除霊準備
僕はあまりの厚かましさに度肝を抜かれた。他の二人も同じようだ。
「おい、お前いい加減にしろよ」と、さっそく神崎君が助手らしからぬ言葉を吐く。「人ん家でまで飯食おうとすんのか。どんだけ意地汚いんだよ」
「そうですよ。さすがにそれは引きますよ」と、菅原君も同調する。
篠崎さんは怒って言った。
「馬鹿ね、あんた達! あたしが食べるわけないでしょ! 悪霊に食わせんのよ!」
「悪霊に!?」と僕は驚いて、「どうしてそんなことを……」
「それも追々説明するわ」
坪井さんが遠慮がちに尋ねる。
「あ、あのぉ、ご飯はどれくらいあれば」
「お茶碗一杯分で充分ですよ」
「分かりました。今持ってきますね」
坪井さんが台所に移動する。
宮本がしがみついている背中を可哀想に思いながら見つめていると、篠崎さんが次の指示を出した。
「さて、あんた達にもしっかり働いてもらうわよ。まずこの部屋の家具を全部台所に移動させるわ」
「なんでだよ」と神崎君。
「悪霊が暴れ回って壊したら大変でしょ。はい、さっさとやる!」
というわけで、僕達は協力して机やテレビなどの家具を運び出した。
篠崎さんはというと、坪井さんからご飯が入ったお茶碗を受け取り、アタッシュケースを開く。
家具を運び終わると、僕達三人は坪井さんと共に、篠崎さんの奇妙な作業を眺めることになった。
開かれたアタッシュケースの中には、実に様々な物が入っている。といっても、大部分を占めているのは札だった。文字、というよりもはや模様に近い呪文が書かれた大量の札の束が詰め込まれている。よく見れば白紙の物もあり、筆が添えられていることから、篠崎さんがその場で呪文を書くこともあるようだ。それなのに墨汁は無く、代わりに血のように真っ赤な液体と、水のように透明な液体が入った二つのボトルがあった。それらは綺麗に畳まれた白い手ぬぐいの上に置かれている。
篠崎さんは輪ゴムで雑にまとめられた束から札を三枚取り出すと、それを床に並べた。それから透明な液体のボトルを手に取り、蓋を開けて液体を左手に少量注ぎ、お椀のご飯をその手に乗せた。
その後、菅原君に指示を出す。
「菅ちゃん、そこの巾着袋開いて」
「おっ、ついに中を見ていいんですね? どれどれ」
菅原君がニヤニヤしながら袋を持つ。
「何が出るかなー」
はしゃぎながら袋を開ける。まるで誕生日プレゼントを開ける子供のようだ。そして、中を覗き込んだ時の反応も、まさにそのようだった。
「おお、これはこれは……。まさに呪物に相応しい物が……」
「中の物をご飯の上に乗せてちょうだい」
篠崎さんに指示され、菅原君が袋に手を突っ込む。中からつまみ出されたのは、黒い髪の毛だった。
それがご飯の上に乗せられ、白と黒の奇妙なコントラストを作る。一見すると海苔に見えなくもない。それなら気味悪くないのだが。
また、僕はそれ以外にも白黒のコントラストを見つけた。髪の毛の中に白くて細い物が混じっている。米粒かと思って目を凝らすと、なんと、それは三日月型に切られた爪だった。
うぅ……気持ち悪い。菅原君の言う通り、いかにも呪いって感じがする。これが黒魔術って奴か? たしかに篠崎さんには『魔女』って言葉がよく似合うな。
色々と考えていると、神崎君が尋ねた。
「髪と爪か。それって疋田さんのか?」
「そうよ。これを具にしておにぎりを作るの。好きな女の髪と爪は、男の大好物でしょ?」
「んなわけあるか! 男が全員そんな変態だと思うな」
「そうかしら。少なくとも宮本の霊は大喜びすると思うわよ。生前ならともかく」
篠崎さんは大きな両手で米を包み込むと、器用な手さばきで三角の形に固めた。これだけだったら普通のおにぎりに見える。
