帰還
呆然と立ち尽くしていると、顔に懐中電灯の光を当てられた。当てたのは菅原君だった。
「無事に戻って来れたね」
菅原君がイタズラっぽい笑みを浮かべて言う。
僕は目に涙を浮かべて答えた。
「うん、よかった。ほんとによかった」
「犯人は死んじまったけどな」と、神崎君が少し暗い声で言う。
「仕方ないよ」と菅原君。「ソイノメ様の怒りを買ったんだ。五人も殺したんだし、当然の報いだよ。まあ、オレ達のせいで一人犠牲者が増えちゃったんだけどね……」
「でも、その分一人救ったでしょ?」と、薰ちゃんの声がした。
僕が振り向くと、そこには首だけになった薰ちゃんが宙に浮いていた。
「うわぁぁあ」と、驚いて叫ぶ。
「どうしたの菊池君?」
「首だけになった薰ちゃんが、宙に浮いてる……」
薰ちゃんが僕の周りを旋回しながら言う。
「すごいでしょう。浮遊スキルを獲得したのよ」
「どうして空を飛べるようになったんですか?」
「さあ。身体が無くなって軽くなったからじゃない?」
「そんなテキトーな……」
薰ちゃんと話していると、後ろから声をかけられた
「あの……」
見ると、そこにはミサさんが立っていた。やはり身体は腐ったままだ。
菅原君が感心して言う。
「おお、異界を出てもそのままとは。これはソイノメ様の力を侮ってたね」
ミサさんが菅原君を見て尋ねた。
「あなた、さっき五人も殺したって言いましたよね。それって夫が殺したってことですか?」
「ええ、あなたの旦那さんは、あなたを生き返らせるために、ソイノメ様を呼び出しました。そしてそのために、五人の人間を殺して、ソイノメ様に供物として捧げたんです。オレ達はそれを止めようとしてたんですけど、失敗しました」
「そんな……。なんて馬鹿なことを。私なんかのために」
ミサさんの頬に血の涙が流れる。
その時、ミサさんと菅原君の間に、薰ちゃんが飛んで入った。
「暗い暗い暗ーい。せっかく助かったんだから、もっと喜びましょうよ。それに、私はミサちゃんの夫に殺されたけど、今はこうやってピンピンしてるんだから」
僕は思わずツッコんだ。
「いやピンピンはしてないでしょ」
「細かいことはいいの。とにかく、同じ死人同士、仲良くしましょう?」
「本当にごめんなさい。私達のせいで、あなたみたいな若い子が……」
「ああ、もう。どうしてミサちゃんが謝るのよ。だいたい若い子って、ミサちゃんだってそんなに年取ってないでしょ? いくつなの?」
「……歳はちょっと言いたくないかな」
「なんでよ! 身体腐ってんのに今更年齢なんてどうでもいいでしょ!」
「ぷっ」
二人の会話を聞き、僕はおかしくて噴き出した。
菅原君も少し笑って言う。
「ふふっ、いいよなあ菊池君は。薰ちゃんの声が聞けて。どんなこと話してんだろ」
「そうか?」と神崎君。「俺はあいつが肩から降りてくれればそれでいいけどな。で、これからどうすんだ? まだ薰ちゃんは成仏してないんだろ?」
「あっ、今私のこと薰ちゃんって呼んだ? 嬉しい!」
薰ちゃんが神崎君の肩にちょこんと乗っかる。
その途端、神崎君が肩を押さえて言った。
「お、おい、また肩が重くなったぞ」
僕が薰ちゃんの気持ちを伝える。
「薰ちゃんって呼んでもらえて嬉しいんだって」
「だからってなんでまた取り憑くんだよ! 俺から離れろ村井コノヤロー!」
薰ちゃんが悪びれた様子もなく尋ねる。
「えー、軽くなってないの?」
「軽くなってないの? だって」
「全然なってねーよ! てか幽霊なんだから体重関係ねーだろ!」
三人で騒いでいると、菅原君が改まった態度で言った。
「……薰ちゃん。もう犯人は死んだけど、まだ成仏できないのかな?」
「うーん、それがね、たしかにあいつが死んでスッキリしたんだけど、まだ心残りがあるのよ。このままだとミサちゃんが一人ぼっちになっちゃうでしょう? だからミサちゃんが成仏するまで、私も成仏しないでおこうと思うの」
