表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

保護

「おはようございまーす・・・」


 アンダーが職場の裏口から入店すると、休憩室で夜勤中の店長が一服をしていた。室内には苦い煙のにおいが漂い、透明の安い灰皿の上で、捩じられた紙煙草の煙が燻っていた。

 にわかに眉を顰めるパピーを見て、店長も不快感を露わにする。彼は短く「おはよ」とだけ告げて立ち上がる。歪んだ煙草の箱を懐へとしまった。

 居心地の悪い空気の中で、アンダーは腰を低くして頭を下げた。店長もそのまま店内へと戻っていく。ほんのりと熱を帯びた椅子に、パピーが座り込んだ。


 休憩室の時計を眺める。約束の時間まで15分ある。彼は朝食用のスナックパンを鞄から取り出し、パピーに手渡した。パピーは一度アンダーを睨みつけたかと思うと、奪い取るようにパンを受け取り、もそもそと頬張る。ぼろぼろと食べかすを零すのを、見守るように眺めていると、不意に彼に向けてパンの切れ端が突き出された。


「・・・たべないの?」

「食いたいだけ食え」

「1本くらい食べなよ」


 不格好に切られた前髪はガタついている。額が不均一に隠れる髪の毛の下から、覗き込むような視線を送られて、彼は躊躇いがちにそれを受け取った。

 安物特有の口腔内から水分を吸い取られる感覚を覚え、鞄から水を取り出す。


「俺なんて助けても金にならないよ」

「は?」


 不意に声を掛けられて聞き返すと、パピーはすぐに次のパンを咥えた。真意も判然とせずに、色々と頭を巡らせていると、彼は不意に昨夜服薬を忘れていたことを思い出した。それ自体は特別なことではなかったが、現在の微妙な空気感も相まって、後味の悪い感情が喉の奥から込み上げてくる。パンを嚥下し、口の中の甘ったるさを喉の奥へと流し込むと、彼は前屈みになって答えた。


「別に、後味が悪くなるのが嫌なだけで、金のために助けたわけじゃないからな」

「ふぅん。お金持ちなんだね」

「んん?」


 心底不可解な様子で首をかしげる男を、少年はじっとりとした目つきで見上げている。時計が9時の到来を告げると、店長がにこやかに会話をしながら、休憩室へと入ってくる。アンダーは席から立ち、店長と共に現れたスーツの男女に頭を下げた。店長は先刻とはほとんど別人と言っていいほどに愛想よく二人に挨拶をすると、アンダーに笑顔を向けて、「あと、よろしく」と告げた。そのまま返事も待たず、男女を残してさっさと店へと戻っていく。


 二人組はアンダーに名刺を差し出す。差し出された名刺には、肩書と名前が記されており、あとは二色のラインだけが描かれていた。アンダーは見よう見まねで、両手で名刺を受け取ると、男女を席に着くように促す。二人はパピーと向かい合う形で席に着き、彼に優しく声を掛けている。


「アンダー様も、詳細な事情を伺いたいのでどうぞおかけください」

「あ、はい」


 パピーの隣に座ると、隣で椅子が床を引き摺る音がする。女性の方がパピーに色々と尋ねているが、一向に答えが返ってくる様子がなかった。


 アンダーは、俯いているばかりの少年の旋毛を覗き込む。恨めし気な鋭い目が、自分の膝の上をじっと見つめていた。


「それで、アンダー様、保護の経緯と昨夜の様子を、可能な限り詳細にご説明願えますか」

「はい」


 アンダーはこれまでの経緯を丁寧に説明した。パピーとの出会いと保護までの経緯、その後のケイナインとのやり取りと、通報までの経緯、通報後の保護状況などを説明した。その間、パピーは沈黙を守っており、女性の方はうまく聞き込みを出来ない様子であった。

 状況を把握した職員は、女性職員と共に耳打ちで会話をする。そして、彼らの相談が煮詰まったかと思うと、女性職員が席を立ち、パピーを店外へと案内する。二人が完全に退出したことを確認した男性職員が、アンダーに状況を説明した。


「率直に申し上げまして、情報が不足しています。パピー君の名前も通称と考えて良いでしょう。私どもで保護観察をすることが本来望ましい流れではございますが、どうも私達には心を開いてくれていないようです」


