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負犬物語 -スラム・ドッグス-  作者: 民間人。


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24/70

不穏

 真夏のロータス・シティはいつにも増して忙しない。夏休みになり観光客が増加するためだ。アンダーがアルバイトをするコンビニも、大通りにあるため大層忙しい。それはアンダーも例外なく忙しいということだ。

 その日も、アンダーは、臨時の短期アルバイトと共に仕事をこなしていた。コンビニに来る人の中には、普段は来ない顔も良く目にする。慣れない町のコンビニを、うろうろと動く観光客の集団が、レジ前に一瞬のうちに行列を作る。それが過ぎればまた観光客がふらふらとやってくる。レジの研修には丁度いいのだろうが、それ以外の仕事は教えづらい。


 アンダーは短期バイトに陳列を任せつつ、手際よく会計を済ませては陳列の手直しをする。足元の黒い靴跡も、いつになく目立って映った。


 昼過ぎになると、今度はよく見る顔ぶれが昼食を買いに来る。その中には、友人とトラブルを起こした人物もあった。

 彼はいつもの軽食をレジに置くと、アンダーに気が付いて気さくに声を掛けた。


「お疲れ」

「あ、お疲れ様です」


 何となく、アンダーの声が明るくなる。目の前の人物は首に掛けたタオルで照明を照り返す日焼けした肌を拭い、アンダーの手元を眺めていた。

 アンダーの細く青い血管の浮き出た手が、商品を右から左へと流していく。そして、日焼けをした客が慣れた様子で財布からカードと小銭を彼に渡す。息の合った仕事ぶりである。

 レジ会計を済ませると、彼はアンダーに対していつになく親しげに手を振って店を後にする。アンダーはあくまで頭を下げて、客として彼の背中を見送った。


 店を出たと同時に、首から噴き出した粒のような汗をタオルで叩き落とす姿を、アンダーは親戚の伯父を見送るような気持ちで見ていた。

 その後も、彼と似たような軽装の男達がやってきては会計に並ぶ。外で一服をして彼らを待つ人の手には、先ほどレジを通したばかりの缶コーヒーがある。この集団をアンダーが見送った後、彼は夏だというのに青い顔をした店長と交代をした。


「店長、前休んだのいつですか・・・?」

「んとね・・・先々週ぐらいかな・・・」


 店長は消え入りそうな声を絞り出す。半分開いていない目に憐憫の表情を向けながら、アンダーは掃除当番表に目をやった。


 店長、アンダー、店長、アンダー、店長、店長、アンダー・・・。このうちの二つの店長が、かつてはケイナインだった。アンダーはあまりの出来事に閉口していたが、店長は疲れた笑顔を見せる。


「いやぁ、いいよ。アンダーくんが保険入らないといけなくなるとまずいし・・・。次の新入りが来たら、一緒に教育するの手伝ってね・・・」

「はい、お疲れ様です」


 店長の哀愁漂う笑顔に返す言葉も思いつかず、彼は可能な限り優しく労いの言葉と共に仕事を引き継ぐ。乾燥した薄い唇を舐め、店長は力なくアンダーを送り出した。


 アンダーは着替えを済ませ、ロッカーから強引に鞄を引っ張り出す。鞄の表面が毛羽立っているのを見て、小さくため息をつく。

 資料と不要な荷物がたっぷり入った鞄を背負い、裏口から店を出る。大通りから射し込む光から目を逸らすと、いつかの恐怖が蘇った。真夏の露わになった手に気味の悪い鳥肌が立ったのを摩って隠し、光の降り注ぐ方へ繰り出す。


 ひっきりなしに往来する人の波の中をずんずんと進み、ケイナインが倒れていたあたりに辿り着くと、アンダーの脳裏に不意に苦い記憶が蘇ってくる。


 そこには彼女の姿も、その面影もない。ただ空間があるだけで、空間を埋め尽くす人の熱気があるだけだ。


(個展の話をしていたやつ・・・いま何してんだろう)


 ろくに知りもしない男のことが、ふと思考の片隅から顔を出すと、アンダーは必要以上の苛立ちを覚え、かぶりを振って視線を逸らした。

 逸らした視線の先には工事現場がある。建物に取り付けられた大きな看板を慎重に下ろしており、新たな看板を駐車するトラックが荷台に乗せている。足場の上をうろうろする人のことを、下の階にいる人は気にも留めていない。建物の表面には、綺麗に塗装を直された一角もあった。


 大都会ロータス・シティでは珍しい光景ではない。大通りの看板などいつも入れ替わるものだ。まして、チェーン店でなければそれこそ光の速さで入れ替わるものだ。普段なら気にも留めないことだが、今のアンダーは不思議と不快感を覚えた。まるでケイナインがいたこと自体が、最初からなかったことかのように思えたからだ。


「あの人は、何のために絵なんか描いてたんだろう・・・」


 不意に口から零れた言葉に困惑しながら、彼は目を泳がせる。先ほどコンビニで見た、友人とトラブルになった男が、看板の取り換えをしていることに気が付く。相手も不意に目が遭い、アンダーに嬉しそうに手を振った。当のアンダーは苦笑いで手を振り返す。


 そして、気まずくなって先ほど後にした店へと戻る。彼が良く買う硬水のペットボトルを手に取ると、真っ白な顔の店長の元へと向かった。


「いらっ・・・アンダーくん。お疲れ様」

「お疲れ様です。ちゃんと休憩して下さいね」


 小銭をカウンターに出す際にそっと声を掛けると、店長は疲れた薄ら笑いだけを返した。

 再び工事現場に戻る。男はからりとした空の下で汗を流していた。アンダーからすれば人間が一人で運ぶにはいささか重すぎる建材を、ひとり肩に担ぎ、上へ、上へと運んでいる。滝のように流れていく汗でシャツの背中はぐっしょりと濡れていた。


