悪夢の終焉〈ベタな呪いの人形編・完〉
「正幻ってのは作者の名前か?」と、神崎君が尋ねる。
「そうだよ。鎌倉時代の仏師で、非業の死を遂げた天才彫刻家だ。まさかその遺作をこの目で拝めるとは……」
「そいつはなんでこんなもんを作ったんだ?」
「……正幻は、無実の罪で処刑されたんだよ。その恨みを込めて、死の直前にこの木像を彫ったと言われている。呪いの正体は、正幻の怨念だったというわけだね」
「なんで処刑されちゃったの?」と僕。
「……当時、正幻は有名な仏師だった。それは正幻の仏師としての腕が天才的だったからってのもあるけど、理由はそれだけじゃない。正幻の手はね、奇形だったんだよ。この木像みたいに、両手に親指が二本ずつあったんだ。人々はそれを神の手と呼んで崇め、正幻の才能と結び付けた。ま、奇形が本当に仏像作りと関係していたとは思えないけど、とにかく当時の人々はそう評価していたんだ。で、その評判を聞きつけたある武士が、正幻に仏像を作ってほしいと依頼した。正幻はそれを引き受け、仏像を彫って武士に渡した。でも、これが災いの引き金になった。仏像を手に入れたその日に、突然武士の娘が病に倒れて、そのまま急死したんだ。武士は怒った。これは正幻の呪いに違いないってね」
「え、そうなの?」
「違うよ。ただの偶然だ。でも武士はそう思わなかった。しかも、こんなことまで言った。正幻は魔物である。だから手の形が常人とは違うのだと」
「そんな、ひどい」
「まったくだよ。奇形を理由に神格化しておいて、都合が悪くなれば魔物扱い。つくづく馬鹿げた話だ。しかも、その武士っていうのは有力な御家人だったから、家来達に正幻を捕らえるよう命令を下したんだ。正幻は寺にかくまわれたんだけど、結局は居場所がばれて、武士の屋敷に連れ去られ後、斬首された。その後、正幻をかくまっていた部屋で見つかったのが、この木像だよ。木像には遺書が添えられていて、こう書かれていた。私は誰も呪ってなどいなかったが、このような仕打ちを受けるのであれば、喜んでこの世を呪おう。私の分身であるこの木像がある限り、この国の人間は未来永劫、醒めない悪夢に苦しみ続けるだろう、と」
「……怖いけど、可哀想だね。たしかにそんな理不尽な理由で殺されたら、誰だって世の中を恨むよ」
「そうだね。もし正幻が天寿を全うしていれば、数多くの傑作を後世に遺したと思うよ。でも、彼の作品はこの遺作を除いて、一点も現存していない。正幻の死後、彼の作品は不吉だという理由で、みんな燃やされてしまったんだ。だから、正幻の存在を確認できるのは古文書の中だけで、実在した人物なのか疑問視されていた。でも、この遺作が見つかったことで、正幻は架空の人物ではなく、実在することが証明されたんだよ。素晴らしいね」
菅原君は興奮気味にまくし立てた。
それとは対照的に、神崎君が興味無さげに言う。
「でもよぉ、どのみち呪いの人形なんだろ? いや、正確には呪いの木像か。残しといてもやっかいだから、さっさと燃やしちまった方がいいだろ」
菅原君が神崎君を怒鳴りつけた。
「馬鹿なことを言うな! これがどれだけ価値のある物なのか分からないのか? 鎌倉時代の木像だぞ。歴史的、芸術的価値は計り知れない。間違いなく国宝級のお宝だ。それを燃やすだなんて、考えただけでも恐ろしい!」
「……ん、おい、それまずいんじゃねーのか?」
「え、何が?」
その時、木像からパチパチという音が聞こえてきた。見ると、木像に火がついていた。
「ぎゃああああああああ」菅原君が絶叫する。「水水水水水」
菅原君は急いで湯飲みに入っていたお茶を木像にぶっかけた。しかし、火は消えるどころか、さらに大きく燃え上がった。まるで油をかけたかのようだ。
「なんでだあああああああ」
菅原君は頭を掻きむしって絶叫した。珍しくパニックになっている。
「橘さん、消火器はどこですか?」
「えっと、台所にあるから案内するわ」
菅原君は橘さんと共に仏間を出て行った。
