篠崎明子、大登場
約束の日、重たい足を引きずりながら待ち合わせ場所である一森駅を歩く。外に出ると、駅前に立っていた菅原君の眩しい笑顔が視界に映った。隣には神崎君もいる。
菅原君が僕に気づき、手を振って言った。
「リーダー、こっちこっち」
そりゃそっちしかないでしょうね、と思いながら菅原君の元へ行き、「おはよう」と二人に挨拶する。
「暗いなぁ」と菅原君。「今日もリーダーが大活躍できるかもしれないんだよ? もっと張り切ろうよ」
そんな気持ちになれるわけがない。神崎君も呆れて言う。
「無茶言うな。こいつが筋金入りの怖がりだって知ってんだろ。来てくれてだけありがたいと思え」
「でも今日で楔会の活動は三回目だよ? いい加減慣れない?」
「慣れるわけないでしょ!」と僕は声を張り上げた。「それを言うなら菅原君だっていい加減飽きてよ!」
「ああ、そう言われるとそうだね。オレなんて飽きるどころか、前の人形の時よりも興奮してるよ。なんたって退治屋の仕事をこの目で見られるんだからね。こんなラッキーなことないでしょ?」
「どこが!? 僕にとってはアンラッキーだよ!」
「そうかな? 真面目な話、もし菊池君がこれから妖怪に襲われたら、篠崎さんに助けてもらえるんだよ? だから今日、恩を売っておいた方がいい」
「うっ、なるほど……」
たしかに、菅原君の言う通りかもしれない。楔会に入る前から、霊的な存在はたくさん見てきた。今まではそのような存在に対処しようなんて夢にも思ってなかったが、これからは篠崎さんに頼めばなんとかなるかもしれない。なんなら僕だけでもできる簡単な魔除けの方法とかも教えてもらえるかも……。
そう思うと、心の中の憂鬱さがいくらか晴れた。
「そうだね。篠崎さんは心強い味方になってくれるかもしれない。頑張って仕事を手伝おう」
「その意気だよリーダー」
「で、その篠崎さんはどこに?」
「あそこの喫茶店。そこで待ち合わせることになってる。もう来てるんじゃないかな」
そう言って菅原君は駅のすぐ近くに建つ喫茶店に向けて歩きだした。僕と神崎君もそれに続く。
僕は緊張して言った。
「どんな人なんだろう、退治屋って。怖い人じゃなきゃいいけど」
「人間も怖いのかよ」と神崎君が笑う。
「当たり前でしょ! 神崎君だって怖いよ!」
「相手は女だ。俺みたいに腕っ節が強いわけじゃないだろ。怖がってどうする」
「女の人だって怖い人は怖いもん……」
神崎君と話ながら喫茶店のドアをくぐる。カランカランとベルが鳴った。
店内を見渡すと、お客さんはほとんどいなかった。八つあるテーブルのうち、使われるているのは二つだけ。一つは一番奥の方の席で、二人のご婦人が世間話に興じている。
そして、窓際にあるもう一つのテーブルには、三十代くらいの女性が一人座り、特大パフェをがつがつ食べていた。パフェのグラスは1リットルは水が入りそうなほど大きい。もはやグラスというよりもジョッキだ。
そして、その女性も特大パフェに相応しい体躯をしていた。座っていても分かるくらいに背丈が高く、その上、太っていて横にもデカい。まるで力士のような体格だ。
だが当然、着物を着ているわけもなく、黒一色のブカブカなワンピースを身に纏っていた。また、髪型は髷、ではなく、お団子になるように縛っている。
篠崎さんは一人で来ているだろうから、もうこの人しかいない。
「腕っ節強そうじゃん」と神崎君に小声で文句を言うと、菅原君がその人に声をかけた。
「篠崎さん」
すると、呼びかけられた女性がこっちを見た。
「ああ、菅ちゃん。こっち来なさい」
快活な声が店内に響く。優しそうな印象を受け、僕は少し安心した。
三人で篠崎さんがいるテーブル席に座る。
篠崎さんはスプーンをパフェのクリームにぶっ刺すと、メニュー表を広げて言った。
「さっ、あんた達、好きなもん頼みなさい。あたしが奢ってあげるから」
菅原君が遠慮して言う。
「いえ、お構いなく。それよりも早く現場に向かいましょう」
「生意気なこと言ってんじゃないわよ! 腹が減っては戦はできぬっていうでしょ。若いんだから食べてきなさい」
有無を言わせぬ調子で捲し立てる。体が大きい分、その圧は半端ではない。優しい人ではあるんだろうけど………。
菅原君もその圧に負け、おずおずと言った。
「じゃあ、コーヒーでも」
「はぁ!?」と、篠崎さんは目を見開いて、「ちょっとあんた話聞いてなかったの? 戦の前に腹ごしらえしろって言ってんの。コーヒーなんかで腹膨れるわけないでしょ。それとも何? ダイエットでもしてんのあんた。そんなヒョロヒョロなのに?」
篠崎さんの前では誰だってヒョロヒョロになるよ。そうツッコみたかったが、怖いので口には出さない。
菅原君は仕方が無いといった感じで言った。
