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負犬物語 -スラム・ドッグス-  作者: 民間人。


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宴会

 ロータス・タワー前の巨大なロータリー沿いには、チェーン店や高級店が多いが、少し外れると個人経営の店舗が続く通りがある。

 ロータス・タワーから南西側、風俗街のある大通りからは二つほど小さい通りを挟んだところには、飲み屋街と言ってよいバルが建ち並んでいた。

 普段ならアンダーには用事のないところだが、夜の賑わいについては良く知っていた。というのも、周りの大学生達が飲み会に使う店が並んでいるからだ。


「お、きたきたー。おーい!」


 道行く人の中で、一際がたいのいいハイトが手を振る。彼はバルの看板の横に立っており、尻ポケットを一杯に膨らませていた。


「お待たせしました」

「俺も今来たとこだよ。・・・そっちの子が?」


 ハイトはパピーを見て尋ねる。パピーの方はアンダーにぴったりと貼りついて、警戒心を隠そうともせずにハイトを睨んだ。アンダーはパピーの頭に手を置く。即座にその手は振り払われた。


「えぇ・・・。パピーです。すいません。人慣れしてないもんで・・・」

「はっはっはっ!良いって良いって。じゃ、行こうぜ」


 ハイトは扉を開けるや否や、店員の声もかき消すほどの威勢で「うーっす」と挨拶をする。アンダーはぺこぺこと頭を下げつつ、丁寧に戸を閉めた。

 アンダーの五感を真っ先に刺激したのは、強烈なアルコール臭と油の臭いだった。カウンター席にはフライドポテトやチキン、そしてジョッキ一杯のアルコールがある。席と席の間にはアイスボックスがあり、大粒の氷が納められている。汗をかくアイスボックスからトングを使い、氷をグラスに落とす音が心地よく響いている。


 アンダーはハイトに連れられてテーブル席に着く。落ち着かない様子で辺りを見回す二人の前に、ハイトはメニュー表を開いて示した。


「好きなもん頼め!」

「すいません、いただきます」


 アンダーはしめやかに頭を下げてから、メニュー表に目を下ろす。はじめに開かれたページはアルコールドリンクのページで、アンダーがそっとページを捲ると、ハイトがその手を押さえて笑う。


「遠慮すんなよぉー」

「いえ、アルコール弱くてですね・・・」


 ハイトはそっと手を離した。アンダーはパピーと二人でソフトドリンクを選ぶと、メニュー表をハイトに返した。ハイトは寂しそうにメニュー表を受け取ると、一人アルコールを注文し、アイスボックスも追加した。


 若者の前に並べられたメニューはどこか遠慮がちなもので、ハイトの前にばかり脂っこい料理が運ばれてきた。ハイトは悲しそうに眉尻を下ろし、トングで氷を一つ一つグラスに移していく。


「いただきます」

「はいよ」


 アンダーは綺麗に食事を始めたが、パピーはぎこちなく食器を扱う。その様子を目にして、ハイトは却って満面の笑みを浮かべた。


「手づかみで食え!」


 パピーは一瞬上目遣いでハイトを睨んだが、ほんのりと赤みがかった顔の男がうんうんと頷いているのを見ると、勢いに気圧されてフォークを取り皿の上に置いた。そして、視線はそのままにフライドチキンを鷲掴みする。


「おい・・・!」


 小声で諫めるアンダーの声を無視し、パピーは大口を開いてチキンに齧りついた。ハイトは大声で笑い、「食え、食え!」と自分の前にある小皿を寄せていく。

 パピーの目がきらりと光り、取り皿の上に骨を捨てると、指を舐め回してから揚げを頬張った。

 栗鼠のように口いっぱいに料理を含んで咀嚼するパピーを見て、アンダーは呆れて首を振った。

 そんなアンダーの前に、フライドチキンが差し出される。


「お前も、ほら」


 パピーの喉仏が上下に動く。指先まで堪能する彼の頬には衣のカスがついていた。


「・・・あぁ、もう・・・!いただきます」


 アンダーはフライドチキンを受け取ると、大きな口を開けてこれを頬張った。

 かり。心地よい衣の音が口の奥から響く。熱い肉から溢れ出る肉汁は、もやしやもずくをおかずに食べた白米を恋しく思わせる。鼻腔を満たす揚げ物の香り。舌の上を滑る暴力的なほど濃い鶏肉の味。彼の理性を弾き飛ばさんばかりの目の覚めるような快感が喉を通り過ぎた。


