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負犬物語 -スラム・ドッグス-  作者: 民間人。


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報告

 すっかり疲れ果てた美しい相貌の男が、壁伝いに狭い路地を歩いていく。息も絶え絶えになった男は、足元を通り過ぎる鼠の影に悲鳴を上げ、ごみ箱を大袈裟に避けながら、一棟の建物に縋り付くようによりかかった。くすんだ赤煉瓦の外壁が上品でありながら、何か異様な存在感のある大きな扉を持つその建物は、周囲の建物が放つ黄色い電灯の明かりを持たず、色のない真黒なカーテンで閉ざされている。時折カーテンが揺れると、蛍光色のような強い明かりが漏れてくる。

 一種の異様さを放つその建物の中から、黒服の男が一人玄関先に現れた。ベインはよろめきながら男にしがみつくと、恐怖に唇を震わせながら訴えた。


「お助け・・・下さい・・・!」


 黒服の男はベインの肩を一発思い切り殴打する。男の情けない悲鳴が甲高く路地裏に響いた。


「出すもん出してから物言いやがれこの・・・」


 言いかけた男に、ベインはすかさず今日の「成果物」を手渡した。黒服はメンチを切りながら乱暴に封筒を受け取ると、早速中身を確認する。分厚い封筒の中にある札束を確認し、ベインが常に組織にもたらす「望ましい成果」を確かめると、ベインに唾を吐きつけた。


「あるならさっさと出しやがれ、タコ!」


 ベインはぶるぶると震えながら、唾液を白いハンカチで拭き取る。彼の潤んだ瞳はほとんど黒服を視界から外そうと遠くを見ており、彼の肩は縮こまっている。


「・・・あの。お助け下さい。これまでのことで何者かに狙われています・・・」

「あぁ!?」


 黒服が乱暴に聞き返す。咄嗟に頭を腕で覆ったベインは、暫く拳が飛んでこなかったため、様子をうかがうように腕の隙間から黒服を見上げた。

 軒先の騒ぎを聞きつけたらしい若頭が、大股で玄関から降りてくる。黒服は先程とは打って変わってへりくだって頭を下げ、若頭の良く磨かれた革靴を舐めるように見ている。


「アオスジ、なんの騒ぎだ?」

「お疲れ様です頭ァ!」


 若頭は黒服の頭を素通りしてベインを一瞥する。ベインは「ヘッド・・・お助けを・・・」と改めて弱々しく訴えた。ベインの震え具合を確かめたヘッドは、黒服が殴打したであろう肩を、少し力を入れて掴む。ベインの小さい呻き声を聞き、アオスジを睥睨した。


 顔を持ち上げたアオスジが、冷汗をかきながらヘッドに笑いかける。ヘッドはゆっくりと掴んだ手をベインの手首まで滑らせていき、再び小さな呻き声が右耳に届くと、小さく鼻を鳴らした。


「なんだ、狙われてんのか?」

「訳の分からない連中に・・・。一人はヒョロヒョロした大学生、もう一人はガタイのいい男です」


 ベインが涙ながらにヘッドに縋り付こうとすると、アオスジはすかさず殴打したばかりの肩を鷲掴みにして引き剥がす。微かな呻き声に被せるように、額に青筋を浮かべて怒鳴った。


「汚ねぇ手で頭に触んじゃねぇザコ!」


 顔色一つ変えずに、ヘッドがアオスジの背中に蹴りを入れる。アオスジはその勢いのまま体勢を崩し、路地に置かれたごみ箱へ向かって突撃していった。

 凄まじい音を立ててごみをまき散らすアオスジを、怯えた様子で見ていたベインは、旋毛のあたりを鷲掴みにされて竦みあがる。ヘッドは掴んだ腕をゆっくりと動かすと、ベインを自分の方へと振り向かせた。


