悪霊
駐車場に車を駐めて、疋田さんの部屋に向かう。マンションは十階建てで、疋田さんの部屋は三階にあった。
部屋の前まで来て、篠崎さんがチャイムを押す。若い女性がドアを開けた。
篠崎さんが明るい感じで挨拶する。
「どうも、退治屋の篠崎です。こんにちは」
「ああ、どうも、はじめまして。私が依頼した疋田です」
どうやら疋田さんと篠崎さんは初対面らしい。あの喫茶店でされた話は電話で聞いたものなのだろう。
疋田さんが僕達に視線を移して言う。
「……あの、そちらの三人は」
「ああ、あたしの助手だから気にしないでください。こう見えて、あたしより霊感が強いんですよ」
「そうなんですか……」と言いつつ、疋田さんはなんとなく不安そうだ。
菅原君が僕の肩に手を置き、ハキハキと言った。
「篠崎さんの言う通りです。ここにいる菊池君の霊感は本物中の本物。必ず除霊を成功させますから、ご安心ください」
まだ除霊を始めてもいないのに、よくもまあ堂々と言えるものだ。失敗したらどうするつもりだろう。
疋田さんがどこか期待をこめた眼差しで僕を見る。そんな目で見られたら、こう言うしかない。
「はい、絶対に成功させるので、任せてください」
あーあ、言っちゃったよ。これで絶対に失敗できなくなった。
僕の不安も知らず、疋田さんは微笑を浮かべて言った。
「ありがとう。さあ、上がってください」
僕達はドアをくぐり、部屋の中に入った。
その瞬間、僕は微かにだが、嫌な感覚がした。霊が近くにいる、という感覚に近いが、それとは少し違う。まるでそこにいた人の体臭が残っているように、霊の気配がほんのりと漂っているのだ。その気配が、僕の感覚をぞわりと刺激する。悪霊特有の気配で、楔山で感じたソイノメ様の邪気に似ていた。
廊下を通って、リビングに通される。テーブルの側に置かれたソファに座っていると、篠崎さんが言った。
「どう、菊池くん。宮本の霊はここにいる?」
僕は恐る恐る部屋を見渡したが、やはり霊の姿は見えなかった。
「いや、いません。ここにいた気配はありますけど」
「そう。やっぱり、夜以外は坪井さんの方に取り憑いてるみたいね。疋田さん、頼んでた物、用意してくれました?」
「はい。この袋に」
疋田さんはテーブルに置かれていた巾着袋を手に取り、篠崎さんに渡した。水玉模様の可愛い袋だ。
それを受け取ってすぐ、篠崎さんは袋を開き、中を確認して言う。
「はい、たしかに受け取りました」
僕は気になって中を覗こうとしたが、その前に口を閉じられてしまった。
「いったい何が入ってるんですか?」と菅原君。
「あとで教えてあげる。じゃ、坪井さんの家に行きましょうか」
「おっ、もう出くのか?」と神崎君。
「ええ、この部屋に宮本はいないみたいだし、欲しい物は手に入ったしね」
というわけで、僕達は息つく暇もなく立ち上がり、玄関に向かった。
見送る際、疋田さんが頭を下げて言う。
「早く結月を助けてあげてください。お願いします」
「オッケー、任せてください」と、篠崎さんが頼もしい返事をする。
マンションの外へ出て、僕達は車に戻った。そこから5分ほど車を走らせ、坪井さんのアパートに到着する。
駐車場に車を駐め、坪井さんの部屋に向かった。篠崎さんは助手席に乗せていたアタッシュケースを持っている。
二階の部屋のチャイムを押すと、疋田さんと同い年くらいの、若い女性が出てきた。そして、彼女の背中にしがみつく宮本の霊も。
「う、うわああああああ」
僕は恐怖のあまり叫び声を上げ、腰が抜けてしまった。その場に倒れ込みそうになったところを、誰かに後ろ襟を掴まれ、強制的に立たされる。その後、腰を力強く叩かれ、活を入れられた。後ろを見ると、立たせてくれたのは神崎君だった。
「おい、どうしたんだ菊池」
