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負犬物語 -スラム・ドッグス-  作者: 民間人。


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検死

 病院の死体安置室へと運び込まれたケイナインの遺体の、本人確認を行ったのはアンダーであった。骸骨のように細くなった腕、青い血管が浮かび上がった枯れ枝のような手が、白い布の中から覗いている。


「ご家族とは連絡がつかないのですか」

「ご家族の方には連絡をしたのですが、誰も彼女の顔は見たくないと・・・」

「どういう神経してんですか・・・」


 苛立ちが逸ってつい喧嘩腰になるアンダーに、医師はしおらしく頭を下げた。

 彼女は一族の中の厄介者だったのか、どうなのか。彼には何も分からないが、一つ言えるのは、彼女の死を取り巻く環境は、悲惨極まりない有り様だった、ということだ。

 まず、店舗が絡む事件を疑われて、休日の店長が呼び出され、事情聴取を受ける。昨今の勤務態度を思えば彼の気持ちは察するに余りあるものの、それでも、彼女のことをひどく疎ましく思っているのは、その応対からあからさまだった。

 次に、最後の食事に関わったアンダーへの嫌疑。2,3時間にも及ぶ長い拘束時間だったが、素直な対応が功を奏したのか、最後まで事務的な確認にとどまった。

 このように、事件性はないと判断されたものの、アンダーは次に一連の詐欺疑惑について告発した。しかし、これは証拠がない事を理由に聞き入れられることはなかった。

 結局、彼女は何も得られるものもないまま、奪われるだけ奪われ尽くして命を落とし、そのことで多くの人間から疎まれたことになる。アンダーがやり場のない怒りを覚えたのは言うまでもない。


 顔の上を覆う白い布が持ち上げられる。おっとりとした一重瞼の垂れ目は、必要以上に落ちくぼんでいる。目の周りには異様に青いくまがあり、相変わらず唇は荒れ放題。ただ、体がすっかり痩せ衰えた結果、本人らしい特徴だけは、かえって強調されているようだった。

 アンダーは拳を握り、俯きがちに言う。


「本人で、間違いないと思います」


 周囲に散乱した遺品の数々には、画材ばかりが目立っていた。散乱していた絵の具は、丁寧に纏められ、その中の高級感のある銀色のチューブは使い古されて潰れている。大きなキャスケットの内側には絵の具の痕がこびりついており、それが画材を風雨から守っていたことが分かる。子供が使うような古い小さな財布の中には、小銭ばかりが詰まっていた。安物のかばんの中に折り畳まれた買い物バッグだけが、不思議と綺麗に折り畳まれていた。

 遺品の中にあるスケッチブックは、町の絵で埋め尽くされている。その中に、月の夜に向かい合う男女の姿があり、女性の方は彼女によく似ていた。


「このひと・・・。ずっと絵を描いてたんですよ。俺、バイト先の姿でしか、全然知らなくて・・・」

「はい」


 アンダーは拳を強く握りしめる。目を閉じて眠るような表情のそれは、二度と呼吸をすることはない。


「・・・俺が無駄なこと言ったから、死んだのかもって・・・」

「あなたのせいではありません。胃袋も空で、荒れ放題でした。寝食も忘れて絵に集中していたのでしょう」


 医師は粛々と答えた。アンダーは喉元につかえた感情を抑えて、小さく頷いた。

 彼が病院からの帰路につく間、しとしとと降る雨が、道路脇にできた水溜りに波紋を作っている。曇天の空はどこまでも広く、その先にある明るいものを全て覆い隠している。


 ロータス・シティは日常的に雨に降られることがあるが、それでも、その日の雨は特別な匂いが感じられた。咲きかけの紅梅のような、特別な薫りだ。空から振るい落とされる雨粒が、水溜りの中に溶け込んでいく様が、さながらこの町を示すようでもあると、彼にはそう思えた。


 彼の学生寮が近づいてくる。水溜りを踏みつける音がだんだん早くなる。寮の前で大きなため息をこぼし、表情を整えて自室へと戻った。


「ただいま・・・」

「おかえり」


 パピーはオコジョ2匹を抱きかかえていた。その手から逃れようとするすると動き回るおこじょは、さながらウナギのようで、パピーも負けじと何度も掴み直して2匹を堅持している。

 アンダーが返ってきたことに気づいたために、その手が緩んだのか、オコジョはするりと手の中から逃れて行った。パピーの口から、「あちゃー・・・」という小さな声がこぼれる。


 アンダーはため息をつき、布団の上に胡坐をかく。いつものように鞄を脇に置き、参考書を机上に取り出した。

 脇息代わりのエナメルバッグに肘をつき、参考書をパラパラとめくっていると、パピーは首をかしげる。


「どうした?」

「あ、いや・・・?何も・・・」


 誤魔化して笑い、テレビの電源をつける。夕方のニュース番組が放送されていた。ローカルニュースであり、ロータス・シティ周辺のアンダーにとっては関心のないニュースも詳しく報道されているのだが、その時のニュースは彼を釘付けにした。


「・・・おい?」


 パピーは怪訝そうに眉を顰め、テレビの方を振り返った。すかさずアンダーは電源を落とす。画面に映っていたキャスケット帽を被った垂れ目の女性が姿を消す。少し遅れてパピーが向き直り、じっとアンダーの顔を見上げた。


「な、なんだ?」

「・・・腹減った。飯食いたい」

「悪い、今は食欲なくて・・・」

「ハンバーガー食おう」


 パピーは視線を外そうとしない。アンダーは視線に堪えかねて、難しい顔をしながら頷いた。


「そいつらの餌と、俺の薬とか準備するから待ってろ」

「ん」


 アンダーは重い足取りで立ち上がる。プラスチックの皿の中に、てきとうに鶏肉や卵を放り込んだ。オコジョたちが立ちあがり、鼻をひくつかせる。彼が餌入れをオコジョの前に置くと、2匹は短い脚で皿の前に近寄り、鋭い牙を見せて肉に食らいつく。その間に薬をピルケースに入れると、鞄を肩に掛けた。


「じゃ、いくか」

「こいつら見てから」


 パピーはオコジョのしっぽが無軌道に動くのを指で弄びながら、彼らの食事の様子を観察し始める。アンダーは呆れたように大きなため息をこぼし、机の前に座り直して参考書を読み始めた。


 やがて、オコジョの食事が終わると、名残惜しそうに空の皿を舐める2匹から皿を取り上げ、流し台へと運ぶ。オコジョたちはチィ、チィと、非難轟々の声を上げたが、アンダーは構わず皿を洗い流した。


「今度こそ行くぞ・・・」

「ん」


 アンダーの言葉に従って、パピーがのそのそと立ち上がる。以前のような鋭さが抜けたものの、つり気味の目はやはり厳し気な性格に見える。黒服を身にまとい、ポケットに手を突っ込んでアンダーのもとに近づいてくる。


「転ぶなよ」

「は?」


 パピーが鬱陶しそうに応じる。一言言ってやりたい苛立ちを抑えながら、アンダーは彼を連れて自室を出た。

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