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負犬物語 -スラム・ドッグス-  作者: 民間人。


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空腹

 1階で受付に戻ると、アンダーは鞄の中を乱暴に漁り、スマートフォンを取り出した。そして、電話帳アプリを開く。その中から、パピーの保護観察を担当している児童養護施設の電話番号を選び、通話ボタンをタップした。


 長い呼び出し音の後に、担当者が電話に出る。聞き馴染んだ声を聞いて、アンダーは鉛のように重い口を開いた。


「あの・・・もしもし。パピーのことで相談が・・・」


 深刻な声音を感じ取り、相手はすぐに応答をする。


「なんでしょうか」


 アンダーは拳を強く握りしめる。目頭が熱くなり、下唇を強く噛み締めて抑え込んだ。「ゆっくりでいいですよ」という優しい声が、受話器越しに聞こえる。彼は唇に掛けた圧を解き、涙声にならないように、ゆっくりとした口調で答えた。


「パピーのことを、保護して頂くことは出来ないでしょうか」

「なにか、ありましたか・・・?」

「あいつが悪いんじゃないんです。俺が、悪くて・・・」


 一言一言を噛み締めるように答えると、彼にはいっそう自分が情けなく思える。受話器越しの声がどれほど穏やかでも、止まらない胸騒ぎが自分をひどく責め立てた。


「あいつ、金のことを気にして、勝手に、臓器を・・・」

「まぁ・・・」


 その答えに、相手の穏やかな応答にも、若干の陰りを感じる。アンダーは事の仔細を詳細に説明して、パピーの現状を説明した。彼の途切れ途切れの説明に横やりを入れずに、施設の担当者は最後までを通して聴く。相槌を打たれるたびに、アンダーは自分が責められているような大きな罪悪感に苛まれた。そのたびに言葉が詰まっても、受話器越しの言葉はとても穏やかなものであった。


「そういう、感じです」


 一息に説明を終えて、自然と持ち上がっていた両肩がストンと落ちる。握りしめた拳の中が、ゲルでも握りしめたようにべたついている。


「そうですか・・・。アンダーさんがしっかりとパピーくんを保護して下さっていることが分かって、少しだけほっとしました」


 受話器越しでも感じられるほど、心の底からの安堵の声に、アンダーは目を丸くする。


「えっ・・・。でも、あいつのことをちゃんと見てやれなかったので・・・」

「ずっと見てあげることは難しいですよ。ですが、そうですね・・・。パピーくん自身があなたに少しでも負い目を感じてしまうのであれば、少しでも和らげてあげるために、我々が預かるという選択肢は間違っていないのかも知れません」


 アンダーはつい感情が昂り、話者のいない空間でジェスチャーをする。


「はい、そういう感じです」


 担当者は手元に資料を持ち込む。受話器越しに紙が擦れる微かな音がアンダーの耳に届く。


「分かりました。パピーくんとお話をしたうえで、前向きに施設への入所を検討しましょう」

「よろしくお願いします」


 アンダーは誰もいない空間に向けて頭を下げる。通りかかるマスクの老人が、アンダーを一瞥して通り過ぎていった。


 スマートフォンの通話ボタンを切ると、彼はどっと押し寄せてきた疲れに任せて深いため息をこぼした。そして、次の瞬間には久しぶりに腹の虫が鳴った。お腹を摩ると、異様な空腹に気づき、思わず売店の方を向く。売店は今まさに閉店作業の真っ最中だった。


「薬局でパンでも買うか・・・」


 彼はそう呟いて、真っ白で少し豪華な病院を出る。まだ高く日が昇っており、排ガスのにおいも彼の前を元気に横切っていく。誰に言われるでもなく、彼は横断歩道の前で左右確認をした。ピンク色の派手なバスが、彼の前を通り過ぎていく。

 信号機が青に変わると、彼は向かいの薬局へと早歩きで入店した。


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