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負犬物語 -スラム・ドッグス-  作者: 民間人。


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失踪

 アンダーが自宅まで辿り着いたとき、自室の前には隣人たちが集まって何かを話していた。アンダーが息を切らせて中へと割って入ると、扉には乱暴にこじ開けられた跡がある。周囲の学生達が彼に事情を聞こうと群がってくるのを押し退け、彼はすぐに自宅の扉を開けた。


 いない。


 整った室内で、2匹のオコジョが怯えた様子で毛を逆立てているだけだった。

 一気に体の力が抜け、彼は床の上にへたり込む。心配して野次馬たちが声を掛けると、彼は固い床を思い切り拳で叩き始めた。


「くそぉ!」


 何度も、何度も床に拳を叩きつけ、切れた傷の血を沁み込ませるように、激しく繰り返す。周りは何も言えず、ただ、顔を見合わせるばかりであった。

 やがてべっとりと自分の血がついた床の上に、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。ぼやけた視界の中にはっきりと見えるのは、自分にとりついてくる茶色い体毛のオコジョたちの姿だけだ。彼はポケットからスマートフォンを取り出すと、警察へと電話をかけた。


 数分後、寮内に入ってきたパトカーが、回転灯を回したまま駐車場へ止まる。パトカーを出た警察官は人が集まり、明らかに異様な雰囲気を持つ部屋へ向かった。


「どいて、失礼します」


 警察が事務的に人を散らす。開け放たれた扉の前で膝をつく学生の後ろ姿を確かめると、警察官は顔を見合わせて、互いの記憶が間違っていないことを相方に確認をした。


「通報者のアンダーさん、ですかね」


 声を聞くなり、アンダーは警察官に縋り付く。取り乱した様子で制服の胸倉を掴み、鬼の形相のまま、ぼろぼろと涙を落とした。


「お願いします、あいつはこれ以上不幸になる必要ないんです!何とか、何とか助けてやってください・・・!」

「あの、落ち着いて・・・」

「お願いします!!」

「お兄さんしっかり!」


 頭に響く怒号を受けて、アンダーは再び地面にへたり込んだ。野次馬たちが困惑した様子で彼を見学している。人混みの奥から腕を高く上げ、スマートフォンで撮影する者もある。

 警察はアンダーの背中を摩り、励ますようにしながら事情聴取をする。彼はこれまでの経緯を話し、先日の殺人事件についても言及をした。


「残念ながら、事件性が高い失踪というのが、我々の見解です。アンダーさんの証言をもとに、急ぎ調査を進めていきます。アンダーさんも、身の安全を確保して下さい。軽率に動いたりはせず・・・待期をお願いします」


 アンダーは黙って頷く。

 事情聴取が済む頃になると、人払いも済み、周囲の人混みも徐々に疎らになっていた。アンダーは、警察官と共に自室に入り、スマートフォンを机の上に置く。30分の沈黙の間中、彼の鼻を啜る音が室内に響いた。


 オコジョたちがアンダーに身を寄せて震えている。逆立った毛は露わになった警戒心の証である。


「今回失踪した方とは、どのようなご関係ですか」

「財布をスリされて・・・貧困で家もなく彷徨っていたことが分かって、保護したんです。悪い・・・癖で、衝動的なものでした。バイトの先輩が色々手配してくれて、一緒に住むことになったんです」


「もしかして、バイトの先輩というのは・・・」


 アンダーは黙って頷いた。警察官も答えに窮する。改めて、ケイナインの出来事が脳内でフラッシュバックし、アンダーの体は自然と震えだした。


 悪寒が止まらない。警察官が励ましの言葉をかけ、背中を摩った。気丈に振舞おうとするアンダーだったが、とめどなく涙は溢れ出してくる。スリープ状態のスマートフォンに映った表情はひどいものであった。画面に涙が落ちれば、ますます顔が歪む。


 時計の針が無情な時間を刻む。彼は津波のような分厚い感情に脳が押し流されそうに感じる。しかし、どれほど待てど、秒針の一目盛りが、中々過ぎてくれない。彼は澄んだ瞳のオコジョをぎゅっ、と抱き締めた。


「不安ですね・・・大丈夫。まずは落ち着いて」

「ひゃい・・・」


 ほとんど吐息のような返事がこぼれる。


 地獄のような長い一秒であっても、日は傾き、夜は暮れ、朝は明ける。時折警察官が入れ替わり、しきりに連絡を取り合っている。

 アンダーのスマートフォンには、何の連絡もない。彼はただ、画面に映った醜い顔と、にらめっこを続けているだけだ。


 広報から、迷子のアナウンスが流れる。正確にパピーの特徴を伝えるアナウンスだが、激しく反響して重なり合い、ひどく聞こえづらい。それがパピーの安否をますます不明瞭にするように思えて、アンダーの心は一層騒めいた。


 やがて、昼過ぎになると、警察官が部屋から撤収していく。一人取り残されたアンダーは、オコジョをぎゅっと抱き寄せ、「ごめんな・・・」とうわごとの様に繰り返した。


 それから食事も喉を通らない日が続き、一週間が過ぎようとしていたある日、アンダーのスマートフォンに電話がかかってくる。アンダーは一も二もなく飛びつき、素早く通話ボタンを押した。


「パピーくんを保護しました。お手数ですが、署までお越し頂けますか」

「パピーは、無事ですか!」


 アンダーは思わず立ち上がった。悲鳴のような声に、隣室から激しい非難が壁に向けて打ち付けられる。彼は座り直し、警察官の応答を待った。


「・・・大変、申し上げにくいのですが・・・」


 次に続く言葉を耳にして、アンダーはスマートフォンを落としてしまう。瞳孔が激しく揺らぎ、力無く肩を落とした。


 警察官から応答を求める声がする。落ちて裏向きになったスマートフォンから繰り返される声は、くぐもって聞こえた。


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