菅原君が尋ねた。
「さっき手に付けた液体は何ですか? まさか塩水じゃないですよね?」
「それは企業秘密。あたしのおにぎりをスーパー美味しくするための魔法の水よ」
「ホントに塩水じゃねーだろーな」と神崎君。
「かもねー」
篠崎さんはからかうように答えると、おにぎりを床に並べていた札の上に置いた。それを海苔のように周囲に貼っていく。全部貼り終わると、大きな声で言った。
「完成! 明子特製、悪霊大好きおにぎり。いっちょ上がりでーす」
そう言って完成物を僕達に披露する。
「ほら、美味しそうでしょ?」
「どこがだよ!」と神崎君がツッコむ。
「これを宮本にプレゼントしたいんだけど、それにはまだ準備不足。あんた達には次の仕事をやってもらうわ」
篠崎さんはケースの中から別の札の束を取り出した。札にはおそらく漢字であろう文字がみっちり書き込まれている。それを輪ゴムから外して菅原君に手渡す。
「この札を部屋の壁と床に貼ってちょうだい。そうねぇ、壁と床の中心部に、縦七枚、横二十一枚、隙間が無いように並べて貼ってちょうだい。そうすれば綺麗な正方形になるはずだから。それを四つの壁と床に作るの。……いや、やっぱりベランダ側の壁には貼らなくていいわ。ガラス戸になってるし。あと天井もいらない。分かった?」
「えっと、縦七枚、横二十一枚ですね。了解です!」
「さっ、手分けしてちゃちゃっと片付けなさい。あたしも手伝うわ」
というわけで、僕と神崎君は菅原君からお札を分けてもらって、各々壁に貼ることにした。
篠崎さんはケースから同じ札を取り出し、床を担当して貼っていく。
札は長方形で、縦15センチ、横5センチくらいだ。たしかに篠崎さんの言う通りに貼れば正方形になる。綺麗に貼らないと。
札の裏には予め両面テープが貼られていて、シートを剥がすだけで壁に貼り付けることができた。お札には古めかしい漢字が書かれているのに、貼り方はずいぶん現代チックだ。まあ、楽でいいけど。
菅原君が作業しながら尋ねる。
「この札はいったいなんの効果があるんですか? やっぱり除霊の力が?」
「そうよ。これは破邪の札。妖怪退治のメイン武器ね」
「だったら、この札を坪井さんの背中に貼ればいいじゃないですか?」
「それで除霊できたら苦労しないわよ。この札は妖怪専用。悪霊だと力が弱すぎて効かないわ」
「弱いって、札がですか?」
「違うわよ。悪霊の方よ。さっき車の中で言ったでしょう。悪霊は妖怪よりも力が弱いって。だからあたしの霊感じゃ感知できないし、倒せもしない」
「でも、この札は強い妖怪に効くんでしょう? なのに弱い悪霊には効かないって、なんだかおかしな話ですね」
「弱すぎると、かえってこっちの力が効かなくなるのよ。向こうもこっちに攻撃できないようにね。幽霊はいわば空気みたいなもの。空気を壊そうと思ったら、固体に変えるしかないわ」
「ほう、面白いですね。どうやって変えるんですか? 幽霊を固体に」
「そのために特製おにぎりを作ったのよ。あれを食わせれば霊力が増して、ある程度は実体を持つようになる。でも、それだけだと心許ないから、もう一つの仕掛けを用意するわ。それについてはあとで説明するから、今は目の前の仕事を片付けなさい」
「了解です!」
「ああ、あと、札は回収して再利用するから、両面テープのシートは捨てちゃダメよ。綺麗な状態で残しておいてね」
「えー、貧乏臭」
「失礼なこと言うんじゃないわよ! この札、超高級品なんだからね! 死んでも破ったりするんじゃないわよ!」
「はいはい、気をつけますよ……」
