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散髪

 帰り道の途中、既に太陽が東側から中心へと近づきつつある中で、ロータス・シティの大通りには人だかりができている。何が、というわけではなく、至る所にある飲食店の前に、長蛇の列が並んでいるのである。安値の外食チェーンや、コンビニ、観光客をメインターゲットにした、雰囲気のあるカフェなど、色々な建物が連なる中、アンダーはパピーの手を引いて自宅への道を歩いた。


「表通り、人ばっかで酔いそうだよな」

「陰キャじゃん」

「うっせ・・・」


 兄弟のように素っ気なく会話を続けながら、少年の手を引く。隣に人がいるという感覚自体が、彼にはとても新鮮なことに思えた。改めて、彼にスリをされた大通りを通りかかる。日中であっても、あの時の帰路と同じように、銀行の窓口は閉まっていた。


「お前にここで掏られたんだったな」

「・・・思ったよりだいぶ重かった・・・」

「数千円を超える本ばっかり入ってるからな」

「その割に売るとやっすいのばっかり・・・」


 パピーは拗ねたように唇を尖らせる。道行く人は少年の容姿に気づくと、アンダーを塵でも見るように蔑みながら、二人を避けて通り過ぎた。それに気づいたアンダーは、立ち止まり、歩いてきた道を振り返った。


「・・・なんだよ?」


 パピーが声を掛ける。アンダーはパピーに視線を合わせると、「服、買いに行くか・・・」と尋ねた。


 パピーが怪訝そうに眉をひそめている。考えてみれば、世間体というものは子供には難しいかも知れない。アンダーはそう思い直し、顔も知らぬ通行人に視線を向けた。


「考えてみたら、お前、それ一着しかないんだもんな。メガロータスの方に戻って、適当な服買おうな」

「いいよ、別に」

「遠慮されると俺が困るから行くぞー」

「ちょっ・・・!」


 踵を返すと、アンダーは、少年の手を引いて歩き始めた。

 来た道を逆戻りする。その間にも、青い空の左右がひどく窮屈なことが感じられた。中央を通る三車線の道路には、ひっきりなしに車が通行している。両端の歩道はいくつも狭い車道へと抜ける道があり、車道と車道の間を横断歩道が繋いでいる。そして、横断歩道の位置を示すように、それを囲い込む一対の信号機がある。「時差式」と記された信号機の前を、人混みが止まったり、あるいは潜ったりして、車と車との間を縫って歩いた。


 ベルトコンベアに流されるように来た道を戻り、職場のすぐ向かいにある大きな商業施設へと辿り着く。『MEGA LOTUS』という巨大なロゴが吊るされた下に、ガラス張りの見事な入り口がある。広々とした自動扉の前に、制服の警備員が立っており、アンダーとパピーの顔を見て、何かを連絡している。アンダーは居心地の悪さを感じつつも、彼に小さく会釈をして入店した。


 店内に入ってすぐに、吹き抜けになっている上階へと上がる、大きなエスカレーターがある。来店を歓迎するメガペンギンくんというマスコットが、片足と片手をあげて、楽しそうにウィンクをしていた。


 それを見て、パピーの表情がわずかに綻ぶ。アンダーは彼の頭上から、「初めてか?」と声を掛けた。もっとも、それに対して返ってきたのは、「うっせ」という素っ気ない言葉だったが。


 二人は逸れないようにしっかりと手を繋ぎ、メガロータスが誇る格安衣類店「チイギュウウエア」に入店する。アンダーの普段着である、裏地がチェックのパーカーも、チェック柄のワイシャツも、洗いすぎて色の抜けたジーンズも、あれもこれも、「チイギュウウエア」の商品である。


「服って高いの?」

「ここ以外で買うと高い。ここでも2桁超える」

「ぅぇ・・・」


 パピーは舌をべっと出しながら、衣服を眺める。アンダーは早速子供服売り場へ直行すると、英字が書かれたTシャツと訳の分からない柄の短パンを持ってきて、会計へ向かおうとした。


「ちょ、ちょ、ちょ!」

「あん?」

「俺!それ着るのか!?」

「子供の服なんて何でもよくないか?すぐ着れなくなるぞー」

「それにしたってもうちょっとあるだろ!」


 パピーは思わず声を荒げる。しかし、周囲の視線を感じ、すぐにアンダーの袖を下に引っ張った。アンダーがされるがままに耳を近づけると、パピーはやや早口の小声で耳打ちをする。


「とにかく、同じ値段でももっといいのが良い!」

「ガキが色気づきおって・・・」

「うるせっ、バーカ」


 そう言うと、アンダーの手から服を奪い去り、元あった場所へと戻した。次いで、その場で服を物色し始める。その様子を、アンダーはゆったりと構えて見守っていた。


「服とか興味あるの?」

「お前のそれがダサすぎるだけっ!」


 アンダーは何となく自分の服を眺めたが、ピンときていない様子で天井を仰いだ。


「チー牛ファッション!」

「なんじゃそりゃ・・・」


 冷めた反応にパピーは舌打ちをし、服の全貌を確かめては捲っていく。好みのものを見つけると、それを腕にかけている。アンダーはその様子を見守りつつ、試着室の確認をした。パピーが服装を選び終えたとみるや、彼はすかさず試着室のカーテンを開けた。パピーが、物を言わずにそのカーテンの中へと入っていくと、カーテンが乱暴に閉められた。