 アンダーは手近にいる作業員に声を掛け、水を渡して欲しいとお願いする。未開封のペットボトルを受け取った作業員は、短い返事で応じて、さっさと作業へと戻っていく。


 道行く人が、迷惑そうに防護ネットを睨みつけ、工事現場を避けて通り抜けていった。いたたまれない気持ちになりながら、アンダーは大学へと向かう。冷房の効いた図書館に避難しないと、アンダーの白い肌は耐えられない。


 長い時間を快適な図書館で過ごしたアンダーが、背中を茜色に染める時、普段より少し早い閉館の鐘が鳴り響いた。急いで判例集を棚に戻し、少なくとも10枚にはなる印刷した判決文を強引にファイルに押し込んで、慌てて立ち上がる。アンダーは足早に図書館を出ようとしたが、すぐに席に戻ってくると、机の上に残したボールペンと足元に落ちた消しゴムを回収して出口へ向かった。


「やべっ・・・」


 ゲートを通り抜けて初めて、背負った鞄が全開になっていることに気づき、背中でも掻くように手を後ろに伸ばす。何とかチャックを半分閉めると、結局背負ったものを下ろしてもう半分を閉めた。


 図書館員が扉を閉め、書架が暗くなる。カーテンが閉められて隠された後で、アンダーはポケットの中にあるはずの財布を取り出そうと試みた。


「え?は?」


 彼は慌てて背負った鞄を地面に下ろし、苛立ちながら鞄の奥深くを探す。要らない書類と財布のような小物入れをかき分け、奥底に財布とスマートフォンを見つけて安堵すると、ようやく鞄を背負い直して歩き出した。


「アンダーくん、かばん、かばん!」


 図書館から出てきた図書館員に声を掛けられて、彼は再びチャックを半分閉める。もう半分に苦戦して、やはりもう一度下ろして閉めた。


 下らない茶番を繰り返して、どっと疲れたアンダーが大学を出る。門扉には墓場から来た烏たちが止まっていた。

 普段賑やかしい通学路の、なんと寂しい事だろうか。一人夕焼けを背負って歩いていると、眠らない町の慣れ親しんだヘドロのような臭いが不意に掻き消え、馨しい紅梅の薫りが通り過ぎる。同時に、きつい香水のにおいが鼻腔の中で混ざり合うと、アンダーは耐えかねて振り返った。

 背の高いニット帽で首筋まで伸びた髪をすっぽりと隠した、ワイシャツにスラックスを着た男と、大学でよく見るような私服の女性が、腕を組んで歩いている。女性の香りはすぐに香水と分かるが、男性のそれは嗅いだことのない不思議な薫りで、不慣れなアンダーにはそれが何の香水なのかわからなかった。女性の屈託のない笑顔はいじらしいものだったが、色の薄い男性の表情は優美な含み笑いで、奇妙な違和感がある。眼差しは優しげで、長い睫の下から覗くマラカイトのような深みのある碧色の瞳は儚げに輝いていた。

 アンダーは彼に見覚えがあったが、あまりに顔の薄い美青年なので、どこで見たのかを忘れてしまったらしい。いつまでも他人を観察するのも気が引けて、彼は帰路についた。


 夜が忍び寄るロータス・シティに、街灯が点々と灯り始める。素早く光るものから明滅を繰り返すものまで様々で、アンダーはその下を潜りながら、頭の中で唐突に流れ出すBGMを聞き流し、寮へ向かって歩いた。


 何事もなく寮へ着くか、と言ったところで、先ほどのカップルが寮の前で話しているのを見かける。男性は少し猫背ぎみだが、女性と視線を合わせて紳士的に話している。女性の手にはコテコテとしたアクセサリのついた、大きな長財布がある。アンダーは苦い記憶を思い出して、顔を顰めた。


 長財布の中身を数枚、男性の懐へと入れると、女性はスキップしながら寮へと戻っていく。

 青年は儚げに微笑むと、そっと頭を下げる。その瞬間に、ほのかに紅梅の香が辺りに薫り、アンダーは思わず立ち竦んだ。

 立ち去ってしまう青年のことを引き留めることもできず、アンダーはその場に立ち尽くした。遠ざかっていく背中が、ポケットの中からお札を取り出す時、あの薄く青白い微笑みはすでに記憶から遠のき、紅梅の残り香だけが、微かに留まっていた。


「あ・・・ちょ、ちょっと・・・!」


 金縛りにでもあったかのようなアンダーが、ようやく解放されると、女性の肩を掴む。大きな悲鳴が辺りに響き渡り、慌てて手を離すアンダーだったが、振り返った女性は怯え切った顔でアンダーをきっと睨みつけた。

 しかし、アンダーはケイナインの最期の表情を思い返す。


「あの、さっきの人になんで現金渡したんですか?」

「は、なに・・・?気持ち悪い・・・」


 女性のあからさまな表情に、アンダーは狼狽える。それがますます彼の「気持ち悪さ」を助長した。


「もしかして、詐欺とか思ってますか?貴方には関係ないので、関わらないで下さい」

「えっと・・・。すいません」


 女性はアンダーをいっそう警戒しながら、逃げるようにその場を立ち去る。アンダーは無力感に苛まれながら、自室へと戻った。


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