「じゃあ……篠崎さんと同じ……いや、普通のサイズのパフェを」
菅原君がここまで押されているのも珍しい。相手が人間、しかもオカルト関係に詳しい人だと、菅原君も強気に出られないみたいだ。
篠崎さんが僕達を見て言う。
「さっ、あんた達は何にすんの?」
「えっと……」
そう言われても、今は午前10時だ。二、三時間前に朝ご飯を食べたばかり。まったくお腹が空いてない。だが、断るわけにはいかないし……。
僕が口ごもっていると、神崎君が言った。
「俺は菅原と同じでいいです」
僕もそれに合わせて言う。
「じゃあ、僕もそれで……」
「あら、何?」と篠崎さんが驚いた様子で言った。「奢ってあげるって言ってるじゃない。そんな小っこいパフェでいいの? 腹持たないわよ?」
すると、神崎君が鋭い口調で言い返した。
「あんたみたいにデブじゃないからそれでいいんだよ」
和やかだった空気が一瞬で凍り付く。
数秒の沈黙の後、僕は慌てて神崎君を窘めた。
「ちょっ、ちょっと神崎君、失礼でしょ!」
菅原君もそれに加わる。
「そうだぞ! 謝れ!」
が、神崎君はまったく謝る素振りを見せない。
「だって全然本題に行かねーじゃねーか。こっちはいらねーつってんのに。余計なお世話なんだよ」
恐る恐る篠崎さんを見ると、神崎君を睨んで言った。
「何よ、やけに偉そうじゃない、あんた。あたしはデブなんかじゃないわよ。あんた達が痩せ過ぎなのよ」
「んなわけあるか。現実見ろ。あんたが太り過ぎなんだよ」
「現実が見えてないのはあんたよ。何度も言わせないで。あんた達は今から戦場に行くのよ。その自覚がある?」
「………」
「あたしの仕事は力士クラスのフィジカルが無いと務まらないの。あんた達もあたしを見習って、食事くらいしていきなさい」
神崎君が不敵に笑って言う。
「そのセリフは菅原と菊池に言えよ。俺はちゃんと体作りをやってる。力士に勝てるくらいにな」
「ふんっ」と篠崎さんが鼻で笑って、「まるで勝ったことがあるみたいな口ぶりね」
「あるさ。俺は相撲やってる奴に喧嘩で勝ったことがある。そいつは体重が120キロもあったがな。戦いは体重がすべてじゃない。あんたみたいな素人には分からないかもしれないが」
「ふーん。で、あんたが勝ったって奴はプロの力士なの?」
「……いや」
篠崎さんは我が意を得たりといった感じで畳みかけた。
「ほーら、アマチュアじゃない! あたしはプロの話をしてんのよ。幕下以下のアマチュアに勝ったくらいでいい気になるんじゃないわよ。よくそれで人のことを素人呼ばわりできたわね。あんた、体重はいくつ?」
「……87キロ」
「あたしは154キロですぅ! 100キロ以下で横綱になった力士はいませーん! あたしに説教垂れたいなら、ちゃんこ食って出直して来なさいよ!」
「……」
す、すごい。あの神崎君相手に一方的に捲し立てている。というか、体重の重さでマウント取る人なんて初めて見た。軽さならともかく。
これが妖怪退治屋の度胸か、と感心していると、神崎君がテーブルを叩いて立ち上がった。
「ひぃっ」と僕は悲鳴を漏らしたが、篠崎さんは一切動じていない。
神崎君が怒鳴りつける。
「そんなに言うんだったらやってやろうじゃねーか! お前表出ろ! お前はプロの力士なんかじゃねーだろ!」
僕は神崎君の長身を見上げた。僕が篠崎さんの立場だったら怖すぎて失禁してるかもしれない。
だが、篠崎さんも負けじと立ち上がる。こっちの身長もまあデカい。189センチある神崎君より少し低いくらいだから、185センチくらいだろうか。神崎君に負けず劣らずの大声で言い返す。
「あんたごときにあたしが倒せると思ってるの? 霊感も無いガキが!」
「霊感なんて関係ねーだろ!」
「あるに決まってんでしょ! これだから素人は困るのよ!」
「何だとこの野郎! だったら表出て証明してみろ馬鹿野郎が!」
その時、ウエイトレスの女性がこちらにすっ飛んできた。
「あ、あのお客様、どうかされましたか?」
神崎君がキッと店員さんを睨みつける。が、篠崎さんは途端に柔和な笑顔になってこう答えた。
「あら、ごめんなさいね。こっちの話。お店は全然関係無いの。この子との話がエキサイトしちゃって。急に騒いじゃってごめんなさい。お母さん達もごめんなさいね」
篠崎さんが両手を合わせ、向こうのテーブルにいた二人のご婦人に謝る。ご婦人は手で横に振り、大丈夫だと合図した。
篠崎さんが店員さんに言う。
「もう騒がないから許してちょうだい。あと、チョコレートパフェ四つお願い」
「は、はい。チョコレートパフェ四つですね」
店員さんが困惑気味で答え、店の奥に消えていく。
困惑していたのは僕も同じだった。パフェ四つ? 三つじゃなくて?
