妖怪変化
隣に座る篠崎さんが静かに言った。
「菊池くん、これからあたしの言うことを復唱してね。怖くても逃げちゃダメよ」
「はい、分かってます」
「じゃあ、いくわよ。『宮本優介』」
僕は唾を飲み込み、意を決した。
「……宮本優介」
すると突然、宮本が僕に視線を向け、僕の目を凝視した。食いしばっていた歯を開き、言葉を発する。
「お前は、誰だ。どうして俺を知っている」
それを無視して、篠崎さんが研ぎ澄まされた声で言った。
「疋田汐音を我が物としたいか」
「疋田汐音を、我が物としたいか」
「わが、我が物……汐音……した、したい……したいしたい。汐音、汐音」
「我が物としたいのであれば、これを食え」
「わ、我が物と、したいのであれば、これを食え」
緊張して声が震える。篠崎さんは僕の右手を取り、持っていたおにぎりを前に出させた。宮本がおにぎりに視線を向ける。
「これを食え、くく、くえ、これを、食う」
その時、宮本の顔に変化が起きた。巨大化した目に押しやられて小さくなっていた鼻が、突然目を押し返して大きくなった。巨大化した鼻で大きく息を吸い込む。そして、妙にハッキリした口調で言った。
「汐音の匂いがする」
宮本が両手を坪井さんの首から離し、こちらに近づいてきた。細長い腕で地面を這う様は、やはりバッタのように見える。
僕は逃げ出したくて堪らなかったが、左手で太ももを握りしめ、懸命にその場を動かなかった。
宮本が巨大な指となった両脚を引きずりながら、少しずつ近づいてくる。その目はもはや僕に注がれてはいない。僕の手に乗ったおにぎりに集中している。
「食べなさい」と篠崎さん。
「食べなさい」と僕。
「たべなさい、たべ、汐音、食べる、汐音」
その瞬間、宮本の鼻が小さくなり、今度は口が大きく裂けた。巨大化した口が貝のように開かれる。中には百本ほどの歯がデタラメな場所から伸び、奥には五枚の舌が蛇のようにうねっていた。
「ひぃっ」
思わず声が出る。が、篠崎さんは一切動じず、同じ言葉を繰り返した。
「食べなさい」
「た、食べない」
宮本の口がおにぎりに近づく。生暖かい吐息が手の平に当たった。その巨大な口に右手ごと飲まれるのではと怖くなり、咄嗟におにぎりを口の中に放り込む。即座に手を引っ込め、様子を見た。
宮本はおにぎりをグチャグチャと音を立てて咀嚼し、ゴクリと飲み込む。
横から神崎君の声がした。
「すげぇ、米が宙に浮いてるぞ!」
「これならオレも見えるよ」と嬉しそうな菅原君。
お気楽な二人とは違い、坪井さんの方は恐怖に顔が引きつっていた。無理もない。目に見えない存在が可視化されたのだから、怖いに決まっている。
そして、もっと恐ろしいことが目の前で起こった。
「ああ、ああああ」
宮本は苦しそうに呻き、体の形が変わっていった。まるで脱皮する蛹のように全身が脈打ち、背中から六本の腕が羽のように生えた。さらに、指に変化していた両脚が突き破られ、中から新しい本物の脚が生える。それと同時に、見る見るうちに黒い体毛が全身を覆い、獣のような姿に変貌した。毛に覆われていないのは巨大化した目と口だけだ。
いや、違う。なぜか背中から伸びる腕にも毛が生えていない。不気味に伸びた六本の腕は、青白い素肌を見せたままだ。また、毛に覆われた方の手足の爪は黄色く変色して伸びているのに、背中の腕の爪は手入れをされたかのように美しい。
なぜなのか気になるが、悠長に考えている場合ではない。ついに、宮本は悪霊の段階を通り越し、妖怪に変化したのだ。
菅原君が興奮して言う。
「うおおおおお、すげぇ! オレにも見えるぞ!」
篠崎さんが立ち上がる。
「ありがとう菊池くん。おかげで宮本は妖怪に化けたわ。ここから先はあたしの仕事。あんた達は台所に避難してなさい。ほら、神崎、坪井さんを運んであげて」
坪井さんを見ると、両手で口を押さえ、声にならない悲鳴を上げていた。
「ほら、いくぞ」