いや、まだ他に心残りがあるはずだ。気になって尋ねる。
「家族には伝えなくてもいいんですか? 薰ちゃんが死んだってこと」
「あー、いいのいいの。どうせ知らせても悲しむだけだし。これ以上、贅沢は言わないわ」
薰ちゃんはどこか悲しそうに微笑んで答えた。その言葉がどこまで本心なのかは分からないが、とにかく二人に伝言する。
「ミサさんが成仏するまで、薰ちゃんも成仏したくないって言ってる。それから、家族には自分の死を伝えなくてもいいって」
「……そっか」菅原君はそう呟くと、ミサさんを見て尋ねた。「ミサさんはどうですか? 成仏できそうですか?」
「それが、この肉体を離れることができないんです。私は元々この世に未練なんて無いんですけど……」
「ふむ、おそらくソイノメ様の力で、魂が無理やり肉体に結び付けられているんでしょう。肉体が腐敗しきって、魂が解放されるのを待つしかないでしょうね」
薰ちゃんがミサさんの隣に飛んで言った。
「じゃあ、それまで私はミサちゃんと一緒にいるわ。今日で皆とはお別れね」
「本当にいいんですか?」とミサさん。「私に合わせてくれなくったっていいんですよ。この人達と一緒にいた方が……」
「いいのいいの。幽霊が側にいたって迷惑なだけなんだから。あと年上なんだから敬語はやめて」
僕は薰ちゃんの言葉を聞いて悲しくなった。一緒にいても迷惑なんかじゃない。薰ちゃんに限っては。だが、生者と死者では住む場所が違うのも事実だ。
僕は皆に薰ちゃんの言葉を伝えた。この伝達作業もこれで最後になるだろう。そう思うと少し寂しかった。
「薰ちゃんがもうお別れだって言ってる」
菅原君が微笑んで言う。
「そうだね。バイバイ薰ちゃん。今までありがとう。薰ちゃんのおかげでいい物が見れたよ。何か困ったら、またオレ達の所に来てね」
「今度は俺に取り憑くんじゃなくて、菊池に取り憑けよ。なあ菊池」
神崎君がそう言って僕の背中を叩く。
「うん、僕の所に来ればいいよ」
「おっ、珍しい。怖がらないんだな」
「さすがに薰ちゃんはもう怖くないよ。でも、また驚かせるのはやめてくださいね」
「あはは」と、薰ちゃんは笑って、「分かった。もう怖がらせないから。絶対に、絶対に怖がらせない」
「そんな言い方したら逆に怪しいですよ。ほんとに止めてくださいよね」
「冗談よ。安心しなさい」
「……あの時、一緒にいてくれてありがとうございました」
「どういたしまして。というか、お礼を言わなきゃいけないのは私の方だけどね。皆、幽霊なんかの悩みに付き合ってくれてありがとう。元気でね」
「薰ちゃんが皆にお礼を言ってます。幽霊の悩みに付き合ってくれてありがとう。元気でねって」
「おう、じゃあな」と、神崎君。
「じゃあね」と、菅原君が手を振って歩き出す。
僕も手を振って言った。
「無事に成仏してくださいね。悪霊になんかなっちゃダメですよ」
「まかせんしゃーい」と薰ちゃん。
その隣で、ミサさんは何も言わず、深々とこちらに頭を下げた。謝る必要なんてないのに。
こうして、僕達は森の外に出た。
こんな深夜に自宅に帰ると親に怒られてしまうので、これから菅原君の家へ向かう。
菅原君の両親は、仕事の関係で今日は家にいないらしい。だから遅く帰ってきても咎られる心配がない。
普段からも家にいることは少ないと聞いていたので、ふと何の仕事をしているのか気になり、駐輪場で菅原君に尋ねた。すると、菅原君は困ったようにこう答えた。
「それがオレも知らないんだ。二人とも訊いても教えてくれなくってさ。あんまりしつこく訊くと、マジギレするんだよ」
「えぇ……」
僕はどん引きした。息子に言えない仕事とは何だろうか。ある意味ヤクザよりも怖い。
「優しい人なんだけどな」と、神崎君がフォローを入れる。
だが、その程度で僕の恐怖は消えなかった。その優しさの裏に、いったい何を隠しているというのだろうか。
僕は大きな不安を抱えながら、自転車に乗って菅原君の家へと向かった。