薰ちゃんアンコール
雨の中、自転車を漕いで下校する。雨合羽を着ているが、剥き出しの靴は雨に濡れて気持ち悪い。6月に入ってから雨ばかりで嫌になる。
家に着き、カーポートの隅に自転車を置く。合羽を自転車のカゴに入れ、玄関の戸を開けようとした時、後ろから声をかけられた。
「キクっちゃん、久しぶり」
聞いたことのある声と呼び方だ。振り返ると、そこにはやはり薰ちゃんが立って……いや、浮かんでいた。
僕は驚きつつ、再会を喜んだ。
「薰ちゃん、久しぶりです。どうしたんですか?」
首だけの薰ちゃんがすいーっと空中を飛行して近づいてくる。
「あれ、意外。もっと驚くと思ってたのに」
「声で薰ちゃんって分かりましたから。それにしても、よく僕の家が分かりましたね。学校からつけてきたんですか?」
「正解。楔山から一森高校に来て、そこからキクっちゃんの後をつけてきたの。学校で話しかけたら迷惑かなと思って。それにしても、幽霊の状態で電車に乗るのはすごく新鮮な体験だったわ。乗客の一人が明らかに私に気づいてて、すんごい怖がってたの。面白かったー」
薰ちゃんはそう言ってケタケタ笑った。
「笑い事じゃないですよ。僕は怖くないですけど、他の霊感がある人にとっては死ぬほど怖いですよ? 今の薰ちゃんは首だけなんですから」
「しょうがないじゃないの。胴体はソイノメ様に取られちゃったんだから。あ、それでね、私が来たのはそのソイノメ様に関することなのよ」
「えっ、成仏できないからじゃないんですか? 犯人の奥さんはどうなったんです? たしか、名前はミサさんでしたか」
「それについても詳しく話すから、さっさと中に入りましょう?」
「……入ります?」
「なんで嫌そうなのよ!」
「だって、自分の部屋に通すの恥ずかしいんですもん。それに薰ちゃんは幽霊だから寒さとか感じませんよね?」
「そんなの関係無いわよ! 礼儀ってもんがあるでしょうが!」
「もう、分かりましたよ。いいですよ、入ってください」
「なんでそんなしぶしぶなのよ。失礼しちゃうわね」
僕は戸を開けて中に入った。階段をのぼって自分の部屋に入る。
薰ちゃんは辺りを見渡して言った。
「なによぉ、恥ずかしがってた割に片付いてるじゃない」
「まあ、そうですけど……」
部屋の広さは六畳で、勉強机とベッド、それから漫画が並んだ本棚がある。あとはテレビとクローゼットくらいだ。
薰ちゃんは机の上にちょこんと乗っかった。僕はその前にある椅子に座って向い合う。
「で、いったい何があったんですか?」
「えっとねぇ、どこから話そうかしら。まず、ミサちゃんだけど、無事に成仏したわよ」
「ああ、そうですか。それはよかった」
「うん。カラスに死体を全部食べられてね」
「えっ、そんな悲惨な死に方を!? いや、正確にはもう死んでますけど」
「ううん、それが全然悲惨じゃないの。ミサちゃん、すごく喜んでた。自分の体が、新しい命に変わるって。で、最後はほとんど骨だけになって、魂の方も消えてなくなっちゃった。最期にお礼の言葉も残してくれたわ。『一緒にいてくれてありがとう。先に行ってるから』って」
「うぅ、よかったですね」
僕は感動に目を潤ませて言った。ミサさんの魂が報われて本当によかった。……だが、そうなると疑問が残る。
「ちょっと待ってください。それならどうして薰ちゃんは成仏してないんですか? ミサさんと一緒に成仏するって言ってたじゃないですか」
すると、薰ちゃんは悩ましそうに眉間に皺を寄せて言った。
「そこなのよねぇ……。ミサちゃんが成仏する前の話になるんだけど……怖がらないでね?」
「そんなこと言ったら余計に怖くなるじゃないですか! ちょっと待ってください。今、テレビつけるんで」
僕はリモコンを手に取ってテレビの電源を入れた。音量を薰ちゃんの声が聞こえる程度に小さくする。
流れていたのはニュース番組で、殺人事件を報じていた。当然、怖いのでチャンネルを変える。こういう時は子供向け番組に限る。可愛い人形劇をやっていたので、チャンネルをそのままにした。
「はい、準備できました。なるべく怖くならないように話してください」
「分かった。頑張る。えっと、ソイノメ様を呼び出した次の日の夜にね、見つけちゃったのよ。供物にされた人達の首を。……でね、その首が、なんていうか、変な状態になってんのよね」
「変? まさか、悪霊にでもなっちゃったんですか?」