しばらく沈黙が流れる。黙々と作業を進め、最初に終わらせたのは神崎君だった。
「終わったぞ」
「あら、早いわね」
篠崎さんが作業の手を止め、神崎君が担当した壁をチェックする。
「しかも綺麗ねぇ。あんた、見かけによらず手先が器用なのね。……でも、ちょっと上すぎるわね」
僕も神崎君が担当した壁を見る。たしかに綺麗な正方形が出来ているが、壁の中心から少し上にずれた位置に完成していた。背が高いからだろうか。
「まあ、でも上出来よ。合格。じゃああんたは他の子の手伝いをしてちょうだい」
そう言って篠崎さんが自分の作業に戻ろうとした時、その足を止めた。
「ちょっと、あんた、ガタガタじゃないのよ!」
篠崎さんが菅原君の壁を見て言う。僕もそこに目を移すと、たしかに酷い有様だった。まず進捗が他の人に比べて明らかに遅い。さらに、一枚一枚の札が重なったり、逆に離れたりしていた。
「不器用ねぇ、あんた。隙間無くって言ったでしょ。あと重なっててもダメなのよ」
「すみません」と、菅原君が珍しく弱気な様子で言う。「オレ、こういうのホント下手で、手先に意識を集中するほど、手が震えちゃうんです……」
神崎君がツッコむ。
「なんで化け物見ても震えねーのに、こういう時だけ震えんだよ」
「仕方ないわねぇ。神崎は菅ちゃんの手伝いをしてあげて。このままじゃ正方形じゃなくて三角形になっちゃうわ」
「言い過ぎでしょ! そこまで酷くないですよ!」
「仕方ねぇな。札貸せ菅原」
「ごめん、神崎」
その後も作業を続け、次に終わったのは篠崎さんだった。やり慣れているのか、床の中心部に完璧な正方形が出来ている。
で、次に終わらせたのは僕だった。篠崎さんほど綺麗じゃないけど、合格点を貰う。
で、最後に終わらせたのは菅原、神崎ペアで、見事なまでに誰がどこを担当したのか分かった。神崎君がした所は綺麗で、菅原君がした所はお世辞にも綺麗とはいえない。
「不合格!」と篠崎さんは厳しい採点を下すが、「でも、これでいいわ。さっきも言ったけどその札高いからね、貼り替えるなんて贅沢なことできないわ」
「すみません。足引っ張って」と、菅原君がしょぼくれながら謝る。
「別にいいわよ。弘法筆を選ばずって言うでしょ。これくらいであたしの仕事が失敗するわけないわ。さて、最後の仕上げをしましょう。ダメ押しでこの札を貼ってちょうだい」
篠崎さんはケースから新しい札を取り出した。束から数枚だけ引き抜く。札には赤色の呪文が書かれていた。
「この札は特別製も特別製。あたしの血を混ぜて作った極上の墨で呪文を書いてあるの。これを部屋の四隅、いや、八隅ね。天井と床の角にそれぞれ貼り付けてちょうだい。ほら、神崎、あんたの長身を活かす時が来たわよ。あたしが天井に札を貼るから、肩車しなさい」
「潰れるわ! 他の奴でいいだろ!」
「へなちょこねぇ……。まぁ、いいわ。菊池くん、神崎の肩に乗ってこれを貼ってちょうだい」
そう言って札を四枚渡されるが、あまりいい気はしない。
「僕、高い所嫌いなんだけどなぁ。菅原君じゃダメかな」
「ダメよ」と篠崎さんが食い気味で言う。「菅ちゃんが不器用なの分かったでしょ」
「ごめんね菊池君」と菅原君も謝る。
「おら、うじうじ言ってないでさっさとやるぞ」
そう言って神崎君が僕の股に首を突っ込んだ。そのまま勢いよく体が持ち上げられる。
僕は神崎君の頭を無我夢中で掴んで言った。
「うわああああ、まだ心の準備が!」
「だからお前の心の準備は一生できねーだろーが。ほら、さっさと貼れ。怖いなら下を見るな。上だけ見ろ」
「なんか深いね、その言葉」
「深くねーよ。のんきか」