注文を終えると、篠崎さんはどっかりと椅子に座った。上げた拳を降ろしてくれたようだ。
菅原君が神崎君を宥める。
「座れって神崎。他のお客さんに迷惑だから」
「喧嘩売ってきたのはこいつだろ」
「いいや、神崎だね。座れ」
怖い顔で菅原君に言われ、神崎君は仕方なく座った。
篠崎さんが言う。
「まったく、馬鹿と口喧嘩して無駄なカロリーを消費しちゃったわ。パフェで補給しないと」
ああ、だから四つも注文したのか。どんだけ食うんだよ、この人。まだ特大パフェが半分残ってるのに。
篠崎さんもそのことが気になったのか、パフェのグラスを持ち上げ、一気に中身を口にかき込んだ。まるで丼飯を食べているみたいだ。いや、もはや飲み物を飲んでいるようにも見える。
ドンッとグラスを置いた頃には、あれだけぎっしり詰まっていたコーンフレークがすべて無くなっていた。口の中の残っていたフレークも素早く咀嚼し、ごくんと飲み込んで言う。
「あー、おいし。人生ってのはパフェみたいなものよね。うわべはアイスとかチョコスプレーとかで着飾ってはいるけど、その下はほとんどかさ増しのコーンフレークなのよ。でも、そのコーンフレークが無いと、それはそれで寂しいのよねぇ」
神崎君が不機嫌そうに言った。
「どーでもいいから、さっさと本題に移れよ」
篠崎さんが呆れて返す。
「あんたほんとに人の話聞かないのね。あたしとの無駄話がまさにコーンフレークなんでしょうが。意味ばっかり求めてたら、人生はかえって味気なくなっちゃうわよ。あんた、友達少ないでしょ?」
「………」
「図星ね。でも、友達は多ければいいってものでもないわ。多ければ多いほど関係性が薄くなっちゃうから。菅ちゃんと菊池くんとの関係を大事にすることね」
「………余計なお世話だ」
神崎君が照れくさそうにそっぽを向く。
すると、篠崎さんが今度は僕の方を見て言った。
「こいつとばっかり喋ってごめんなさいね。はじめまして、菊池くん。もう菅ちゃんから聞いたと思うけど、あたしは妖怪退治屋をやってる篠崎明子って女よ。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします。僕は菊池智也っていいます」と頭を下げる。
「あら、どっかの誰かさんと違って礼儀正しいわねぇ。やっぱり霊感があるからかしら」
「関係ねーだろ」と横から神崎君がツッコむ。
「はいはい」と篠崎さんは軽くあしらって、「それでね、菊池くんには簡単なテストを用意してるから、パフェを待つ間に受けてほしいの」
「テスト? どんなテストですか?」
「どの程度の霊感があるのか確かめるテストよ。あそこの電信柱を見て」篠崎さんが透明なガラス窓の外を指さす。「塾の広告が貼られた電信柱があるでしょ? そのてっぺんに、いったい何が見えるか言ってみて」
「えっと……」
言われた通りに電信柱を見上げる。が、そこにはどれだけ目を凝らしても、何もいなかった。
テスト不合格だろうか。それならそれでいいので、正直に答える。
「何も見えません」
すると、菅原君が慌てた様子で言った。
「ホントに! 嘘ついてんじゃないの!」
「ホントだよ。何も見えないよ」
篠崎さんが言い添える。
「嘘なんかついちゃダメよ。お互いに困るんだから。じゃあ、次のテストね。さっきの電信柱の右隣の電信柱には、いったい何が見える?」
僕は視線を隣の電信柱に移した。てっぺんを見ると、一羽のカラスがとまっている。どう見ても普通のカラスだ。
これが答えだとも思えないが、一応答える。
「カラスが見えます」
「……どんな?」
「どんなって、普通の……」
そう言いかけた時、おかしなことに気づいた。カラスの足の部分に違和感がある。目を凝らすと、なんと足が三本もあった。驚いて言う。
「足が三本あります」
「………」
篠崎さんがじっと僕の目を見つめた。
緊張してゴクリと生唾を飲む。なんだこの間は。いったい何を考えてるんだ。
しばらく見つめ合う、いや、ほぼ一方的に睨みつけられた後、篠崎さんが口を開いた。
