お菊さんの電話
「ど、どこにいっちゃったの?」と、震えながら言う。
その時、ポケットのスマホが鳴った。
「ヒィッ……なんだよこんな時に」
僕はスマホを見た。知らない番号からの着信だ。背筋が冷たくなる。
「誰から?」と菅原君。
「し、知らない人から。まさか、あの人形からじゃないよね」
「分からない。試しに出てみてよ」
「怖いから嫌!」
「じゃあオレが出るよ」
菅原君はスマホを受け取り、応答ボタンをタップした。スマホを耳にあてがう。そのまま何も言わず、相手の声に耳を傾けている。しばらくすると、スマホを耳から離した。
僕が恐る恐る尋ねる。
「……誰からだった?」
「人形からだった」
「うぅ、やっぱり。なんて言ってたの?」
「……あたし、お菊。今、駅にいるのって」
「え、それって……」
「うん、メリーさんの怪談にそっくりだ」
その時、また僕のスマホが鳴った。同じ番号からだった。菅原君が電話に出る。通話が終わると、菅原君が言った。
「あたし、お菊。今、バス停にいるのって」
僕はムンクの叫びのように両手で頬を押さえて言った。
「ああ、どんどん近づいてきてる。どうしよう」
神崎君が呆れた様子で言う。
「近づいてきてるって、元々近くにいただろ」
またスマホが鳴る。菅原君が電話に出て、内容を伝えた。
「あたし、お菊。今、家の前にいるの」
「ああ、もうダメだ。逃げられない」
スマホが鳴る。菅原君が電話に出て、こう言った。
「あたし、お菊。今、菊池智也のうしろにいるの……」
「え?」
僕はゆっくりと後ろを見た。そこには、ケースの中にあった日本人形が立っていた。
「ぎゃあああああ助けてええええええええ」
僕は絶叫し、神崎君の後ろに隠れた。
神崎君が大笑いして言う。
「ぎゃははははは。こいつほんとにベタだな。メリーさんの怪談そのままだ。おもしれー」
神崎君は人形を掴むと、僕に近づけてきた。
「ほれほれほれほれ」
「やめてよ神崎君やめて」
狭い仏間の中で僕と神崎君が子供のように追いかけっこをする。
橘さんが咎めた。
「ちょっとやめなさい蓮ちゃん。可哀想でしょう」
「はい、すみません」
神崎君はすぐに謝り、人形を床に置いた。
僕僕は部屋の隅に移動し、最大限人形から距離を取った。ふと菅原君を見ると、腕を組んで何やら考え込んでいる。
「どうしたの? 菅原君」
「おかしい。いや、おかしすぎる」
「何が?」
「何がって、メリーさんは外国製の人形だ。日本人形じゃない。これじゃあベタを通り越して、もはやパロディだよ。しかも自分のことを電話でお菊と言ってたけど、この人形は似ているだけでお菊人形じゃない。いったいどういうことだ?」
菅原君は目をつむり、悩ましそうに眉間に皺を寄せた後、橘さんに尋ねた。
「橘さん、人形から電話がかかってくることはよくあるんですか?」
「いいえ、ないわ。これが初めてよ。両親や祖父母からも聞いたことがないし」
「そうですか。じゃあ、何が引き金になったんだ……」
菅原君は悩ましそうに思案を続けた。そして、突然カッと目を見開くと、こう言った。
「分かった。こいつは人の恐怖心に反応するんだ」
「どういうことだ?」と神崎君。
「この人形には、人が恐れていることを現実にする呪いがかけられてるんだよ。さっきメリーさんの怪談を話そうとしただろ? そしたら菊池君が怖がった。だから菊池君のスマホに電話がかかってきて、メリーさんの怪談が再現されたんだよ。人形がお菊と名乗るのもそう。さっきお菊人形の話をして、菊池君が怖がったことが原因だ。二つの怪談が混ざった形で再現されたんだよ」
僕は部屋の端から神崎君の後ろに移動して言った。
「そ、そんな恐ろしい呪いが……」
菅原君がニヤリと笑って言う。
「ようやく面白くなってきたね。これで引き起こされる怪奇現象がなぜベタなのかも説明できる。それはこの人形が、所有者の恐怖を現実にしているからだ。呪いの人形と聞けば、誰もが有名な怪談を思い浮かべ、恐怖する。その恐怖心に反応して、人形はその怪談を再現してたんだ。さっきのメリーさんの再現と同じようにね」
僕がおどおどと訊く。
「それで、僕達はこの人形をどうすればいいのかな?」
菅原君がニッと笑って僕を見た。
「人形? 本当にそうかな? こいつは人の恐怖を現実にする。ということは、本来のこいつはベタな日本人形なんかじゃなく、もっと違う姿である可能性がある。本当はどんな姿をしているのか。気にならないかい? 菊池君」
「気にならないよ。怖いもん」
「そうだ、怖がれ。怖がれば怖がるほど、人形はその恐怖心に反応して、真の姿を現すだろう」
「嫌だよ。真の姿なんて見たくない」
「もっとだ。もっと怖がれ」
「やだやだやだやだやだ」
僕は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
その時、床に置かれていた人形がぐにゃりと動いた。胴体や腕がねじれ、色と形が変わっていく。
僕は人形を食い入るように見つめた。怖くて目を背けたいが、警戒心が勝って目が離せない。
人形の不気味な動きが止まり、ついに真の姿が現れる。
それは、一本の腕だった。前腕しかなく、肘の部分が水平に切れて地面についている。天に向かって伸びる腕は、まるで何かを掴み取ろうとしているように見えた。
最初は本物の腕かと思ったが、目を凝らすと木目があり、木像であることが分かった。あまりにも精巧で、着色されていないのに本物の腕に見える。うっすらと浮き出た骨や、関節に刻まれた皺が見事だった。
その技工に、怖ろしさも忘れて感動していると、奇妙なことに気づいた。親指が二本あるのだ。手の両端に親指があり、中指を中心に左右対称になっている。そのため、右手なのか左手なのか判別できなかった。
真の姿は恐ろしいというよりも芸術的で、美しさすら感じられる。あくまでも見た目は、だが。
いったいこれはなんなのだろうか。そう思い僕僕は菅原君の顔を見た。菅原君は目を見開き、口をぽっかりと開けている。かなり驚愕しているようだ。あの菅原君ですら、それほど恐れる物なのだろうか。
僕は恐る恐る尋ねた。
「菅原君、これはいったいなんなの?」
菅原君はゆっくりと顔をこちらに向け、こう言った。
「これは……正幻の遺作だよ……」