 穴や傷のついた衣服がすとんと床に落ちる。衣擦れの音が幾度かして、カーテンが開かれた。


 黒ずくめのパピーが登場すると、アンダーは心の中から湧き出した言葉を飲み下した。


「おー、似合う」

「普通の服だろ」


 どこか自慢げなパピーに内心を悟られないように、彼はあくまで素っ気ない態度を保つ。携帯を弄りながら、改めて着替えを済ますのを待つ間、彼の口角は上がりっぱなしであった。


 清算を済ませたアンダーはタグを切り離す店員の手元を見るともなしに眺める。鋏で手際よくタグピンを切り離していく。ものの数秒で終わる作業で、外されたタグはそのまま会計下にあるごみ箱へと放り込まれた。

 紙袋をパピーに手渡すと、彼は薄い財布を大きな鞄の中にしまった。パピーが鈍いアンダーの動きをじっとりとした目つきで見つめている。

 アンダーが鞄のチャックを閉めるなり、パピーの手が強引に彼の手を引っ張った。


「ちょっ、何!?」

「トイレで着替える。行くぞ」


 手首と脛が丸見えの、薄黄ばんだ衣服に視線が集まる中、パピーはアンダーを店舗のトイレへと連れ込む。大便器の扉に手をかけながら、鋭い目つきで青年を睨みつけた。


「覗くなよ」

「野郎の着替えに興味ねぇよ・・・」


 少年は「べッ」と声を出して舌を見せながら、ひどく警戒しながら扉をゆっくりと閉める。

 苦笑いでその様を見送り、彼自身は小便器に用を足した。


 メガロータスのトイレは広々として快適そのものであった。薄い空色のタイルが貼り付けられた壁面は光を映し、ピカピカに磨かれている。タイルとタイルを区切る白いラインも清潔感がありカビ一つなく、この施設がいかに洗練されたものであるかを物語っているようだ。きちんとプライベートゾーンを隠すことができるように、小便器と小便器の間には小さな区切りもある。


 背中でごそごそという衣擦れの音を聞きながら、黒ずくめのパピーのしたり顔を思い出した彼は耐えかねて小さく吹き出した。


 しっかりと用を足して手を洗い、ハンカチで拭っているところで、彼は背後の扉が開かれる音を聞いた。個室から現れたパピーは、紙袋の中に襤褸切れのような服を突っ込み、真新しい黒い衣装のポケットに手を突っ込んでいる。生意気にも編み込みベルトで遊びを取り入れており、まんざらでもないという表情で、涼しげにアンダーの肩に手を回した。


「おまたせ」

「お、いいじゃん」


 スマートフォンを構いながら、ちらりとパピーの顔を覗き込むアンダーであったが、装いを新たにした彼の、殊の外整った顔立ちに僅かに動揺する。紙袋の中から覗かれる切れ端のような衣服を隠すように、口を一つまみしつつ、トイレから出る。不思議なことに過ごしやすくなった、暖かな空気の中で、どこからともなく聞こえてくるBGMの活況が、彼らを心地よく包み込んだ。


「俺、友達とメガロータス来たのはじめてだわ」

「陰キャじゃん」

「生意気な奴め!」


 目線の高さほどの身長差がある旋毛の上に、年のわりに細い指先が乗る。ぐしゃぐしゃと髪を掻き撫でると、猫がそうするように幼い手が払いのける。アンダーからすれば、年の幼い兄弟が一人増えたような、疎ましからぬ心持ちであった。


 続いて、二人は食品売り場に隣接した、小さな理髪店へと入店した。決して大きくはなかったが、高齢者から子供まで幅広い客が、待機用の椅子に腰かけている。


「ここ安いんだよ」


 浮かれたようにパピーに声を掛けると、アンダーは二人分の名前を記載欄に書いた。鞄から財布を取り出し、お札を二枚支払って、整理券を受け取る。パピーに券を一つ渡すと、ずっしりとした鞄を椅子の下に入れ込み、肩を揉みながら椅子に腰かけた。


 さわやかな青空を描いた天井画と、林立するヤシの木を描いた支柱で目にも賑やかに演出された空間を、パピーは落ち着かずにきょろきょろと見回している。アンダーは慣れたもので、スマートフォンを開き、古代宮廷を舞台にした、話題のテレビドラマに関する人物を調べている。古臭いというには古すぎる独特の画風で描かれた肖像画が検索トップの欄に並ぶ中、ジャポニズムというか、日本の漫画らしい絵が一つ二つ混ざっている。