「おめでとうございまーす。合格でーす」
今までの緊張感はどこへやら、打って変わって明るい声でそう言うと、大きな手で拍手をした。
菅原君も嬉しそうに言う。
「よかったね菊池君。合格だって」
「よ、よかったのかなぁ」
その時、店員さんがパフェを持ってきた。
「お待たせしました。チョコレートパフェ四つです」
「はい、ありがとう。ちょうどいいタイミングね。お祝いにはぴったりだわ」
「なんのお祝いなんだよ」と神崎君がツッコむ。
篠崎さんは構わず言った。
「菊池くんには本当に霊感があるみたいね。ごめんなさいね、試すような真似して。本物にはめったにお目にかかれないから、こうでもしないと確信が持てないのよ」
菅原君が目を輝かせて言う。
「すごいな。本物の霊能力者同士の邂逅だ」
「邂逅って、ちょっと使い方間違ってるわよ」
菅原君が早口で質問攻めする。
「あの、足が三本って、日本神話に出てくる八咫烏ですよね? 篠崎さんは八咫烏を従えてるんですか!」
「まあ、モデルはそうね。当然、本物の八咫烏じゃないわよ。あたしのは八咫烏に寄せた式神。普通の人間には依代の札しか見えないわ」
「なるほど。で、一本目の電信柱には何がいるんですか? 菊池君には見えなかったみたいですが」
「ちょっと」僕は慌てて菅原君を止めた。「余計なこと訊かなくていいよ!」
「何が余計なことなの? 気になるじゃん」
「気にならないよ! 見えない物は見えないままでいいの! 怖いから!」
すると、篠崎さんが豪快に笑って言った。
「あっはっはっは、あなた霊感あるくせにずいぶん臆病なのねぇ。心配しなくても怖くないわよ。あそこにいるのもあたしの式神。カエルの式神でね、柱と同じ色に擬態してるの。だから霊感がある人間の目も欺けるってわけ。ただし、普通の人間には関係無いから、剥き出しの式札が見えるはずだわ」
それを聞き、菅原君と神崎君が電信柱を見た。
「あっ、ほんとだ。紙が張り付いてる」と菅原君。
「ゴミじゃなかったのか」と神崎君。
「ゴミじゃないわよ。失礼ね」と篠崎さんは神崎君に言ってから僕を見て、「面白いと思わない? 菊池くんには式神が見えるけど、式札を見ることはできない。で、他の二人はその逆で、式神は見えないけど式札は見える。それでもって、あたしは式神も式札も両方見える。菊池くんの方があたしよりも霊感が強いんでしょうけど、あたしの方が見える物が多いのよ。不思議よねぇ」
僕は電信柱に目を凝らしながら言った。
「そうですね。僕には式札が全然見えません。どんなお札なんですか?」
「白い紙に文字が書かれてるだけよ。式神ごとに形も文字も変えてるけど。ささっ、そんなことより、早くパフェ食べちゃいなさい。アイスが溶けちゃうでしょ」
「は、はい」
僕はチョコアイスをスプーンで掬った。緊張していて味に集中できない。
ふと前を見ると、篠崎さんがアイスを丸ごとスプーンに乗せ、一口で食べてしまった。あっという間に飲み込んで言う。
「うーん、美味しいけど、やっぱり小さいわね、普通サイズは」
そう言いながら、生クリームも丸ごと掬い取って食べる。
「あたし生クリーム大好き。この喉にクックッて詰まる感じが堪らないのよねぇ」
篠崎さんのパフェはもう上部が全部無くなってしまった。あとはかさ増しのコーンフレークだけだ。
「ほら、あんた達、手が止まってるわよ。早く食べないとまた新しいパフェ注文しないといけないじゃない」
「いけなくねーよ」と神崎君。「どんだけ食うんだ」
「あんたも社会人になったら分かるわよ。食事が唯一にして最大の娯楽になるんだから。それともパフェ嫌いなの?」
「いや、別に」
「じゃあ遠慮せず食べなさい」
「……」
神崎君もパフェを食べ始めた。
正直、神崎君が可愛いスイーツを食べている様は似合わない。いや、でもイケメンだからこれはこれでカッコいいか。卑怯だなイケメンは。
篠崎さんが言う。
「じゃ、菅ちゃんお待ちかねの仕事の話をしましょうかね。食べながら聞いてちょうだい」
「はい、お願いします」と、菅原君が目を輝かせる。




