首が目指す場所
翌日の金曜日、僕は放課後、一森駅の駐輪場から自転車で神崎君の家へと向かった。
薰ちゃんは昨日から顔を見せていない。どこにいるんだろうと思いながら集合場所に行くと、家の前で待っていた神崎君の肩にちょこんと乗っかっていた。
到着早々、神崎君が文句を言ってくる。
「おいっ、菊池どういうことだ。なんでまた俺に村井が取り憑いてんだよ」
「えっと」と戸惑いながら薰ちゃんに尋ねる。「だそうですけど、どうしてですか? 薰ちゃん」
「ここが私の家だからよ」
「ここが私の家だから、だって」
「ふさけんな村井、この野郎!」
神崎君は怒りながら自分の肩の辺りを殴りつけた。だが、その拳は薰ちゃんの顔をすり抜ける。当然、ダメージは無い。
「すごいスリル!」と、薰ちゃんはむしろ上機嫌だ。
それを伝えたら神崎君がもっと怒りそうなので黙っていると、菅原君がじれったそうに言った。
「もう! そんな話はどうでもいいんだよ! 早く楔山に行くよ!」
その目は興奮してギラギラだ。ソイノメ様の目を彷彿とさせるほど輝いている。
というわけで、僕は神崎家の玄関でさっさと私服に着替えると、三人で自転車を走らせて楔山に向かった。
到着し、麓の駐輪場に自転車を駐める。
ここにはもう来ないと思ってたけど、また来てしまった。一度目とは違った恐怖が感じられる。今日の恐怖の対象は犯人でもソイノメ様でもない。その犠牲者だ。彼らを直視するのも怖いが、救えない未来を想像するのはもっと怖い。もしそうなったら、僕達は今まで以上の罪悪感に、死ぬまで苛まれるだろう……。
不安感と緊張感を抱きながら登山道を進み、途中から道を逸れて森の中に入る。そこから先は薰ちゃんが案内してくれた。そして、祭壇から50メートルほど離れた場所に、それはあった。
「あったよ。ほら、あそこ」
「あっ、薰ちゃんがここだって言ってる」
僕はそう言って立ち止まり、頭上を見た。前方の木の枝に、生首がくくりつけられている。髪は長くて白いので、おそらくは高齢の女性だと思われた。ただ、皮膚が腐っていて、もはやどんな顔か判別できなくなっている。既に何回か腐乱死体を見ているせいもあって、あまり不快感は覚えない。グロテスクさに耐性が出来ているようだ。
……ただ、犠牲者をこのような姿にしてしまった罪悪感はひしひしと感じた。この遺体を「怖い」などと思う資格は僕に無い。
首をまじまじと観察する。薰ちゃんの言う通り、両目が瞳を除いて真っ赤に染まっていた。そこには死人とは思えないほどの光が宿っている。さらに、腐敗して唇の境目も分からなくなった口から、絞り出すように声を出していた。
「体を……返せ……体……を……返せ」
か細い声ではあるが、強烈な心意が読み取れる。この人は、自分の切り離された胴体を取り戻したいのだ。正気を失うほどに。
……それにしても、どうして僕の目にも首が腐敗して見えるのだろうか? 薰ちゃんの時は腐っていないように見えたのだが。霊体も死体の腐敗に合わせて変化したのだろうか。宮本の霊体も形を変えていたから、この首の霊もそうなのかも……。
一人で考え込んでいると、隣で見上げていた菅原君がぽつりと呟いた。
「不気味だね、どうにも……」
「うん、ホントに。……え?」
僕は普通に返事をしてから、違和感に気づいた。あの菅原君が、『不気味』と言っている。余程のことがなければ、そんな発言はしないはずだ。
「いったい、何が不気味なの?」
恐る恐る尋ねると、菅原君は視線を首に向けたまま答えた。
「死体が喋ってるからだよ。体を返せ、体を返せって」
「ええっ!? 菅原君にも聞こえるの?」
「うん。神崎もだろ?」
「ああ。俺にもあいつの声が聞こえる。それだけじゃない。あいつ、死体のくせに口を動かして喋ってやがる。どういうことだ……」
僕は驚いて言った。
「そんな……。じゃあ、目も赤く見えてるの?」
「ああ、そう見えてる。あと、俺にはあの首が腐って見えるが、菊池はどうだ?」
「うん、僕にも腐って見えるよ。てことは、霊体が喋ってるだけじゃなくて、肉体の方も動いてるってことだね。まるでミサさんみたいに」
「そういうことだね」と菅原君。「これはソイノメ様の力が働いてるとみて間違いなさそうだ。儀式はもう終わったのに」