神崎君が坪井さんの肩を担ぎ、台所に移動する。僕は宮本を間近で観察しようとする菅原君を必死で引き剥がし、一緒に台所に避難した。
部屋には宮本と篠崎さんだけが残され、僕達はベランダの向かい側に位置する台所から見守る形となった。
ガラス戸からは爽やかな青空が見える。おぞましい宮本の姿とは対照的だ。
宮本が言う。
「汐音の匂いがする。汐音はどこだ」
おそらく、巾着袋のことを言っているのだろう。疋田さんの髪と爪がまだ残っていたはずだ。袋は篠崎さんの足下に放置されている。
篠崎さんはそれをはぐらかし、挑発するように言った。
「あたしが疋田汐音よ。忘れたの?」
宮本が吠えた。
「お前は汐音じゃない! 誰だババア!」
神崎君が大笑いする。
「ぎゃはははは、ババアだってよ」
篠崎さんが宮本を見据えたまま言う。
「もう一度死にたいみたいね。いいわ。あたしはあんたの敵よ。疋田汐音には指一本触れさせない。でも、もしあたしを殺せば、その時は疋田汐音を好きにすればいいわ」
ええっ、そんなこと言っちゃっていいの?
僕の不安を余所に、状況は進んでいく。
「邪魔者は殺す。お前も、青木も、俺の力で」
青木? 誰だそれ……あっ、そうか。疋田さんの浮気相手か。ホントにそうかは分からないけど。
菅原君がわざとらしく尋ねた。
「青木って誰でしょう。坪井さんはご存じですか?」
「……知りません」と、坪井さんはどこか不機嫌そうに答えた。
その時、突然宮本の背中から生えていた腕が伸びた。六本の腕が前方に伸びていく。
危ない! 篠崎さん!
と思ったが狙いは篠崎さんではなく、その手はなぜか宮本の首に掛けられ、強く絞め始めた。
「ぐ、ぐあ」
宮本が苦しそうに、黒い方の手で白い手を掴み、引き剥がそうとする。
いったい何が起こってるんだ。どうして自分を攻撃してるんだ?
混乱していると、篠崎さんも不可解な行動を取った。なぜかその場にしゃがみ込む。そして、膝が外側を向くように脚を開き、両手を握って床に付け、前傾姿勢を取った。その状態で宮本に声をかける。
「今、楽にしてあげるわ」
ん? この姿勢、どこかで見たような……。
宮本は篠崎さんの気迫に押されたのか、じりじりと後ずさりする。
「おい、まさかこれって――」
神崎君が言い切る前に、篠崎さんが動いた。疾風のような速さで宮本に飛んでいき、強烈な張り手をその顔面にお見舞いした。その一発で、宮本の顔面は右半分が潰れ、後方にぐにゃりと伸びた。が、血は一切流れていない。まるで粘土で出来た人形みたいだ。
「やっぱり相撲だ!」と神崎君が興奮して言う。「こりゃ面白くなってきやがったぜ!」
僕は驚いて言った。
「相撲で倒すの!? 妖怪を!?」
「ああ! でも、考えてみりゃ不思議じゃない。相撲は古来から神聖な儀式だった。妖怪退治に使われてもおかしくねぇ!」
「いや、おかしいだろ」と菅原君が冷静にツッコむ。「相撲で妖怪を退治するなんて話、聞いたことないよ。人と河童が相撲取ったって話ならあるけど」
あ、やっぱりおかしいんだ。あやうく神崎君の言葉に納得するところだった。
でも、目の前で繰り広げられている戦いはどう見ても相撲だ。
顔面を叩かれた宮本は後方に仰け反った。その隙を見逃さず、篠崎さんは相手の懐に入り込み、背中側の腰を両手でむんずと掴む。その指は相手の胴体にめり込んでいるように見えた。
「明子山、もろ差し!」
神崎君が勝手に篠崎さんの四股名を決め、アナウンサーのように解説する。今日は神崎君の方が菅原君よりもノリノリだ。
「ふんっ」
明子山は力強く息を吐くと、宮本の体をぐっと引き寄せ、自分の体にもたれさせるようにして持ち上げた。宮本の足が宙に浮く。
「吊った、吊った! そのまま決めるか!」と神崎アナ。
明子山はその状態で体の向きを部屋の中央に変えると、持ち上げた宮本を札が貼られた床に投げつけた。
なるほど、明子山は宮本を破邪の札に接触させたいんだ。勝負あったか!
