死臭と共に
はっとして辺りを見渡すと、遠くの方に明かりが見えた。誰かがこちらに来る。
僕は急いで犯人のライトが当たらない位置に身を隠すと、犯人が来たことを伝えるため、集めた石を二つ手に取った。それをガチッ、ガチッと二回ぶつけて音を立てる。
すると、パキッ、パキッと枝を折った音が二回、菅原君の方から聞こえてきた。「分かった」という意味だろう。それに続き、神崎君の方からも枝を折る音が聞こえた。
僕は木の陰から少しだけ顔を出し、犯人の様子を伺った。すると、薰ちゃんから後ろ襟を掴まれ、引っ張り戻された。
「ちょっと、顔出したら見つかっちゃうでしょ!」
「ごめ、むぐっ」
謝ろうとしたが、薰ちゃんに口を押さえられる。もう喋るなということだろう。たしかに、この距離だと小声でも犯人に気づかれるかもしれない。
犯人の足音がすぐそこまで近づいてきた。ライトの明かりが祭壇附近を照らし出す。
犯人は祭壇の前で立ち止まった。もうライトで顔を照らされるような位置にいないので、そっと木から顔を出して様子を見る。
犯人はヘッドライトを身につけていた。顔は暗くてよく見えないが、服装から性別は男だと分かる。また、両手で誰かを抱きかかえていた。
犯人の方から死臭が漂ってくる。薰ちゃんの首を見つけた時と同じ臭いだ。ということは、犯人が抱えているのは死体だろう。
殺された犠牲者の死体だろうか。最初はそう思ったが、それにしてはおかしかった。抱きかかえられた人物には首がある。供物であれば首が切断されているはずだ。
また、犯人のライトに照らされ、着ている服が白い死装束であることが分かった。わざわざ犠牲者にそんな服は着せないだろう。ということは、犯人が生き返らせたい人物の死体だろうか。だとすれば、なぜ今夜持ってきたのか……。
考えていても答えは出ない。詳しいことは神崎君にやっつけてもらってから聞き出すしかないだろう。
犯人が抱えていた死体を地面に置いた。棺桶にかかっているブルーシートを引き剥がす。そして驚いたことに、腰に下げていた鞘から日本刀を抜き放った。刀がライトを反射してギラッと光る。
犯人が鞘から抜くまで、暗くて日本刀の存在に気づかなかった。ナイフくらいなら想定していたが、まさか日本刀を持ってくるとは。これではさすがの神崎君も迂闊に手を出せないだろう。
緊急事態だ。これからどう動けばいいんだろう。菅原君の指示も聞けないし……。今の僕にできることは、犯人の様子をじっと観察することだけだ。
犯人が刀を右手に持つ。そして、なんと自分の左手の甲を少し切った。傷口から一筋の血が流れる。そして、刀を鞘に収め、右手の指先で血を掬うと、足下の棺桶に印を付けた。
菅原君が言っていたことを思い出す。祭壇には捧げた供物の数だけ印を付けなくてはならない。
犯人はここに来るまでに供物を一つ捧げてきたのだろう。薰ちゃんと同じ犠牲者だ。そう思うと、ふつふつと怒りが湧いてきた。
だが、その怒りの感情は犯人の行動によって、瞬く間に恐怖に変わった。犯人が、三つ目の印を付けたのだ。
まさか二人分の供物を捧げたのだろうか。しかし、供物は一夜に一人ずつ捧げると菅原君は言っていたはずだが……。
混乱していると、犯人はまたも血の印を付けた。これで四人目だ。ということは、四人分の供物をすべて捧げたことを意味する。
その時、深夜の静寂に声が響いた。
「おい、おっさん。どうして印を三つも付けた」
神崎君が犯人の前に出てくる。犯人の顔が神崎君の懐中電灯で照らされた。見たところ、三十代くらいだ。
それにしても、神崎君の堂々とした態度には驚かされる。とても刀を持った人間を相手にしているとは思えない。