「そうなのかな? 分からないけど、ソイノメ様みたいに目が真っ赤になってて、同じ言葉をずっと繰り返し言い続けてるのよ。『体を返せ。体を返せ』って………」
「………」
僕は言葉を失った。ソイノメ様の一件はもう解決したと思っていたのに、そんな大問題が残っていたとは。
薰ちゃんが話を続ける。
「でね、最初はこのことをキクっちゃん達には言わないでおこうと思ってたの。これ以上、迷惑はかけられないと思って。また危ないことに巻き込まれたらいけないしね。だからミサちゃんが成仏したら私も後を追おうと思ってたんだけど……でも、どうしても気になって。だって可哀想でしょ? 他の犠牲者を置いて、私だけが成仏するのって、なんだか申し訳なくって……。それで長い間悩んだんだけど、そうなると尚更成仏できる気がしなくなって……」
薰ちゃんは喋りながらその場でくるくると回転し始めた。悩んでいる、ということなのだろう。
僕は手を振って言った。
「いいですよ。迷惑だなんて思ってません。だって別れる時に僕も言いましたもんね。何かあったら来てくれって」
薰ちゃんが申し訳なさそうに言う。
「ごめんね、キクっちゃん。また巻き込むことになっちゃって」
謝りながら、薰ちゃんはくるりと宙で一回転した。頭を下げているつもりらしい。
「薰ちゃんのせいじゃないですよ。悪いのは全部、あの犯人です。それに、僕だって、いや、菅原君と神崎君だって心残りだったんですよ。他の犠牲者を救えないどころか、犠牲者の数を一人増やしてしまったことが。それで僕達、楔会なんてグループを作ったんですよ?」
「楔会?」
「そうです。僕達三人が怪奇現象で苦しんでる人を救うんです。もう二人も救ってるんですよ?」
「えー、すごい。その話、もっと聞かせて?」
「嫌です。怖いんで」
「なんでよ! 自分の体験談なら怖くないでしょ!」
「まあ、とにかく、今回の件も楔会で解決してみますよ。任せてください」
「頼もしいわね。じゃあ、お言葉に甘えてお願いするわ。あの四人を、成仏させてあげて。そしたら今度こそ私も成仏するから」
「了解しました。じゃあ、菅原君と神崎君に連絡しますね」
というわけで、僕は二人にメールで今回の件について伝えた。すると、すぐさま菅原君から電話がかかってきた。
出ると、案の定興奮した声で捲し立ててくる。
「いったいどういうことなの? 首がソイノメ様みたいになってるって何? 目だけが? てか四つともそうなってんの?」
僕は薰ちゃんに訊きながら菅原君の質問攻めに対応した。最終的には「今から行って確かめよう!」と鼻息を荒げながら言うので、さすがにそれは止めて、せめて明日の放課後に行くということにした。
電話を切り、神崎君にも大丈夫かメールで確認を取ると、『おう』と短い返事が来た。
薰ちゃんにそのことを伝える。
「とりあえず明日の放課後、三人で楔山に行くことになりました」
「よろしくね」
「はい。………てことで、今日のところはもう帰ってください」
「え? どういうこと?」
「いや、だから、楔山に」
「なんでよ! あそこ別に私の家じゃないわよ!」
「じゃあ、生前のご自宅にでも……」
「寂しいこと言わないで! なんでここに泊めてくれないの? 食費も光熱費もゼロよ!」
「いや、だって、ここは僕のプライベート空間なんで」
「いつも一人で怖いって言ってるじゃない!」
「でも僕、夜はこの部屋でおしっこしますけど、いいんですか?」
「え?」
僕は黙って部屋の隅に置かれたペットボトルを指さした。空だったが、薰ちゃんはそれをおぞましそうに見ると、すぐに目を背けて言った。
「仕方ないわねぇ。じゃあ、明日が来るまでそこら辺ぷらぷら、いや、ぷかぷか浮かんでるわ」
「それがいいですよ。幽霊だと雨に濡れませんし」
「心は濡れんのよ心は! でも、贅沢言える立場じゃないしね。キクっちゃんの放尿シーンも見たくないし。大人しく出てくわ。それじゃ、明日また会いましょう」
「うん、じゃあね薰ちゃん」
「バイバーイ」
薰ちゃんはそう言って、窓をすり抜けて出て行った。
また楔会の活動予定が出来てしまったが、僕は自分でも驚くほど前向きだった。いつものような憂鬱さがみじんも無い。理由はもちろん、犠牲者達への贖罪ができるからだ。もしこの問題を解決すれば、楔会の結成理由にもなった罪を、少しは贖ったことになるだろう。
まあ、その罪の重さから解放されてたいと願っている時点で、エゴなんだけど……。