と思ったが、宮本は落ちきらなかった。背中から生えた腕が倍の長さに伸びて明子山の服を掴む。間一髪の所で宮本の背中は床の札ゾーンに接触しなかった。
しかし、足は違った。宮本の左足が札の上に着地する。その瞬間、足下から忽ち青い炎が燃え上がった。
「ぎゃあああああ」
宮本が苦しそうに叫び、明子山を突き飛ばす。が、明子山はそれこそ山のようにその場から動かず、宮本だけが部屋の隅に逃れた。その拍子に明子山に掴まれていた肉がえぐり取れる。が、宮本の腰は肉が無くなってヘコんだものの、血は流れず、ただ肌と同じ色の肉が剥き出しになっているだけだった。そして、そこから忽ち新しい肉と黒い体毛が再生し、元の状態に戻ってしまう。おまけに歪んでいた顔面も元通りに再生した。本当に粘土で出来ているみたいだ。
明子山が息を荒げながら言う。
「はぁ、はぁ。やるじゃないの。こうでなくっちゃね」
そう言って手の中に残る宮本の肉片を床に落とした。札に触れ、青い炎が燃え上がる。肉は一瞬で焼失し、札もまた無くなっていた。札ゾーンに空白が出来る。
宮本の脚も同様だった。青い炎に焼き尽くされ、左脚が消滅する。が、そこから瞬時に新しい、しかも前よりも太く、強靱な脚が生えた。右脚は細いままなので、ひどくアンバランスに見える。
「吊り落とし失敗! どうする明子山!」と神崎アナ。
「宮本山も頑張れ!」と菅原君。
「なんでそっち応援してんの!」と僕。
明子山が宮本山に語りかける。
「さぁ、こっち来なさいよ」
「………」
そう言われても宮本山は動かない。それもそのはずで、両者の間は札ゾーンになっている。宮本山はおいそれと近づけない。
「来ないならこっちから行くわよ」
じりじりと明子山が間合いを詰める。すると、宮本山の背中の腕が伸び、明子山に襲いかかった。腕は六本もあるが、明子山は上へ下へと完璧にそれを捌く。なんという華麗な手さばき!
神崎アナ大興奮。
「張り手張り手張り手っ! 宮本山怒濤の突っ張り! 明子山防ぐので手一杯か!」
「んわけないでしょ!」
明子山が答え、相手の腕を一本、脇で挟むようにして掴む。そして、上体を後ろに捻って宮本山を自分側に引き込んだ。意表を突かれた宮本山は、堪らず右足を前に出す。その先には札ゾーンが待ち受けていた。が、宮本山は器用に右足を札が燃失し、空白になっている部分に着地させた。
「上手い!」と菅原君が叫ぶ。
しかし、明子山の狙いは別にあった。重心が前に崩れた宮本山に待ってましたとばかりに接近し、黒い方の腕の左脇に自分の右腕を差し入れ、下からすくい上げるようにして後方に倒した。前に崩れていた重心が反転して後ろに崩れる。宮本山は背中から札ゾーンに落下していった。
「仏壇返し! 粋な技を!」と神崎アナがすかさず技名を解説する。
決まるか! ……と思ったがまたも決まらない。宮本山は先ほどと同じように、背中の腕を伸ばして明子山の服を掴んだ。すれすれのところで背中が付かない。が、一度宙に浮いた足が札ゾーンに着地し、勢いよく両脚が燃え上がった。
「ぎゃあああああ」
宮本山が絶叫する。その隙を見逃す明子山ではなかった。相手の黒い両腕を脇に抱え込むと、そのまま少し後ろに下がり、上体を180度捻って背後に投げつけた。そこには壁の札ゾーンが待ち構えている。
神崎アナが叫んだ。
「極め出し! 決まるか!」
