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真実のたね【ガラスの向こう】


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  ガラスの向こうにあるものは

  きっと 広い広いお庭

  ガラスの向こうにあるものは

  きっと 憧れという名の輝き


  ガラスのこっちにあるものは

  ずっと 大切にしていたい宝物──


୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧




「シェリー? やっぱり、ここにいたのね。」


 顔を上げると、お母様の優しい笑い顔が私の目の前にありました。


「シェリーは本当に窓が好きなのね。ねえ、何を見ているのか教えてくれるかしら。」


 そう言うと、お母様は、私の瞳をのぞき込むように顔を近づけました。


 私は、お母様の笑顔が大好き。ほんのりと紅い頬、透き通るように白い肌、優雅な物腰、美しい黒髪。いつかお母様が私に読んでくださった絵本に描かれた、バラの髪飾りの王女様のよう。

 そんなお母様は、私の憧れ。私も、いつかお母様のように美しいレディになりたいと、幼少の頃から思っていました。


 ある日のことです。私の家に一人の女性がいらっしゃいました。学生時代のご学友だと、お母様は私に教えてくれました。


 その方は、とても美しい猫を抱いていました。


「さ、ユズちゃん。ごあいさつよ。」


 『ユズちゃん』と呼ばれたその美しい猫は、女性の腕からスルリと抜けると、私の目の前に降りました。


「シェリー、仲良くしてね。意地悪しちゃダメよ。」


 お母様は、にっこり笑ってご学友と部屋を出ました。



「あなた、シェリーっていうのね。」


 ブルーグレーの毛並みは、ビロードのように輝いています。とても聡明そうなクリスタルの瞳。


「はっ……、初めまして。私、シェリー……。」


 他の猫にお会いするのは初めてでしたから、緊張して言葉が出ない。


「ぷっ……。あははははははは!」


 目の前の猫は、お腹を抱えるように笑い転げました。初対面の相手にいきなり笑われてしまい、怒りと悲しみと恥ずかしさと恐怖心で顔から火が出るほどでした。私はその子に背を向けて、全力で走ってピアノの下に隠れ、丸くなりました。


「……ごめんなさい。」


 その猫は、私のすぐそばまで来て腰を下ろしました。


「あの……、私ね、ユズ。いきなり笑ったりして、ごめんなさい。」


 迷うようなユズの声は、部屋の空気に溶けていく。


「私ね、この部屋に入ってあなたを見たとき、あなたのことをツンツンした嫌な子かと思ったの。」


 私は、顔を上げてユズを見ました。


「緊張していただけなんだよね。私の勘違いだったと分かったら、何だかおかしくなっちゃって……。あなたを傷つけちゃった。……本当に、ごめんなさい。」


 頭を下げて謝るユズを見て、この子と仲良くなれそうな気がしたのです。


「私はシェリー。アメリカンバーミーズなの。」


 私はユズの顔をのぞき込み、ユズの鼻に私の鼻をちょんと付けました。


「……よろしくね。」


 申し訳なさそうだったユズの顔が、少しずつ明るくなっていきました。ユズの笑顔はとてもチャーミングで、まるでひまわりのようでした。


「よ、よろしく!」


 ユズは、血統書付きのロシアンブルー。私より年下なのに、とても大人っぽい。すでに、将来を約束した殿方がいらっしゃるのだと話してくれました。


 ユズは、外のことをたくさん教えてくれました。人間たちが暮らしている街、鼻の先でヒラヒラ舞う蝶々や、空を流れる雲のこと。私を窓に連れて行っては、あれは木蓮だとか、これはアカシアの木だとか、窓から見える景色のこともたくさん教えてくれました。


 窓は動く絵画だと思っていた私は、ユズが教えてくれる全てが初めてでした。ユズと出会ってから、私は、毎日朝から晩まで窓から外を眺めるようになりました。


「いつか私も、外に出てみたい……。」


 それが、いつしか私の口癖となりました。


 その後ユズは、何度も何度も遊びに来ました。私は、ロケットペンダントを首から外してユズに見せました。


「シェリー、これは?」


「このロケットは、中に家族の写真が入っているの。お父様が下さった、私の宝物なのよ。見てて。」


 私は、牙と爪を使ってロケットを開けました。


「なんて素敵……。みんな幸せそうだわ……。」


 ユズとお友だちになることができて本当によかったと、私は心から思いました。



 ある日突然、お父様は変わられてしまいました。もちろん、お父様のお言い付けを守らなかった私が悪いのですが、だから仕方がないのですが……、


「何度言えば分かるんだ! カーペットに爪を立てるなと言っただろう!」

「あなた! お止めください! シェリーがケガをしてしまいます!」


 それからさらに、お父様は書斎に籠もるようになり、思い詰めたようなお顔をなさることが多くなりました。


 今にして思えば、全て前触れだったのでしょう。


 その日、私はいつものように窓の外をながめていました。


 空を舞う鳥たちは、優雅で美しい。

 このガラスの向こうには、私が見ている全てのものが、今まさにそこにあるのね……。


「シェリー……、」


 お父様が、私に声をかけました。


「外に行きたいだろう? 連れて行ってあげよう。」


 お父様の声は、どこか不自然でした。低く静かで落ち着いたように感じるけれど、芯が通り、拒絶を許さない強制力を持った声でした。


 お父様の両手が私に向かって伸びてきます。得体の知れない恐怖が私を襲い、逃げようと身構えましたが、今にも崩れてしまいそうなお父様のお顔を見て、私は、お父様と外に出ることに決めたのです。


「さあ……、ここだ。」


 車は、山の中で止まりました。鳥の声と木々のささやきが聞こえます。ガラス越しではありませんでした。


 お父様は私を抱き上げ、小屋のような建物の正面に私を下ろしたのです。


「シェリー、いいかい。父さんは、必ず迎えに来るから、その時が来るまで、ここで待っているんだよ。」


 そしてお父様は、どこかに行ってしまいました。今にも崩れそうな背中を、私はずっと見ていました。


 その数時間後、天に昇る二つの白い影が見えました。

 私はそのとき、全てを理解しました。お父様とお母様は、私を残して、お空へ逝ってしまわれたのです。


 それでも私は、お父様が迎えにいらっしゃるのを待ち続けました。あれは気のせいだと自分に言い聞かせて。


 お腹が空いたら人の集まるところへ行きました。いつかユズが話してくれたコンビニと呼ばれるお店です。通りすがりの方やお店の方が食べものを分けてくださることもありました。私は、必死に生きました。


 ある夜のことです。いつものコンビニの陰に、何かうごめいている影を見つけたのです。かすかに声も聞こえます。近づくと子猫のようでした。すっかり痩せ細り、今にも命が消えてしまいそう。



 ──死なせてはいけない。



 お父様の声が聞こえた気がしました。もしかしたら、あの日のお父様の心の声だったのかもしれません。


「ねぇ、大丈夫?」


 私は、金色の瞳の幼い黒猫に手を差し伸べました。


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