依頼者の家へ
会合の後、依頼者の許可が出たので、予定通りの日にちに人形を見に行くこととなった。
日曜日の朝、僕は待ち合わせ場所である駅に向かった。
そこで二人と落ち合い、電車に乗って隣の県まで行く。電車を降りた後はバスに乗り継ぎ、10分ほどで降りた。依頼者の家はそのバス停の近くにある。
3分ほど歩き、目的地に到着。依頼者の家は町中にある普通の民家だった。強いて特色を挙げるとすれば、少し古そうな日本家屋という所くらいだ。
神崎君がチャイムを押すと、四十代くらいの女性が出てきた。依頼者の橘香奈恵さんだ。続柄は神崎君の母親の従妹で、神崎君とはあまり面識がないらしい。
「あら、蓮ちゃん。おっきくなったわね。いらっしゃい」と橘さん。
「どうも。お邪魔します」と、神崎君が照れくさそうに言う。
さっそく菅原君がいじった。
「蓮ちゃんの友人の菅原です。今日はお世話になります」
「僕は菊池といいます。よろしくお願いします」
神崎君が怒って言う。
「おい、二度と蓮ちゃんって言うなよ」
「あら、嫌だった?」と橘さん。「ごめんなさいね」
「いえ、橘さんはいいんです。俺はこの白髪に言ったんですよ」
「ふふふ、仲がいいみたいね。こんな所で立ち話もなんだから、中に上がってちょうだい。人形を見せるから」
三人は家の中に入り、橘さんの後ろについて廊下を歩いた。
奥にある部屋の前で橘さんが立ち止まる。
「この部屋にあるんだけどね……」
そう言って襖を開けると、そこは仏間だった。入り口から向かって右側に立派な仏壇が置かれ、壁には先祖の遺影が飾られている。仏壇の隣は床の間となっており、そこに水墨画の掛け軸が掛けられていた。そして、その下には陶芸品の絵皿があるのだが、隅の方に透明なケースに入った日本人形も置かれていた。
「これなの。呪いの人形……」
橘さんが暗い声で言う。
菅原君がケースの前にしゃがみ、人形をしげしげと観察した。その後ろから僕も人形を覗く。
見た目は一般的な日本人形で、おかっぱ頭に赤い着物を身につけている。背丈は30センチほどだ。
橘さんが部屋の電気をつけて言った。
「今お茶菓子を持ってくるから」
「いえ、お構いなく」と神崎君。
「ああ、あと、押入れに座布団があるから、それに座って待ってて」
「ありがとうございます」
橘さんは仏間を出て行った。
押入れから座布団を出し、三人で部屋の中心に座る。隣に橘さんの座布団も出しておいた。
僕が二人に言う。
「怖いね。いかにも呪いの人形って感じがして」
菅原君がぼそりと呟いた。
「ベタすぎる……」
「え?」
「日本人形はホラーの定番だ。もっと変わった人形を期待してたんだけどね」
「あれでも充分怖いよ」
「それは菊池君がホラー作品を見慣れてないからだよ。オレには物足りない」
二人で話していると、橘さんがお盆を持って戻ってきた。三人の前にお茶が一杯ずつと、お饅頭が入った木の器が置かれる。
三人でお礼を言った後、菅原君が尋ねた。
「あの人形にはどんな呪いがかけられてるんですか?」
橘さんが隣の座布団に座って答える。
「えっと、呪いという言い方が正しいのかは分からないけど、とにかく気味の悪いことがたくさん起こるのよ。例えば、誰もいないはずのこの部屋から、泣き声や笑い声が聞こえてきたりとか」
「うぅ、怖いですね」と僕。
「ベタですね」と、菅原君が少し不機嫌そうに言う。
「あと、髪の毛が伸びたりとか」
「ヒィッ、怖い」
「それもベタですね」
「気味が悪くて、何度も外に捨ててるんだけど、翌日には必ず家の中に戻ってるのよ」
「ひやああ、怖すぎるぅ!」
「ベタすぎる!」菅原君は急に立ち上がると、人形の前に詰め寄って怒鳴った。「お前ホラー舐めてんだろ! いい加減にしろ! やる気あんのか!」
「え、ちょっと、どうしたの、この子」
「すいません。気にしないでください」戸惑う橘さんに謝り、神崎君が菅原君を羽交い締めにした。「落ち着け菅原。橘さんが引いてんだろ」