僕はどうしていいのか分からず、あたふたしながら言った。
「どうしようどうしよう。このままだったら火事になっちゃう」
神崎君が冷静に言う。
「怖がるな。火事になると思ったら本当にそうなるぞ。それに見ろ。燃えてるのは木像だけだ。畳には燃え移ってない。お前が想像しなければ、火事になることはねーよ」
「でも、想像するなって言われるほど想像しちゃうよ」
「じゃあ、他のことを考えろ」
「例えば?」
「なんでもいい。好きなアニメの歌とか」
「分かった。君が~いるから~僕は~昨日より」
その時、菅原君が部屋の中に駆け込んできた。
「歌なんか歌ってる場合か!」
「ヒィッ、ごめんなさい」
菅原君に怒鳴られて謝る。
菅原君は消火器を持ち、木像に近づいてノズルの先を向けた。その瞬間、あれだけ燃え上がっていた火が嘘のように消え、そこには灰だけが残っていた。
菅原君は膝から崩れ落ちて言った。
「ああ、間に合わなかった……。国宝が……鎌倉時代の木像が……正幻の足跡が……」
橘さんが遅れて仏間に駆け込んできた。手には水をくんだバケツを持っている。木像に駆け寄ったが、火が消えているのを見て言った。
「あら、消えたのね。良かったわ」
「全然良くないですよ。国宝が……こんな灰に熱ッ」
灰に触れた菅原君が手を引っ込める。
「いいや、これでよかったんだ」と神崎君。「恐怖を現実にするなんて恐ろしい呪いだ。もしかしたら人を殺す力だってあるかもしれない。いくら希少な物でも、残しておくべきじゃないんだ」
菅原君が立ち上がって言った。
「たしかにそうだね。だから、オレは木像が復活してしまうことが何よりも恐ろしいよ。ものすごく、とてつもなく恐ろしいね。いやほんとに」
そう言って木像の灰をちらちら見る。
神崎君がツッコんだ。
「『饅頭怖い』か! そんな嘘で復活するわけねーだろ」
「饅頭怖いって何?」と僕。
「落語だ。ある男が、自分は饅頭が怖くて堪らないと嘘をつく。それで怖がらせようしてくる仲間から饅頭をたくさん貰うって話だ」
「へぇー、面白い話だね」
「オチはどうなるか知ってる?」と橘さん。「最後、仲間は男が饅頭をむしゃむしゃ食べているところを見て、騙されていたことに気づくの。それで、『お前が本当に怖い物はなんだ』って問い詰めたら、『この辺で一杯のお茶が怖い』って答えて、お終い」
「はははっ、傑作ですね」
「さて、みんな今日はありがとう。呪いの人形が無くなったおかげで、もう怖い思いをしなくても済むわ。お礼にお茶菓子を食べていってね。しかも、用意してたのが饅頭って、なんだか運命を感じちゃうわね。もうお茶冷めちゃってるだろうから、熱いのに変えてくるわ」
橘さんは湯飲みを三つお盆に乗せ、仏間を出て行った。
神崎君が座布団に腰を降ろし、饅頭を食べて言う。
「これすげー美味いぞ。高いやつだな」
僕も食べて言った。
「ほんとだ。おいしー」
菅原君が呆れ顔で訊く。
「……二人とも、どうしてそんなのんきでいられるんだ。国宝が失われたんだぞ!」
僕は言うまでないことだと思いながら答えた。
「だって、誰も死ななかったでしょう?」
菅原君ははっとした顔つきになった。それから少し笑い、饅頭を手に取って言った。
「そうだね。リーダーには敵わないよ。これで良かったって思わないと罰が当たるね」
「そうそう。あと、今日一番活躍したのは菅原君なんだから、胸を張らないと」
「まさか。オレのせいで国宝が焼失したんだ」
「だからこそだよ。もし菅原君以外の人だったら、あの木像は燃やせないでしょ。絶対に『もし燃えなかったら、どうしよう』って怖がるからね。だから木像は燃やせないし、かと言って捨てることもできない。燃やすことができるのは、菅原君みたいに『燃えてほしくない』って心から思える人だけなんだよ」
「そりゃ言えてるな」と神崎君。「菅原にとって一番怖いのは、怖い物がこの世から消えることだからな。そんな変人はこいつくらいだ」
「それ褒めてるの?」と笑って、菅原君が饅頭を口に入れた。「あっ、ほんとだ。すごく美味しい」