犯人は一瞬眩しそうに目を背けた後、神崎君に言った。
「君か? 私の儀式を邪魔しようというのは」
「あ? 邪魔されるのが分かってたみてーな口ぶりだな」
「分かってたさ。君だろう? 木の上にあった首を落としたのは」
「……どうしてそれを」
「私は儀式が問題なく進むよう、首と祭壇に異常が無いか定期的に確認していた。それで二日前気づいたんだ。首に砂が付着いていることにね。これは誰かが首を地面に落下させた後、ご丁寧にまた木の上にくくりつけたことを意味する」
「ふんっ、ご名答。お前の言う通りだ。ま、そっちも訊きたいことは山ほどあるだろうが、先にこっちの質問に答えてもらおうか。どうして祭壇に三つも印を付けた?」
「そこに疑問を持つということは、やはり君もソイノメ様のことを知っているね。だったら分かるはずだ。供物を三人分捧げたまでだよ。いや、正確には四人か」
「四人? どういうことだ」
「今日だけで四人分、供物を捧げたということだよ。君が一人目の首を地面に落としたせいだ。首はソイノメ様への目印。それを取り外し、しかも砂で汚したとなれば、ソイノメ様を怒らせる可能性がある。だから、代わりに新しい供物を用意したというわけだ」
「……じゃあ、お前、五人も殺したのか?」
「そうだ。君のせいだろう。君が目印を汚さなければ、四人だけで済んだんだ。それだけじゃない。今日だけですべての供物を捧げたのも、これ以上君に儀式の邪魔をされたくないからだ」
「それは変ですね」
そう言って、菅原君が犯人の前に出てきた。
犯人が平然と言う。
「なんだ、二人いたのか。いや、それとも他にも隠れているのかな」
図星を付かれ、僕は冷や汗が出た。
「ぎくぅ」と、薰ちゃんがわざとらしいリアクションを取る。
菅原君が犯人に言った。
「儀式は正確に行うべきです。あなたは言いました。ソイノメ様を怒らせたくないと。しかし、儀式の段取りを早めれば、それこそソイノメ様の怒りを買うのではありませんか? そうなれば、あなたは死ぬかもしれませんよ」
犯人は声に怒りを滲ませて答えた。
「どの口が! 元はと言えばお前らが邪魔するせいだろう。私だって儀式を早めるような真似はしたくないんだ。そもそも、人殺しだってやりたくてやってるわけじゃない。ただ、妻を生き返らせるには、この方法しかないんだ」
「どうせ失敗する儀式のために、なぜそこまでするんですか? 死人が生き返るわけないでしょう?」
「黙れ! 私は妻のためなら何だってする。お前らガキには分からないだろうがな」
「……」
菅原君は少し黙った後、投げやりな口調で答えた。
「では、好きにすればいいんじゃないですか? オレ達はもう邪魔しませんから」
神崎君が慌てた様子で言う。
「お、おい、いいのかよ」
「もう何もかも手遅れだよ。今更あの人を止めても、殺された五人は救えない……」
犯人が落ち着いた声で言う。
「それでいい。君達は黙ってそこで見ていろ」
犯人は地面に横たえていた死体を抱え、祭壇の上に置いた。神崎君と菅原君の懐中電灯が祭壇を照らし、死体の姿がはっきりと見える。白い死装束は所々が赤黒い体液に染まり、顔も赤黒く腐敗して、もうどんな顔立ちなのか分からなくなっていた。
犯人は刀を鞘から抜いて言った。
「あぁ、ついにこの時が来た。ソイノメ様よ、出でよ」
犯人が刀を地面に突き刺す。その瞬間、突き刺した部分から大量の血が噴き出した。その血が辺りを染めていく。地面も、空も、暗闇も、すべてが真っ赤に染まった。
気づけば森の木々は消え去り、ただただ赤い世界が、どこまでも広がっていた。