その時、薰ちゃんが首の位置まで飛んで言った。
「この人ね、私にまったく反応しないの。私の姿が見えてないのかな? ミサちゃんは見えてたけど……」
ミサさんに見えたのだから、この人にも薰ちゃんの姿は見えるはずだ。一応、僕の声に反応するのか確かめてみる。
「僕の声が聞こえますか?」
なるべく大きな声を出して呼びかける。だが、反応は無かった。相変わらず体を返せと繰り返している。
菅原君が腕を組んで言う。
「菊池君の声にも反応しないか……。コミュニケーションが取れないとどうにもならない。厄介だな」
「村井の時は楽だったけどなぁ」と神崎君。「どうする? お手上げか?」
「いいや、こんなことで諦めたくない。神崎、とりあえず、あの首を枝から離してやってくれないか?」
「なんでだよ! そんなことして意味あんのか!」
「それを確かめるためにやるんだよ。もっと近くで何かすれば、首も反応するかもしれない」
「どうだかな。ま、やってみるか」
神崎君が木の幹に手足をかけて登っていく。首がある枝に近づくと、器用な手つきで髪の毛を枝から解いた。すると、神崎君が驚いて叫んだ。
「うおっ、なんだこいつ!」
下で見ていた僕も驚く。なんと、首が風船のように空中に浮かんだのだ。そして、顔の向きを変えてどこかへ飛んでいこうとする。だが、神崎君に髪を掴まれているので、宙に浮いたままその場に留まっていた。
菅原君が首を見つめたまま呼びかける。
「神崎、絶対に髪を放すなよ! どこかへ飛んでいきそうだから!」
「お、おお。分かってる」
神崎君は髪を握り絞めたまま地面へと降り立った。
首は僕達四人には目もくれず、一点を見つめてそこに向かおうとしていた。どうやら行きたい場所があるらしい。
「どこかに行きたそうだね」と僕。
菅原君が興味深そうに首を観察して言う。
「そうだね。どこへ飛んでいくのか調べてみよう。首が進もうとする方向に行けば分かる」
「髪を放してもいいのか?」と神崎君。
「いやいや、それはダメだよ。見失っちゃうかもしれないから。髪を掴んだままで行こう。ダウジングみたいに」
というわけで、僕達は首を持つ神崎君を先頭にして歩きだした。首は一直線に進んでいく。そして、すぐに見覚えのある場所に着いた。
「ここって……」
僕が呟くと、菅原君が言った。
「祭壇があった場所だね。ほら、そこに棺桶がある」
菅原君の視線の先には、犯人が用意した棺桶が置かれていた。そして、首はその棺桶に向かって進もうとしている。
「目的地はこの棺桶か」と神崎君。
「近づけてみてよ」と菅原君。
神崎君が一歩一歩棺桶に向かって歩く。そして、首が棺桶の真上に来た瞬間だった。突然、棺桶から大量の邪気が溢れ出た。
僕は咄嗟に神崎君の背中にしがみつき、棺桶から引き剥がした。
「おい、どうしたんだ菊池」
「いいから離れて!」
神崎君は戸惑いながら数歩後ろに下がった。それと共に、邪気の流出はぴたりと収まり、既に溢れ出た邪気は周囲に霧散していった。
「どうしたの菊池君」と、菅原君が好奇心に目を輝かせて訊いてくる。
「棺桶から邪気が溢れてきたんだ。首を近づけたらヤバいよ。たぶん」
「うーん……邪気が出てくるってことは、異界への入り口が開きかけたってことだよね。この首が目指してるのは、ソイノメ様の異界だ」
「どうして異界に行きたいんだろう。ソイノメ様から胴体を取り返したいのかな?」
「いや、この首を操ってるのはソイノメ様だろうから、その可能性は考えにくい。オレが思うに、ソイノメ様はこの首を自分の一部にしたいんじゃないかな」
「一部? どういうこと?」
「ほら、首の赤い目、ソイノメ様に浮かんでた無数の顔とそっくりでしょ? ソイノメ様は供物の首と合体して、どんどん強大になっていくのかもしれない」
「ああ、なるほど」と僕は納得しかけたが、すぐに疑問が浮かんだ。「……いや、でも、ソイノメ様の顔は腐敗してなかったよ? それとも、菅原君には腐敗して見えてたの?」
「んっ」菅原君は意表を突かれた顔をして、「そういえばそうだな。オレも菊池君と同じで、腐っているようには見えなかったよ。ということは、あくまでもソイノメ様は霊体の集合体で、肉体とは分離してるのかもね。じゃあ、肉体はどこに……」