「それ美味しいでしょう?」と、仏間に入ってきた橘さんが言う。「私も大好きなのよ。さ、お茶も飲んでってね。いいお茶だから。玉露よ」
前に置かれた湯飲みを覗き込み、僕が言った。
「これが玉露。僕飲んだことないよ」
「玉露ってなんだ?」と神崎君。
僕達二人を余所に、菅原君がかしこまった態度で尋ねた。
「橘さん。あの木像の灰、オレが貰ってもいいですか?」
「え、ええ、別にいいけど。あんなゴミ持ち帰ってどうするの?」
「オカルトマニアのオレにとってはゴミじゃありません。コレクションにします」
「ああ、そう。ほんとに変わった人ね。じゃあ全部持ってって。容器もあげるわ。そうねぇ……ジャムの空き瓶でもいいかしら」
「ありがとうございます。助かります」
橘さんが仏間を出て行く。
僕はお茶を飲んで言った。
「この芳醇な香り、これが玉露か」
「普通の緑茶と一緒じゃね?」と神崎君。
菅原君がイタズラっぽい笑みを浮かべて言う。
「神崎の貧乏舌には分からないよ」
「うるせー、家デカいからって威張ってんじゃねーぞ」
「はいはい」
「あっ、そんなことよりさ」と僕。「本当にあの灰を持ち帰ってもいいの? まだ呪いの力が残ってるかもよ?」
菅原君が腕を組んで言う。
「うーん……。さすがにそれはないと思うけど、可能性はゼロじゃないね。試してみよう」
「どうやって?」
「さっきと同じことをすればいい。……ある少女が、メリーと名前を付けた人形を引っ越しに際して捨てた」
「ちょっと、その怪談は怖いからやめてって言ってるでしょ!」
「その夜、少女に電話がかかってきた。出ると、『あたしメリー、今ゴミ捨て場にいるの』」
「ひぃぃぃ、やめてぇ」
僕は耳を塞いで懇願した。
その時、僕のスマホが鳴った。
「ヒィッ……嘘、まだ呪いが残ってるの?」
菅原君が眉をひそめて言う。
「……誰から?」
スマホを見ると、知らない番号だった。
「知らない番号だ……菅原君、代わりに出て」
そう言ってスマホを渡す。菅原君が受け取って、電話に出た。
「もしもし……」
菅原君はしばらく話を聞いた後、相手と会話を始めた。
「へぇー、そうなんだ。うんうん…………ほんとに? 分かったよ、うん。はい……はいはい、了解。はい、お疲れ様、はいー」
菅原君が電話を切る。
「だ、誰だったの?」と僕。
「ああ、ただの間違い電話だった」
「嘘でしょ!? じゃあなんであんなバイト先みたいな会話だったの?」
「まあ、とにかく、これで呪いの効力は切れていることが証明されたね。持ち帰っても問題無しだ。回収しよう」
その時、ちょうど橘さんが戻ってきた。手にはチリトリと箒、それから灰を入れるための空き瓶を持っている。
「ありがとうございます。あとはオレがやります」
菅原君はそれらを受け取り、灰を集めた。それを空き瓶の中に入れる。蓋を閉め、うっとりとした顔で瓶を見つめた。
「うん、いい手土産だな」
「甲子園の砂かよ」と、神崎君が呆れ顔で言う。
菅原君が皆の方に向き直って言った。
「じゃあ、もうお暇しようか」
「そうだね」
「ああ」
三人は立ち上がった。
神崎君が橘さんに頭を下げる。
「今日はありがとうございました」
「いいえー、こちらこそありがとうね。人形を処分してもらって」
「また何かあれば、オレ達に連絡してください」と菅原君。「オカルト関連の問題しか解決できませんが」
「そうね。何かあればまた君達にお願いするわ」
「お饅頭、ご馳走様でした。すごく美味しかったです」と僕。
「いつでもご馳走するわよ。それにしても、あなたちょっと可哀想ね。霊感があるのに、誰よりも怖がりだなんて」
「はははっ、そうなんですよ」
僕は照れながら笑った。まったく、橘さんの言う通りだ。
その後、僕達は橘さんの家を辞した。
三人でバス停への道を歩く。
晴れ渡った昼の空を見ながら僕は思った。いつもこんな爽やかな終わり方をするなら、楔会の活動も悪くないな、と。
〈ベタな呪いの人形編・完〉