「いいや、こういう奴にはがつんと言ってやった方がいい。人間様を舐めてんだ」
「訳分かんないこと言ってんじゃねーよ」
「だいたいお前もだ神崎! イケメンキャラで名前が蓮ってベタすぎるだろ!」
「お、俺は関係ねーだろ」
神崎君に引きずられ、菅原君は無理やり座布団に座らされた。
菅原君が橘さんに頭を下げて言う。
「ふぅ、取り乱してしまってすいません。あんまりこっちを馬鹿にしやがるもんですから、つい怒ってしまいました」
橘さんは困惑気味に答えた。
「そ、そうなの? あなた変わった人ね」
「ところで、あの人形はいつどこで手に入れたんですか?」
「それが分からないのよ。この家に代々伝わってる物で、私の祖父が子供の頃にはもうあったらしいの。昔から呪いの人形だって言われてたんだけど、捨てても戻ってくるし、かといって燃やしたら祟りがありそうで怖いでしょう? だからずーっとうちに置いてあるの。それに、気味の悪いことはたくさん起こるけど、別に誰かが怪我をしたり、まして死んだりすることないから、無理して処分しようとも思わなくって」
「そうですか……。菊池君、この人形に幽霊は取り憑いてる?」
「ううん、何も見えないよ」
「ふむ……」
菅原君は手を口元に当て、何かを考え込んだ。
橘さんが僕に尋ねる。
「あなた、霊感があるの?」
「は、はい。一応」
「すごいわねぇ。でも本当に?」
「本当ですよ」と神崎君が代わりに答える。
その時、黙って考え込んでいた菅原君が口を開いた。
「さっき、この人形がベタだって言ってけど、元ネタの怪談を知ってる? お菊人形って言うんだけど」
「ううん、知らない」と僕。
「俺も知らねーけど、なんとなく名前は聞いたことがあるな」と神崎君。
「有名な怪談だからね。昔、菊子という少女がいて、親から買ってもらった日本人形を大切にしてたんだ。その子は病気で亡くなってしまうんだけど、少女の死後、遺された人形の髪が伸びるようになった。親は菊子の霊が取り憑いたと思って、供養のために人形を寺に預けた。で、その人形は死んだ少女の名にちなんで、お菊人形と呼ばれるようになった。とまあ、これが元ネタの怪談だ。ここから派生して、日本人形にまつわる様々な怪談ができていった。ま、人形にまつわる怪談は他にもいっぱいあるから、お菊人形の話がすべての源流ってわけじゃないと思うけどね」
「メリーさんの電話とか有名だよな。俺でも知ってる」と神崎君。
僕が慌てて言う。
「やめてよ。僕その話大嫌いなんだ。お菊人形の話だけでも怖いのに」
菅原君が神妙な顔で語り出す。
「ある少女が、メリーと名前を付けた人形を」
「だからやめてって言ってるでしょ! 思い出したくないんだって」
「ごめんごめん。にしても、この人形がお菊人形と違って、幽霊が取り憑いてないとすれば、どうして髪が伸びたりするんだろうね」
「菅原君にも分からないの?」
「うん。仮に誰かがこの人形に呪いをかけたと考えても、術者の目的が分からない。人形の髪が伸びたり、ひとりでに泣いたり笑ったりしたところで、所有者が少し怖がるだけだ。本物の呪いなら、もっと所有者に明確な災いが降りかかるはずだよ」
「原因が分からないなら、お手上げだね」
「まだそうと決まったわけじゃないよ。解体して中身を調べてみないと」
「えっ! そんなことしたら祟りが」
「祟りが起きるなら最初から起きてるはずだよ。この人形にそんな力は無い。ま、壊れて元に戻せなくなるかもしれないけど、それでもいいでよね? 橘さん」
「え、ええ。構わないけど、大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。仮に何かあっても、橘さんのせいにはしませんから。すべてオレ達の責任でやります」
「そお? ならいいけど……」
「では、さっそく」
菅原君が立ち上がり、人形の前に向かった。そして、驚いた様子で言った。
「無い!」
僕も立ち上がって床の間を見た。そこには透明なケースだけがあり、中に入っていたはずの人形が消えていた。