「本人に訊くしかねーんじゃねーか?」と神崎君。「こいつを棺桶の上に浮かべとけば異界の入り口が開くんだろ? 俺達も首と一緒に異界に行って、ソイノメ様に質問すればいい」
「そんなの絶対ダメだよ!」と僕は大反対した。「帰って来られなくなったらどうすんの!」
「冗談だよ、冗談。でも、ここで考えてたって答えは出ないぞ。どうする? こいつだけ試しに異界に行かせてみるか?」
「それもダメだよ」と、菅原君が悩ましげに答える。「その首がソイノメ様の手に渡ったら最後、オレ達にはもうどうしようもできなくなるだろう。オレ達の目的はあくまでも、その人の魂を成仏させることだ」
「だよな。じゃあ今度こそお手上げか?」
「うーん……」
菅原君が唸りながら目を固くつむる。しばらく考え込んだ後、僕達を見て言った。
「仕方ない。最後の手段を使おうか……」
「最後の手段って?」と僕。
「篠崎さんに力を借りるんだよ」
「あー、なんだそんなこと? 最後の手段だなんて大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ。篠崎さんの力を借りるってことは、オレ達が嘘をついてたのをバラすってことだよ。当然、危険なことに足を突っ込んでたってこともバレる」
「うぅ……てことは、怒られちゃうね」
「そういうこと」
僕は烈火のごとく怒る篠崎さんを想像し、ぶるりと身震いした。あのど迫力で叱りつけられたら、オシッコを漏らしちゃうかもしれない。
暗澹たる気持ちになっていると、神崎君があっけらかんと言った。
「どーでもいいわ、そんなこと。それより問題は金だろ。宮本の件の報酬は二十万って言ってたぞ? 俺達にそんな大金用意できないだろ」
たしかにそれも問題だ。篠崎さんはお金を用意しないと頼れない。が、今度は菅原君が平然と答えた。
「それこそどーでもいいよ。たかが二十万ぽっち。オレが全部払うよ」
「さすがお金持ちだね」と、僕は羨望の眼差しを向けたが、神崎君は「ムカつくな!」と腹立たしげに言った。
「ムカつかないでよ。お金を工面するのはオレなんだから。とにかく、こうなった以上、篠崎さんに頼むしかない。オレの方から連絡しておくよ。……はぁ、嫌だな。説教聞くの……」
菅原君が重い溜息をついて言う。
薰ちゃんが僕に尋ねた。
「ねぇ、その篠崎さんってどんな人なの? 怖いの?」
「篠崎さんは妖怪退治の専門家だよ。で、優しいけど怖い」
「ふーん。私も退治されないわよね?」
「それは大丈夫だよ」
「ならよかった」
そう言って僕の周りを無意味に飛び回る。死人は気楽で羨ましい。
「で、どうする?」と神崎君。「今日はもう帰るしかないだろ」
菅原君が憂鬱そうに答える。
「そうだね。オレにはまだ仕事が残ってるけど……」
僕は可哀想になって励ました。
「元気出してよ。僕達も後で怒られるんだからさ」
「いや、菊池くんは大して怒られないと思うな。オレに巻き込まれてるだけってのが明白だから。神崎はぶん投げられるかもしれないけど」
「なんでだよ! 俺もお前に巻き込まれてるだけだろ。あと、ぶん投げられるもんならぶん投げてみろってんだ」
「それにしても、菅原君がそんなに怖がるって珍しいね。こういうシチュエーション、むしろ喜びそうなのに」
「菊池君はオレを変態だと思ってる? あと、別に怖いから説教が嫌なわけじゃないよ。正論で否定されると単純にヘコむから嫌なんだよ。どうせなら何も言わずに呪いでもかけてくれればいいのに」
「変態じゃねーか!」と神崎君が食い気味でツッコんだ。
「とにかく、首をどこかに縛って今日は帰ろうか。篠崎さんに連絡してから後日また集合だ」
「どこかにって、どこだよ」
「うーん、そうだね。できるだけ高いところの枝がいいよ」
「めんどくせーな。別に低いところでいいじゃねーか」
「よくないよ。もし誰かに見つけられたら騒ぎになる」
「こんな所、誰もこねーと思うけどな」と言いつつ、神崎君は近場の木の幹にするする登り、高い位置の枝に首の髪を縛り付けた。
それが終わると、俺達は楔山を出て、それぞれ家に帰った。ちなみに、薰ちゃんはというと、また神崎君に取り憑き、その肩を重くしたまま、一緒に帰っていった。