が、宮本山はしぶとかった。そのまま壁に叩きつけられると思いきや、背中の腕が明子山の服を即座に離し、壁を押さえた。札ゾーンの外側に六つの手が張り付き、どうしても胴体を壁に接触させることができない。
「おい反則だろ宮本山!」と菅原君がブーイング。「ファンを失望させるな!」
神崎アナが答える。
「いや、相撲にそんなルールは無い。壁に手を付いても、土俵にさえ付かなきゃ負けじゃねぇ……」
「いや、そもそも妖怪退治だから」と僕。「ルールなんて無いから」
明子山はこめかみに青筋を立てるほどに力を込めている。が、状況は変わらない。それもそのはず。明子山は腕が二本しかないが、宮本山には肩から伸びる黒い腕二本に加え、背中の白い腕が六本もある。腕の数を比べたら二対八。明子山にとって分が悪すぎる。
僕は心配になって言った。
「神崎アナ、助けてあげた方がいいんじゃ」
「アナってなんだよ」
神崎アナがツッコんだ後、明子山が怒鳴った。
「余計なお世話よ! あんたらはそこで大人しく見てなさい!」
「はいっ、ごめんなさい」
あまりの気迫につい謝ってしまった。でも、そうだよな。僕達素人が手を出すなんて、明子山の矜持が許さないだろう。大人しく観戦してよう。
勝負は膠着状態に入っていた。壁に押しつけようとする明子山、そうされまいと粘る宮本山。宮本山の脚はまた復活し、両方とも強靱な脚に変わっている。
手足を燃やすだけだとダメみたいだ。胴体か頭を燃やさないと……。
固唾を呑んで見守っていると、神崎アナがかけ声を上げた。
「はっけよーい、よい。はっけよーい、よい」
掛け声に促されたのか、戦局を動かしたのは宮本山だった。両脇に挟まれていた腕で明子山の服を掴み、太くなった脚に力を入れ、一気に明子山を押し始めた。
今まで敵の猛攻に動じなかった明子山の巨体が、じりじりと後方に押しやられる。もはや壁に叩きつけられる状況ではなくなった。明子山の劣勢を見て取ったのか、宮本山も壁から手を離し、明子山の背中に伸ばす。六つの手で服を掴むと、明子山をクレーンのように真上に引っ張った。
「宮本山、強引に吊る!」
「のんきに実況してる場合じゃないでしょ! あの体重で床に叩きつけられたら死んじゃうよ!」
僕は焦りまくっていたが、明子山はそうではなかった。
「甘いわよ!」
宮本山に吊り上げられる前に、自ら跳躍して宙に浮く。そのままのしかかるようにして宮本山の左脚に体重をかけた。明子山自慢の154キロを受け止めた左膝から、メシッと痛々しい音が鳴る。
「ぐぎゃ」
宮本山は呻き声を上げ、堪らず明子山を吊り上げていた手を離した。
「鯖折り! 強烈!」
宮本山の体が大きく傾き、明子山が着地する。その瞬間、明子山はすかさず両手で相手の腰を掴むと、自らの体を回転させ、その勢いで相手を投げようとした。これなら僕でも知ってる。上手投げだ!
「上手投げええええええ!」
宮本山が前のめりに崩れる。そのまま床の札ゾーンに倒れるかと思いきや、左脚を前に出して踏ん張った。しかも、札が焼失した部分に着地している。
上手投げ、決まらず。が、明子山は諦めない。相手の腰から手を離すと、今度は背中から生えた腕の二本を両手で抱えるように掴んだ。
「逃がさない」
そう言って関節を極め、背中に体重をかける。宮本山は前傾姿勢を取っており、しかも踏ん張っていた左脚とは逆の右側にのしかかられたから堪らない。明子山の体重を支えられず、ついに宮本山は右上半身から床に叩きつけられた!