 股の間に両の手を仕舞いながら、もじもじとするパピー。異変に気付いたアンダーが、メガネの下から視線を寄越した。


「なぁ・・・俺、手持ちないんだけど」

「おん?子供が気にすんな、散髪代くらい」

「でも、お前は俺と無関係だろ。金を使わせるわけには・・・」


 切れ長だが大きな目が、アンダーの顔を見上げている。瞳は怯えや動揺に近い揺らぎ方で、子供ながらに戸惑い葛藤を抱いていることを窺わせる。


「ああー、いい、いい。埋め合わせとかすんなよ」

「でも・・・」


 パピーは子供が我儘を言う時のような声で食い下がる。鬼気迫る表情で幼い顔が迫ってきたので、アンダーは困り果てて身を引いた。


「分かった、わかった。出世払いな。それでいいだろ」


 返事もなく、不満げな顔が下を向いた。そうこうしているうちに、待期列が一人ずつ進んでいく。あと30分もすれば、彼らの番が回って来るだろう。


 明るいばかりの風景の中で、パピーは目を細めた。仄暗いところのないメガロータスの中には、溢れんばかりの人の声が行き交っている。その様が、彼の耳にはひどく騒々しく、眩しくも思えた。

 やがて、パピーの整理番号を呼び出す理髪師の声が響く。アンダーはどこか自信なさげな少年の肩を叩いた。


「きちんと短く切ってもらうんだぞ」

「わかった・・・」


 パピーは恐る恐る、理髪師の前へと歩み出ていった。

 ほどなくして、アンダーも呼び出される。あまり伸びていないと前髪を構いながら、気心の知れた理髪師に気楽に挨拶を述べた。


「お疲れ様です」

「今回は早いじゃない」

「連れの付き添いなんです」

「ふーん・・・」


 何を勘違いしたのか、理髪師はにやつきながら応じた。眼鏡を外し、鏡の前に座る。普段の7分ほどの長さしかない前髪を何となく伸ばしていると、理髪師は散髪エプロンを体に掛けてくる。アンダーは手を仕舞い、鏡越しに立派な髭の男と向き合って話した。


「彼女じゃないすよ」

「なぁんだ、友達かよ。情けねぇ」


 途端に落胆したような声音で言葉を返したものの、理髪師の表情は和やかなままだった。

 銀入りの良く手入れされた鋏を、櫛を通して伸ばした髪にかける。ぞり、という気持ちのいい音と共に、彼の体の一部だったものが、耳朶の横から光を受けながらハラハラと落ちていった。


「情けねぇ、ってことはないでしょうが」


 アンダーが何の気なしに反論をすると、理髪師は笑顔のままで即座に返した。


「情けねぇ、情けねぇ。強がってガールフレンドとでも言わねぇとなぁ・・・」

「ボーイなんで・・・」


 からからと笑いかけながら、手際よく髪が切り揃えられていく。要望を言わずともそれなりの髪に整えてくれるこの理髪師は、洒落好きな大学生と違って、アンダーにとっては居心地がよかった。


 アンダーが思ったよりも多くのブロンド色の髪がエプロンの上に落ちてくる。鏡の前にいる自分の目の上には、もう髪の毛は軽くもかかっていないようだった。


「学校の方はどうだい」

「今は企業法中心でやってます。企業法務を担当できた方が安定するかなって」

「若いのに遊びがねぇな」


 だらだらと無軌道な会話を繰り返していると、あっという間に髪にドライヤーが浴びせられる。髪の毛がふわりと浮き上がり、床の下に落ちていく。乱暴に首筋が拭われ、耳元を小うるさいモーター音が遠ざかった。鏡越しに、小さな手鏡を合わせ鏡にして提供されているのを、彼はすっきりとした首元を一瞬だけ目にして、「ありがとうございます」と短く礼を返す。

 散発エプロンが脱がされ、目の粗い箒で体を掃われたあと、眼鏡に手を伸ばして目に掛ける。はっきりしなかった自身の細い輪郭が、はっきりと視認できるところになって、彼は理髪師に声を掛けた。


「結構短くしましたね」

「子供相手にするならその方が楽だろ?」


 彼は腕を組み、歯を見せて笑う。どうやらきちんと「連れ」を目にしていたらしい理髪師に、小さく会釈を返すと、彼は肩に鞄を掛け直して外に出た。


 彼に2分ほど遅れて、パピーが腑に落ちない様子で理髪店から出てくる。伸び放題で枝分かれも見えていた細い髪が、しっかりと切り落とされて、線の細い、僅かに紅潮した肌が露わになっている。言葉も言わずに髪をくしゃくしゃに掻き撫でると、鬱陶しそうに抵抗を返された。


「・・・とりあえず、必要なことは終わったな。飯食って帰るか。何食う?」

「・・・ハンバーガー」


 パピーはそっぽを向く。二人は1階のフードコートへ向かい、最も安いハンバーガーのセットを昼食とした。


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