神崎君の背が高いおかげで、天井の角はすぐ目の前にあった。ここが高所であることを必死で頭から消し去り、無心で札を貼る。天井と壁にかけて、くの字に曲がるように貼り付けた。
「よし、次」と、神崎君が急に方向転換する。
「ああ、急に動かないで! 怖いでしょ!」
「だったらすぐ終わらせた方がいいだろ。早く貼れ」
「うぅ、人使いが荒いんだから」
「こっちのセリフだ! 俺の方が疲れるんだよ!」
文句を言いつつも作業を続ける。札をしっかりと天井の四隅に貼り付け、僕はようやく地上に降ろしてもらった。
僕達が作業している間に、篠崎さんが床の四隅に札を貼っていた。
「いつまでかかってんのよ、あんた達。こっちはもう終わったわよ」
「ほんとだぜ、まったく」と神崎君。
「ごめんなさい」と謝る。なんで僕が謝らないといけないんだ。こんなに怖い思いをしてるのに。
その時、神崎君が驚いて声を上げた。
「うおっ、なんか見えるぞ!」
そう言って坪井さんの背後を指さす。が、僕には今まで通り、しがみつく宮本の霊が見えるだけだった。
菅原君がそこに目を凝らしながら尋ねる。
「え? オレには何も見えないけど。何が見えるの?」
「なんか、モヤみたいなもんが見える……」
篠崎さんが解説する。
「センスあるわね、神崎。あたしの札の効力で、悪霊の力が少し強まったのよ。あたしにも形を捉えられるようになった。薄くだけどね」
「ずりぃぞ神崎!」と菅原君が怒りだす。「どうしてオレには見えないんだ!」
「センスが無いからよ」と、篠崎さんが冷淡に答えた後、手を叩いて言った。「さてと、みんなのおかげで場所は完成したわ。あとは、宮本の霊を坪井さんから引き剥がすだけ。この大任はもちろん、菊池くんにやってもらうわ」
「ええ、僕が!? 嫌です!」
ハッキリ拒絶するが、当然のごとく断られた。
「嫌でもやるのよ。ていうか、あたしはやりたくてもできないの。この大仕事は菊池くんにしかできない。心配しなくても、あたしが責任を持って退治するわ。菊池くんは宮本を引き剥がしてくれればそれでいいから」
「……分かりました。やってみます」
「よくぞ言いました。今から菊池くんがやることは、この明子特製おにぎりを奴に食わせること。それだけよ」
そう言って部屋の隅に置かれていたおにぎりを手渡される。
「どうやって食べさせるんですか?」
「あなたの声で、宮本にこれを食べるよう伝えるのよ」
「そ、そんなことでいいんですか?」
「ええ。菊池くんは霊と話せるくらいに霊感が強い。あなたの言葉は、坊主の読経よりもよっぽど強い言霊を帯びるはずよ」
菅原君が口を挟む。
「さすがリーダー。カッコいい……」
茶化しているのかと思い顔を見ると、菅原君はヒーローショウを見る子供くらいに目を輝かせていた。本気でそう思っているらしい。逆にげんなりする。できるならこの能力を菅原君にあげたいくらいだ。
心の準備も出来ないままに、篠崎さんが具体的な指示を出した。
「まず、坪井さんと向かい合って座りましょう。宮本は札を越えられないから、札が間に来ないようにね」
というわけで、僕達は部屋の中心部を避け、ベランダ側の壁の角にそれぞれ座ることにした。僕と篠崎さんが横並びに座り、向こう側の角には坪井さんが座る。そして、神崎君と菅原君は中央に座り、僕達を横から眺める構図になった。
僕は向こう側にいる宮本の霊を観察した。鬼のような形相でずっと坪井さんの首を絞めている。僕達が部屋に来てからずーっとだ。ゾッとするほどの執念を感じる。このまま放っておけば、坪井さんは殺されてしまうだろう。恐ろしくても頑張らないと……。




