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ep 32

産声上げる涼風、産業の胎動、そして九尾の慧眼

ガンツ親方が工房に篭ってから五日目の昼下がり。アイアンハンマー工房は、珍しく静寂に包まれていた。そして、工房の奥から、目の下に深いクマを作りながらも、その瞳だけをギラギラと職人の誇りで輝かせたガンツ親方が、一体の奇妙な機械を台車に乗せて現れた。

それは、美しい木目を持つ「霧氷木」で作られた箱型の筐体に、ドワーフの金属加工技術が光る吸気口と排気口が取り付けられた、無骨ながらも機能美を感じさせる代物だった。側面には、デュラスが設計した魔力循環用の魔法陣が刻まれた魔石が埋め込まれている。異世界の職人技術と魔法理論、そして異次元の科学知識が融合した、「冷風機 試作品第壱号」の誕生の瞬間だった。

「親方……!これが……!」

「ふん、待たせたな。早速、動かしてみろい」

ガンツ親方に促され、デュラスが筐体の魔石にそっと手を触れ、魔力を注ぎ込む。フィリアが、教えられた通りに内部のフィルター部分に水を補給した。

真守が、緊張した面持ちでスイッチ(ドワーフ製の頑丈なレバーだ)を入れる。

ウィィィィン……という静かな駆動音と共に、機械が息をし始め、やがて排気口から、ふわりと、明らかに周囲の空気とは違う、ひんやりと心地よい風が吹き出してきた。

「わっ……!涼しい風!本当に出てきた!」フィリアが真っ先に歓声を上げる。

「おお……!天界の雲間を吹き抜ける、そよ風のようですわ……!」エルミナもうっとりとその風に当たり、気持ちよさそうに目を細めた。

真守は、吹き出してくる冷風に手をかざし、固く握りしめた。

「やった……!やったぞ!ありがとう、親方!最高の出来だ!」

「かーっかっかっ!ワシの腕にかかればこんなもんよ!」ガンツ親方は、疲労も忘れ高らかに笑った。

デュラスは、その現象を魔術師として冷静に分析していた。

「……なるほどな。最小限の魔力でこれほどの冷却効果を持続させるとは……。これを完成形に持って行けば、大陸の夏の常識そのものを覆すことになるだろう。これはもはや、ただの道具ではない。莫大な富と、そして影響力を生み出す……」

「ああ」真守は力強く頷いた。「これは、『産業』になる」

その言葉に、デュラスはニヤリと口角を上げた。

「ならば、話は早い。この価値を正しく評価し、大陸中に流通させる力を持つ組織と手を組む必要がある。商業ギルド『ゼニゲコ』に登録するぞ。交渉は、この私に任せろ。魔族の貴公子が、人間の商人相手にどこまでやれるか、見せてやろう」

彼の瞳には、新たな戦場を見つけたかのような、好戦的な光が宿っていた。

数日後、真守たちはデュラスに連れられ、新設されたばかりの商業ギルド「ゼニゲコ」アルニア村出張所を訪れていた。デュラスを交渉役とし、真守は技術説明、そしてフィリアとエルミナは……まあ、彩りとして、といったところだ。

応接室に通されると、そこには妖艶な微笑みを浮かべた九尾族の支店長、ユリアンが待っていた。九本の艶やかな尾をゆらりと揺らし、その蠱惑的な瞳が品定めするように一行を見つめている。

「あらあら、これはこれはデュラス様。魔族の貴公子様が、このような辺境の出張所に何の御用かしら?それに、そちらの可愛らしい天使様と村娘さん、そして……見慣れないお方ですわね」

ユリアンの視線が、真守に注がれる。

「単刀直入に言おう、ユリアン殿」デュラスは、ユリアンのペースに巻き込まれることなく、テーブルの上に布で包まれた試作品を置いた。「我々は、この大陸の常識を覆す、新しい『商品』の提案に参った」

「まあ、大きく出ましたわね」

ユリアンはクスクスと笑いながらも、その瞳の奥は商売人としての冷静さを失っていない。

デュラスは、真守に目配せし、試作品を稼働させた。

ひんやりとした風が応接室に流れ出す。

最初は「あら、涼しい風が出てくる魔道具?夏場には少しは売れるかもしれませんわね」と余裕を見せていたユリアンだったが、デュラスからその原理――大掛かりな魔法や高価な魔石を使わず、持続的に冷気を生み出すこと、そして小型化・量産化が可能であること――を聞くうちに、その表情から笑みが消えていった。

彼女は立ち上がり、試作品に近づき、吹き出す風に手をかざし、その構造を食い入るように見つめる。そして、信じられないものを見たというように、目を見開いた。

「こ、これは……!?待って……もし、この技術が本物だとしたら……?王侯貴族への献上品、夏が長い南方諸国への輸出、食料保存技術への革命、騎士団の兵舎環境改善による士気向上、医療分野での応用……生み出される富は……金貨何万枚?いえ、白金貨が何万枚……!?」

彼女の商売人としての超感覚が、この「ただの箱」が秘める無限の価値と、それが巻き起こすであろう経済的・社会的インパクトを瞬時に弾き出していた。九本の尻尾が、驚きと興奮でぶわりと逆立つ。

ユリアンは、扇子で素早く口元を隠し、再び妖艶な笑みを取り戻した。しかし、その瞳の奥は、もはや獲物を前にした飢えた獣のように、爛々と輝いていた。

「……ふふ、ふふふ。デュラス様、そしてマモル様と、おっしゃいましたかしら? 実に、実に素晴らしい『お土産』ですわ」

彼女は、デュラスと真守に深く、そして艶やかに微笑みかけた。

「それで……この歴史的な発明品を、わたくし共のギルドに持ち込まれたご用件は、一体、何かしら?」

静かな応接室で、大陸の未来を左右するかもしれない、大きな交渉の火蓋が切って落とされた。

真守たちの「出過ぎた杭」になるための第一歩は、最強の商人を味方(あるいは敵)につけるという、この上なくスリリングな形で始まったのである。

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