 アンダーは簡単な相槌を打った。


「しかし、アンダー様には不思議なほど心を開いています。このまま保護者への受け渡しが完了するまで、ご協力いただきたいのですが・・・」

「と、いいますと・・・?」

「簡単に申し上げれば、私達に心を開いていただけるまで、アンダー様が保護観察を行って頂くということです。もちろん、私どもで保護することは可能ですから、難しいということであれば、お断り頂いても問題はありません。定期的に、私達が状況の確認のために、ご自宅へのご訪問やお電話をさせていただく必要も御座いますから、強制というわけでは、もちろんありません」


 アンダーは押し黙る。パピーと一日過ごしただけでは、彼の人となりも良く分からない。口も悪いので、素行が悪ければその後トラブルにもなりかねない上、仮にも学生としての勉強を優先したい気持ちが強かった。逡巡する様子を見て、職員は諦めた様子で、肩の力を抜いた。


「ご安心ください。我々で大切に保護させていただきますから」

「いえ」


 不思議なことに、アンダーの口からは咄嗟に言葉が漏れていた。本人も呆気にとられて言葉を途切れさせると、気を使ったらしい職員がにこやかに問い直した。


「本当にご安心頂いて大丈夫ですよ。普通の方なら、ここまで労をかけて保護をしようという方はいらっしゃいません。ご連絡いただけるだけでも優しいのです。ですから、ご負担のないように、ご検討くださいね」

「いえ・・・ご協力します。はい、ご協力させてください」


 次には、はっきりとそう答えた。アンダーの回答に、職員にも戸惑いが見られる。一度唾を飲み込み、深呼吸をしてから、アンダーはゆっくりと話し始めた。


「俺は、あいつに、法に悖る行為の被害を受けた身です。こう言ってはなんですが、社会はもっとシンプルで・・・こう、法に則って行われるべきだと思います。それくらい、私はずっと法律を守ろうと思ってきました。ですから、えっと・・・。あいつが法から逸脱する行為を平気ですることを、放っておけない、っていうか・・・。そう言う、感じです」


 口の中でもごもごと呟く、くぐもった声が屋内に響く。手を静かに組み、傾聴の姿勢を示す職員は、口ごもるたびに頷いた。そして、アンダーの言葉が途切れると、再度頷いて、鞄の中からクリアファイルを取り出す。そこには、彼が務めている保護施設の概要と、施設内容が詳細に記されていた。


「では・・・。アンダー様。ケイナインさんには説明を既に済ませていたのですが、改めて、ご説明させていただきますね。私達は、子供達の安全を保障するために、このように色々な活動を行っています。その一つに、保護観察活動がございます。パピーくんのような家出少年や捨て子は、残念ながら、ロータス・シティに多くいます。中には、全く出身が分からない子も・・・。そう言った子供達に必要なサポートというのは、安心できる場所の提供なのです。あの子がこれほど素早く、あなたに従順に従っているのを見ると、あなたとの生活は、とても彼にとって安心できるのでしょう。そこから引き離すのは、我々にとって本望ではありません。ですから、ひとまずは一週間、このままで様子を見ましょう。彼の身辺調査が済み、私どもが動けるようになった時には、改めて、アンダーさんにご報告いたします」


 幸運な子だ、と職員は小さく呟いた。アンダーは資料を眺めながら、静かに話を聞く。青で統一された壁面の、整理整頓が行き届いた施設の中に、子供用の遊具や玩具、それに学習用にスペースなどもそろえられた写真が並べられている。自分の家ではとても同様の設備を与えることは出来ないと感じつつも、職員の説明は不思議と彼に僅かな勇気を与えた。


「はい。その方向で、よろしく、お願いします」


 アンダーは丸い背中をさらに丸めて頭を下げた。職員は優しく頭を下げ返し、「よろしくお願いしますね」と答える。彼は次に電話をかけると、外にいた二人が改めて入店してくる。

 戻るなり、パピーはアンダーの方へと小走りで向かってきて、その隣の席へと座った。

 二人の職員は互いの情報を共有した後、パピーとアンダーの方へと向き直って、頭を下げた。


「それでは、アンダーさん。しばらくの保護、よろしくお願いいたしますね」


 二人が立ち去っていくのを見守りながら、アンダーは、何となく背筋が伸びるのを感じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