僕は宮本の霊を指さして言った。
「み、宮本の霊が、坪井さんにしがみついて、首を絞めてる……」
必死で説明しながら、これだけでは伝わらないというもどかしさを感じる。宮本はもはや普通の人間の姿をしていなかった。腕が通常の二倍ほどの長さに伸び、両手で坪井さんの首を絞めている。細長い腕が肘の部分で折れ曲がる様は、まるでバッタの脚のようだ。
顔を見ると、目を見開き、歯を食いしばって、懸命に首を絞めているのが分かった。その目がまた異様で、見開きすぎた目は極端につり上がり、顔のほとんどを埋めつくすほど巨大化している。
また、二本の脚も大きく変化し、それぞれが巨大な一本の指になっていた。二本の指は坪井さんの腰を握り絞めるように巻き付いている。
間違いない。これはもう普通の霊ではなく、悪霊だ。おぞましい霊気が垂れ流され、僕の体内をゾわゾわと刺激する。
だが、坪井さんには化け物に取り憑かれているという自覚が無いらしく、僕のことを終始胡散臭そうに眺めていた。どうやら演技をしていると疑っているようだ。
篠崎さんは雰囲気を切り替えるように、明るい声で言った。
「ごめんなさいね、びっくりさせて。あたしが退治屋の篠崎明子です。疋田汐音さんに言われて伺いました。あなたが坪井結月さんですね?」
坪井さんはぎこちない愛想笑いを浮かべて答える。
「は、はい。そうです。汐音から話は聞いてます。それで、この人達は?」
「この子達はあたしの助手です」と言ってから、篠崎さんは僕の頭に手を置いた。「さっきこの子が騒いじゃってびっくりしたでしょう? この子はあたしよりも霊感が強いから敏感なんです。許してください」
「ああ、そうなんですか……」
戸惑いながら僕の方を見る。僕はとりあえず謝った。
「突然騒いですみませんでした。僕は菊池智也といいます。篠崎さんの助手です。よろしくお願いします」
ホントは助手じゃないけど、怪しい者だと思われたくないのでとっさに付け足す。
隣にいた二人も自己紹介する。
「オレは菅原賢人っていいます。どうぞよろしく」
「俺は神崎蓮です」
「大人数で押しかけちゃってごめんなさいね。その代わり、ちゃちゃっと除霊しちゃうから、部屋に上がってもいいかしらね」
「はい、もちろんです。どうぞ、上がってください」
まだ坪井さんに警戒されてる気がする。無理もないか。退治屋を自称する怪しい四人組を部屋に上げるのは嫌だろう。小さいアパートだから一人暮らしだろうし、僕だったら絶対に嫌だな。
中に通され、玄関で靴を脱いでいると、篠崎さんが僕に言った。
「菊池くん、あたしが言うまで、宮本の名前を絶対に言わないでね」
「な、なんでですか?」
「あなたの声は特別だからよ。宮本の霊に不要な影響を与えたくないの。分かった?」
「はい、分かりました。絶対に言いません。あの、篠崎さんには、アレが見えないんですか?」
「宮本の霊のこと? 全然見えないわ。まだ悪霊の段階ね」
「そうですか……」
僕はそう言った後、『絶対に名前を言わない絶対に名前を言わない』と何度も心の中で復唱しながら、台所に続く短い廊下を歩いた。坪井さんが襖を開け、六畳の和室に入る。どうやら間取りは1Kのようだ。やっぱり一人暮らしだろう。ごめんなさい、男が三人も押しかけて。
和室には机とテレビ、それから衣服や小物が入っているであろうカラーボックスが置かれていた。…ごめんなさい、部屋の中をじろじろ見て。気持ち悪いですよね。
だんだん、いたたまれない気持ちになってくる。早く帰ってほしいだろうな……。
居心地の悪さを感じていると、篠崎さんがどっかりと畳に腰を降ろして言った。その姿はなんだか妙に和室と似合っている。この部屋の主みたいだ。
「坪井さん、ちょっと白ご飯貰ってもいいかしら?」




