椎本
メガロータスから狭い路地裏を彷徨うこと数十分のところに、幾つかの段ボールハウスが林立するエリアがある。既に高層ビル街から外れて、何度目かリース先が入れ替わった4階建てのビル沿いであり、少し郊外方向へと繰り出せば広々とした公園がある。一歩歩み出せば月明かりを受けれるというその場所で、ハイトが浮浪者のために新たな段ボールの家を建設していた。知り合いのいるスーパーから持ち帰り用として回収した段ボールを駆使しており、材料費はガムテープ代とビニール袋代と同じである。それを受け取るのも困難な浮浪者たちは、男が二つ返事で答えてくれた自宅の修復作業を、零れ落ちそうな大きな目で眺めていた。
「悪いなぁ。材料費も馬鹿にならんのに」
「この辺で生活できる収入があるのは俺だけだからな、しょうがねぇ」
ハイトはそう答えると、慣れた手つきで段ボールを男の身長に合わせて貼り合わせる。天井だけを蝋が塗られた柑橘類の絵が記されている段ボールで貼り合わせ、軽く手で揺すって強度を確かめると、段ボールの内側から出てきて男に声を掛ける。
「ほい、お待たせ」
「助かる、ありがとな」
「おうよ」
二人はそんなやり取りをして、浮浪者は段ボールハウスに戻り、ハイトは二つ先の段ボールハウスへ戻った。
ハイトは床に寝転がり、ごみ箱から引っ張り出してきた、破れたバスタオルを上に羽織る。眼前の少し深い色をした段ボールを見つめながら、大きなため息をこぼした。
「また『新居』探さねぇ―となぁー・・・」
暫く前から続く憂鬱は、言うまでもなくアンダーの通報のせいである。幸い、自宅へ招き入れてはいないので、警察の捜索は順調に進んでいない様子である。
ハイトは、近くに公園があり、日なたでぼんやりとしたり『ごみを回収する仕事』ができるこの『住宅街』が気に入っていた。警察が調査に入ってしまえば、ここの仲間達も散り散りにされてしまうだろう。それが何より憂鬱であった。
とは言え、考えたところで仕方がない。今のところ警察の捜索はないし、足がついたという様子もない。コンビニで顔を合わせるアンダーも、特別によそよそしいという様子でもない。彼は寝返りを打ち、分厚い段ボール越しに感じられる路地の冷たさから逃れようとした。
夜もすっかり更けている。はやく次の日雇い雇用を見つけなければ、などと雑多な不安ごとをあれこれと考えているうちに、彼の瞼は重くなった。
そのまま小一時間睡眠を続けた彼が目を覚ますと、近隣の段ボールハウスから話し声が聞こえる。「いよいよか・・・」と、ハイトは腹をくくって身を起こすと、扉から顔を覗かせる。すると、先ほどの新居から顔を出した浮浪者が、黒ずくめの男に様々な質問を受けているらしかった。「知らん」「人の名前はわからん」と鬱陶しそうに答える浮浪者に、厳つい風貌の男は喧嘩腰で質問を繰り返した。
「じゃあ何か?ここにこいつはいねぇっていうのか?」
「似た奴なら居るけど・・・」
浮浪者は顔を覗かせるハイトと一瞬目が合うと、焦ったように視線を逸らした。その動作を見て自分が置かれている状況を即座に理解したハイトは、顔を引っ込めて体勢を起こす。いつでも逃走できるように片膝をつき、浮浪者の回答に耳をそばだてた。
「おう、そうか。あっち?あっちか?」
「今なら寝てるかも」
そんなやり取りの後、黒ずくめの男はハイトから遠ざかっていく。足音が聞こえなくなり暫くすると、浮浪者が段ボールハウスの扉、ただ一面を切り取っただけの簡素なものの隙間から声を掛ける。
「公園の方行ったでな」
「サンキュー。お前も大事なもんだけ纏めて逃げろよ」
二人は声を掛け合うと、公園の反対側、つまり市街地側へ向かって駆けだした。元より持つべきものなど何もない彼らは身軽である。ポケットの中の小銭をじゃらじゃらと鳴らしながら闇の中へと消えていく浮浪者と、町の方へと逃げていくハイト。両者は互いの顔を確かめもせず、「借金取りであろう」男から離れていく。
暗い路地裏の建物には、新聞紙を敷いて脚を延ばしているような浮浪者もいる。そうした人の脚を飛び越えて、3つめのビルを超えるところまで差し掛かると、先ほど別れたばかりの浮浪者の悲鳴が、迷宮のような道に響き渡った。脚を延ばしていた男が驚いて瞼を開く。
「くそっ!騙されたか!」
ハイトが声を荒げながら、ぼんやりとした目の男の前を横切っていった。
悲鳴を聞いて間もなく、甲高い銃声が空気を震わせる。鼓膜に届く壮絶な音の波は、収まると硝煙の嫌な臭いにとって代わった。ハイトが音の正体に辿り着いたとき、先程まで新居を得て無邪気に喜んでいた浮浪者は、古いごみ箱に背中を預けて血だまりの中で項垂れていた。
ぎらぎらと輝く銃口から硝煙が立ち昇る。左手をポケットに突っこんだまま、黒光りする革靴を揃えて立つ厳つい男は、ゆっくりと視線をハイトの方に向ける。
ハイトは素早く男の懐に入り込み、右手を鷲掴みにした。
「殺すことないだろうが!」
「こんなもん一人二人減っても変わんねぇよ」
もみ合ううちに銃が手元を離れると、男、アオスジは素早く銃を背後へと蹴飛ばした。小さな拳銃は地面の上を回転しながら滑り、闇の中へと消えていく。ハイトは鳩尾に思い切り殴打を繰り出すと、アオスジは報復と言わんばかりに強烈な蹴りを横腹に打ち込んだ。
互いに鈍い呻き声を上げて距離を取る。ハイトは一足先に体勢を立て直すと、アオスジの顔面目掛けて大きく振りかぶった。
アオスジはポケットの中からナイフを取り出してハイトの拳を切り裂いた。ハイトは素早く躱したが、手首にナイフが掠った。
足元に点々と血が滴り落ちる。アオスジはナイフを構え、腕を抑えるハイトの眼前に突き付けた。
「いい子にしてりゃすぐ楽にしてやるよ」
アオスジは顔を歪めて笑い、腕を庇うハイトの脳天に向けて振りかぶった。すんでのところで逃れたハイトが逃走を始めると、アオスジは闇の中に消えた拳銃を取りに戻っていく。
「ぐっ、結構、深ぇ・・・!」
手を抑えても迸る血が、さながら目印のように地面にこびりつく。狭い街路を必死に走るうちに、背後から銃声が響いた。
「待てやおらぁ!痛い目見ることになるぞ!」
「どっちみち痛い目みせる気だろうが、待つかぁ!」
叫ぶように声を荒げ、人の往来が盛んな大通りへと急ぐ。光が徐々に広がっていく中でも、遠く空へと響く拳銃が心臓を委縮させる。
「あと、少し・・・!」
ハイトは目前に信号機の赤い光を見て、表情を綻ばせた。その刹那、彼の背中に弾丸が届く。
そのまま倒れ込み、血塗れの腕を伸ばして光の方へと手を伸ばすが、その手は影が差す地面を掴んだ。アオスジは目を細め、ハイトが伸ばした腕の痙攣が収まったことを確かめると、懐に拳銃を納めて闇の中へと消えていった。