「・・・お前さん、顔は傷ついてなくて良かったなぁ・・・。それが一番稼げんだろ?」


 ベインは思い切り首を上下に振る。ヘッドは歪に口角を持ち上げた。


「お前さんは毎回『誠意』も見せてくれるしなぁ。いいよ、部屋で話聞いてやるよ」


 そう言うと、ヘッドは顎で建物へ入るように促した。ベインは体を小刻みに震わせながらヘッドのわきを通り、玄関へと上がる。アオスジが後に続き、ヘッドは大股でその後ろについた。


 ベインが二人のために扉を開けると、アオスジが顔に唾をかけつつ建物へと入っていく。二人が入った後に続いて、ベインはハンカチで顔を拭いながら扉を潜った。

 廊下の室内灯は柔らかいオレンジ色の灯であった。落ち着いた青磁の花瓶には、一輪の薔薇の花が生けられている。この花台を中心に両翼を広げた鳶のように廊下が左右に広がっている。三人は右手へと向かい、階段を2階分登った。

 時折階段から覗くことができる階層の廊下からは、白い電球を和紙で覆った明かりが、うすぼんやりとした光を灯している。


「・・・それで、お前に身に覚えはないのか?」


 ヘッドの言葉に、ベインは首を横に振る。


「いえ、恨みを買うことに関してはキリがございませんが・・・。あぁでも、この前お世話になっておりました女性のことを言っておられた気がいたします」


 会話をしながら、三人はヘッドの書斎へと入る。四隅にある観葉植物はよく手入れされ、綺麗な皮張りの二人用ソファが向かい合って設置されている。ヘッドは自分のデスクに腰を掛け、ベインとアオスジがソファに向かい合って座る。ベインは足を揃えて股を閉ざして腿を合わせ、アオスジは大きく股を開いて座っている。


「特徴とかは?」

「学生の方は眼鏡をかけた真面目そうなお方で、もう一人は恐らく工事現場の土方です。日焼けもしておりますし、何よりなかなか見事な筋肉をお持ちのようでございます」


 ヘッドは白紙とボールペンを取り出すと、さらさらとメモを取った。ベインの証言をもとに似顔絵も描かせる。アオスジは苛立った様子でベインを睨みつけている。


 二人の特徴をかき出し終えると、ヘッドはそのメモをアオスジに押し付けた。


「お前の領分で起きたことだ。お前で落とし前つけろ」

「そんな、馬鹿言ってもらっちゃ困りますよ!こんな奴のためにいちいち手ぇ汚してらんねぇですって!」


 アオスジが良く通る大きな声で訴える。ヘッドは胸に押し付けたメモ帳ごと、彼の胸を打った。鈍い呻き声を上げて、アオスジがその場にうずくまる。ヘッドは煙草を取り出すと、アオスジの旋毛の上でそれに火を点けた。副流煙が辺りに充満し、先端から徐々に灰が溜まっていく。


「これのことじゃあねぇ。これの運んでくる金と物に傷がついたら困るっつってんのよ。俺が満足いったら、ここで一服するんだけどな」


 ベインはすっかり縮こまり、ソファの隅に身を寄せて子犬のように震えている。アオスジが慌てて同意の声を張り上げると、ヘッドは煙草の背を一つ叩いてから、自らの口元に運んだ。


「じゃあ、そう言う事なんで、ベインさん。ちょいとお休みしてくんねぇかな・・・?」


 ベインは声もなく首を上下に振る。ヘッドがガラス製の灰皿に灰を落とすと、首筋に落ち灰を振り落としたアオスジが、顔を歪ませて立ち上がった。


「灰は拾っとけよ。火事になるでよ」


 ヘッドがそう言い残してその場を立つと、アオスジは急いで零れた灰を絨毯から拾い上げて、灰皿の上に戻そうとする。「そんなに落ちてるわけゃねぇだろ」という鶴の一声を聞くと、行き場を失くしたアオスジの掌がベインの頭を叩いた。


「用が済んだらさっさと出ていきな」


 ヘッドに言われるがままに、二人は逃げるようにその場を後にした。


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