足げであった。視界に映る仄暗いレッドカーペットさえ、目を赤くした彼へ最大級の応援を送ってくれているように思えた。彼は鞄をしっかりと背負い直し、「良かったね」と語り合うオタクたちの中に混ざって映画館を出た。
目にも眩いロータス・タワーを出た時、彼の視界に広がる大ロータリーは遥かに広大に見えた。空は青く高く澄み渡り、町中の雑踏が鳥のさえずりに似てアンダーの耳に心地よく届く。信号が青に変わるや否や、彼は衝動的に走り出した。
視界が遥かに広く開けているように思えた。何かをせずにはいられない衝動に駆られて、彼は部屋に戻るなり参考書を開いた。六法を開け広げ、問題を次々に解く。気がつけば分厚い参考書もすっかり解き切って、窓の向こうには夜の帳が降りていた。
「・・・よし」
アンダーはノートと参考書を閉じると、大きく背伸びをした。オコジョたちが食事を待たされて非難轟々に鳴く。アンダーはオコジョたちのために皿一杯に肉を敷き詰めて彼らに与えると、再び参考書と向き合った。
そして、時計が深夜一時を過ぎた頃、ペンを持つ手が止まる。目の前にある黒ずんだノートを見つめたかと思うと、首を横に振ってノートを閉ざした。
三つ折りにした布団にもたれ掛かる。目を閉じ、全身で柔らかな感触に浸った。
しばらくそうしていると、自然と心が凪いでくる。映画館を後にした衝動はそのままに、心地よい疲労が全身を包み込んだ。
やがて、意識が微睡に沈んでいく。その日ばかりは、雑多な悩み事も忘れていた。