 ハイトはヤニで黄ばんだ歯を晒して、ニヤつきながらアンダーの様子を眺めた。パピーの手とアンダーの手が、皿の上でぶつかる。我に返ったアンダーが手を引っ込めた時、ハイトは矢継ぎ早に新たなチキンを注文した。先ほどより赤みがかった衣を見て、わずかに残ったアンダーの理性が手を止める。ハイトは先んじてチキンを手に取り、遅れまいとパピーの手がチキンに伸びる。


「・・・ずるいですよ!」


 アンダーは絞り出すようにこぼすと、残った辛いチキンを皿ごと取ってカウンターへ向けて大声を張った。


「すいません、お酒ください!」

「メニュー、メニュー!」


 アンダーは慌ててメニューに目を落とし、安酒を注文した。


 食事も落ち着き、全員の口の中が油で満たされる頃になると、ハイトとアンダーの手元にも、お冷が運ばれてきた。


「どう、うまいだろ?」

「・・・ずるいです」


 アンダーは絞り出すようにこぼした。完全に酒の回ったハイトが、手を叩いて大笑する。周囲に飛び交う声と同じように、鼓膜によく響く酔いどれの声を、パピーは若干引き気味で聞いている。


「アンダーはよぉ、そういう活動してんのか?サークルとかで」


 ハイトはお冷で口をすすぐ。明らかに手入れの行き届いていない、不健康な黄ばんだ歯を恥じらいもなく晒している。


「いえ、出会いは本当にたまたまで・・・。世話することになったのもその流れなんですけど・・・」


 アンダーは何となくきまりが悪そうに、ぼそぼそと答える。アルコールのせいで顔は真っ赤だが、彼は結局一杯しか飲んでいない。彼がそっととなりを見やると、目つきの悪い視線が、瞳をきらきらと輝かせて見上げていた。


「まぁ、こっちが救われたこともあります」

「おお。いいじゃん」


 アルコールが回って重たくなった頭の中で、砂嵐の中にあった記憶が鮮明になり始める。アンダーはそれについて話そうか逡巡したのだが、理性が追いつく前に喉元から言葉が零れ落ちてしまった。


「あの・・・バイト先の先輩が詐欺に遭って・・・餓死したんです。その時、俺、何となく詐欺だって思ったので、忠告したんですけど、力及ばなくって・・・。何とか助けられなかったのかなって思ってた時に、こいつに励まされたんですよ」


「おい!」


 パピーが顔を真っ赤にして怒鳴る。アンダーはその声に我に返り、パピーに平謝りした。アルコールを浴びた時のようにすっかり耳まで赤くしたパピーが、不服そうにそっぽを向いた。

 グラスの中で氷がカラン、と音を立てる。その音に、我に返ったように、アンダーはハイトの方に含み笑いを返す。すると、ハイトは真剣な眼差しをアンダーに向けた。


「その詐欺師・・・名前わかってんのか?」


 アンダーは先程とは打って変わって威圧感さえ感じるハイトに対して、声を震わせながら答えた。


「・・・偽名だと思いますけど、アンサーって名乗っていたそうです」


 ハイトは残ったアルコールを一気に飲み干して、乱暴にグラスを机に置いた。


「そいつは、許せねぇな・・・」

「は、はい・・・」


 アンダーが怯えた様子で答える姿を見て、我に返ったハイトは苦笑いをこぼす。


「悪い、悪い。ちょっと頭に血がのぼっちまった。そろそろお開きにしような」


 ハイトはそう言って尻ポケットから財布を取り出す。酔っ払い特有の良く響く声で「お会計!」と声を掛けると、店員がにやつきながらテーブルへとやってくる。ハイトと短い冗談を交わしながら、三人分の会計は素早く終わった。


 店を出ると、アンダーは改めてハイトに頭を下げる。パピーの頭を優しく押さえ、パピーにも礼を促した。


「ごちそうさまでした」


 ハイトはふらふらとしながら「良いって良いってぇ・・・」と答えると、大股で歩き出す。


「お気をつけて!」


 アンダーが背中に向けて声を上げると、ハイトは右手を挙げて手を振った。そのまま飲み屋街の奥へと消えていくハイトが見えなくなると、アンダーはパピーに向かって声を掛けた。


「ほら、俺達も帰るぞ」


 パピーはハイトの背中を惜しむようにじっと見つめながら、ぼそりと呟いた。


「あれくらい良いもの食いたい・・・」

「金がかかるんだよ・・・」

「分かってるよ」


 二人は舌の上に残った心地よい味を惜しみながら、並んで帰路についた。


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