宮本山の体が燃え上がり、その火が全身へと広がっていく。明子山の完全勝利だ!
神崎アナが決まり手を叫ぶ。
「とったりいいい! 勝ったのは明子山だああああ!」
その時、固唾を呑んで見守っていた坪井さんも歓声を上げた。
「やった勝ったああああ!」
そう言って台所からクッションを持ち出し、部屋の中へと投げ入れる。
すると、神崎アナが急に厳しい口調になって言った。
「危険ですので、座布団は投げないでください」
「いや、ここ国技館じゃないから」と僕。
明子山は青い炎に包まれて動かなくなった宮本山の前に蹲踞し、片手を水平に切った。その姿勢で語りかける。
「いい相撲だったわ。胸を張って成仏なさい」
「し……お……ん……」
宮本は、最後に彼女の名前を苦しそうに呟くと、炎と共に跡形も無く消滅した。
立ち上がった明子山に神崎アナが歩み寄る。マイクを持つように握った右手を口元に近づけ、インタビューを始めた。
「見事な勝利でしたが、いかがですか?」
明子山は大量の汗を顔中に垂らし、肩で息をしながら答えた。
「はぁ、はぁ、嬉しいですね。……やはり、はぁ、日頃の稽古が結果に繋がったかなと、はぁ、はぁ………………思いますね」
「親方の指導のおかげ、ということでしょうか?」
「そうですね。親方には、はぁ、厳しく稽古を付けてもらいましたから……この勝利が、はぁ、親方への恩返しになったかなと、はぁ、はぁ………………思いますね」
「ありがとうございました。明子山関でした」
「いや、だからここ国技館じゃないから」と僕。
坪井さんも嬉しそうに明子山に言う。
「ありがとうございました。正直、悪霊なんてホントにいるのか半信半疑だったんですけど、宮本の姿が見えるようになって分かりました。幽霊は本当にいるんだって。あんな化け物が、私の首を絞めてたんですね。もし篠崎さんに退治してもらえなかったら、今頃どうなってたか……」
「死んでたでしょうね」と、篠崎さんは平然と返す。「でも、もうその心配はありません。宮本の霊は完全にこの世から消え去ったので。はぁ、はぁ、あー、疲れた。……坪井さんも疋田さんも、これで大丈夫ですよ」
「はい。本当にありがとうございました。あの、何かお礼をしたいんですが……」
「ああ、いいんですいいんです。お代はちゃんと疋田さんから貰いますから。あたし達は部屋を片付けて失礼します。それよりこっちこそごめんなさいね。アパートなのに騒いじゃって。後でクレームが来るかもしれないけど、許してください」
「あっ、それなら大丈夫です。お隣さんは耳が遠いお爺さんなので。たぶん何も言われませんよ」
「あら、そう? ならよかったわ」
篠崎さんが僕達に向き直って言う。
「さっ、あんた達、さっさと部屋を元通りにするわよ。まずは残った札を回収してちょうだい。再利用するから、両面テープのシートを綺麗に貼り直してね」
「えー、貧乏臭」と菅原君。
「二回も言うんじゃないわよ! 無駄遣いしたら代金に上乗せされるんだからね! そうなったら困るのはあたしじゃなくて依頼者よ!」
「分かってますよ。ちゃんとやらせていただきますよ」
「頼んだわよ。あたしは疲れたからちょっと休憩。あー、いい汗かいた」
そう言って、篠崎さんはアタッシュケースから手ぬぐいを出し、それで顔や体の汗を拭いた。
僕達は手分けして壁と床に貼られた札を剥がし、部屋の隅に寄せていたシートを両面テープに貼り直していく。地味な作業だ。
それが終わった後、今度は台所に運んでいた家具を部屋に戻す。
作業がすべて終わると、僕達は玄関を出た。別れ際、「何か困ったらここに連絡をください」と、篠崎さんは坪井さんに名刺を渡した。




