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絆のたね【真夏の蜃気楼】

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧


 主を失った俺には何も残っちゃいない

 親父さんに逢えるなら

 命の燈火(ともしび)など消えても構わない


 しかしお前と出会って欲を知った

 主しか知らぬ俺は友を知った


 蜃気楼のようにはかなく

 どんなものより強い繋がり


 どうか俺を忘れずにいて欲しい

 どうか約束を忘れずにいて欲しい

 いつか青空の下で出逢えることを


୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧


 目を開けると、それなりに広い道のど真ん中に立っていた。緑豊かな田舎の道路のようだが、見覚えのない道だった。それにもかかわらず、俺の心は進むべき方向をどうやら知っているようで、自分の身体をグイグイ引っ張っている。俺は、心の声に従って歩き始めた。


 とても大切な『何か』を忘れているような気がするな……。


 歩きながら、これまでを思い返した。親父さんがあの世に()った。俺はそのあと、親父さんと暮らしていたあの家で独りで暮らしていた。それから……、


 ──キング!


 耳の奥で、若く優しい声が俺の名を叫び呼んでいる。この老いぼれの名を呼ぶ若者など記憶にないのだが、必死に俺の名前を呼ぶ声が耳の奥でこだましている。


 あの声は誰のものだったのか……。俺はやはり、何かを忘れているようだ。それも、かなり大切な何かを。


 そういえば、ずっと歩き続けているのに全く疲れていない。しかもどういう訳か、体は軽い。つい先日まで歩くのは億劫(おっくう)だと思っていたが、今は全く思わない。


 疲れない理由を考えながら歩いていた俺は、前方から車が近付いていたことに全く気付かなかった。


 猛スピードで接近する車に、俺は脚がすくんだ。


 もう……、ダメだ。


 ぎゅっと目を閉じた直後、ぼふっという鈍い音とブゥンという車が走り去る音が聞こえて目を開けた。


「どういうことだ。」


 車が避けたとは思えない。しかし激突したのなら、何ともないはずがない。何かがおかしい。


 自分の置かれている状況についてはよく解らないままだったが、心は、このまま歩き続けろと訴えている。その声に逆らうことなく歩みを進めると、周囲の景色が見覚えのあるものに変わった。

 親父さんと暮らした家がある村の景色だ。


 そうか、あの家に向かっているのか……。


 あの家に、親父さんはもういない。それでも俺は、あの家に帰れることを嬉しく思った。


「……いや、家に帰る前にやることがあるはずだ。」


 家に帰れる喜びのいっぽうで、家に帰るのを躊躇(ためら)っている自分がいる。帰る前に、あの声の主に会いに行かなければならないような気がした。俺は、回れ右をして家とは逆の方向に歩き出した。


 角を三回曲がると大きな直線道路がある。そこを真っ直ぐ歩くと、何かの施設だろうか、大きな建物が見えた。その建物を見た瞬間に記憶が少しだけよみがえった。


「ああ、そうだ。ここは、俺が最期の時間を過ごした場所だ。」


 あの日、山奥の施設で俺は死んだ。暗く、小さな部屋に押し込められ、だんだん息苦しくなり、やがて本当に息ができなくなった。呼吸はできるのに苦しいという、不思議な感覚だった。


 一緒に入った他の犬たちは、一匹、また一匹と気を失っていった。最後まで残った俺は、仲間たちを全員見送った後に意識を失った。そして、親父さんのいる世界で生きる存在となった。


 さらに、俺は最も大切なことを思い出し、施設の目の前の家を見上げた。記憶を完全に取り戻した。


「健太……。そうだ。俺は、絶対に忘れないとあの坊主と約束したんだったな。」


 健太は、この家で暮らす白猫の坊主だ。少年と青年の間ぐらいの年頃の若者で、なよなよしているように見えるが芯の通った声をしていた。ずっと耳の奥でこだましている声は健太のものだった。


「ちょっと様子を見に行くか。」


 あの世の生きものなら、飛べるかもしれねえ。


 身を縮め、勢いよく飛び跳ねた。思った通りだ。俺は、階段を駆け上がるように空を飛んだ。


 窓には健太がいた。昨日と変わらぬ姿でそこにいた。

 坊主は、誰かと話をしているらしい。健太と違い、声にトゲと拒絶を感じさせる。誰と話しているのか気になって下を見ると、話し相手は体の小さい黒猫だった。坊主と同じくらいの年頃で、黄金色の瞳をしている。ああ、声の出ない犬の女の子と恋仲の猫は、あの黒猫だったのか。


 健太と黒猫は、何やら真剣に話をしているようだ。

 俺は、心がむず痒くなるのを感じた。


「俺らの会話は心だからな。心が通じていれば幽霊でも言葉は分かるという訳だな。いや、幽霊だからこそ、心がむき出しになり、より分かるということか。」


 ふたりは、家族について話をしているようだ。会話は、どんどん高まっていく。


「授かった赤ちゃんが捨てられてるよりなら、僕は、恋の季節なんてない方がいい。クロ、君みたいな猫を増やしたくない。そしてクロ、君はもっと幸せになるべきだ。」


 俺は嬉しくなった。健太はやはり、健太だった。


 黒猫の坊主が帰ってゆき、健太も窓から降りたのを見て、俺は、親父さんの家に向かうことにした。


「このまま、飛んでいくか。そのほうが速いし楽だな。まあ、幽霊というのも悪くない。」



 俺が生まれ育った家は、あの頃と何一つ変わらずにそこに()った。


「懐かしい匂いがするぜ。」


 だが、少し違和感があった。親父さんは、俺より先にあの世に逝ったはずなのに、家には活気があり、庭の小さな畑には、何かが実っている。


 つまり、この家は

この世のものではない。そして、この家にはおそらく――、


 俺は玄関に降り立った。俺の主が中にいる。早く会いたいとはやる気持ちと、会ったらどう接したらいいのかと惑う気持ちが自分の中で渦巻いた。


 親父さんは、縁側で俺とひなたぼっこしながら茶を飲むのが好きだった。


 春は満開のリンゴの花をながめる。

 夏は小さい畑で採れたスイカやトマト、トウモロコシを親父さんとふたりで分けた。

 秋は庭の虫を追いかけた。

 冬は親父さんが作ったかまくらで、ばあさんとの思い出話を聞いた。


 庭に行けば親父さんがいるかもしれないと思い、裏に回った。


 トマトが大きくなってきているが、実はまだ熟していない。トウモロコシもスイカもある。あの頃と変わらない景色で心が安らぎ、さっきまでの惑いはどこかへ行ってしまった。


「おお、キングじゃねぇか。」


 雨戸を開けてひとりの老人が庭に姿を現した。


「親父さん……。」


「ようやく逢えたなぁ、キング。おめえに逢いたくて逢いたくてな。この家を片付けて待っていたんだ。」


 親父さんは俺の首に腕を回した。俺は、久しぶりの感覚に、胸が熱くなった。


「……すまねぇなぁ、キング。」


 親父さんは、俺を強く抱き締めて突然謝った。


「俺が先にこっちに来ちまったために、おめえも死ぬことになっちまったなぁ。」


 俺は、親父さんの首に自分の首をからめた。


「なぁ、親父さん。俺は怒っちゃいねぇよ。俺はしあわせな犬生を生きたよ。それもこれも、みんな、親父さんのお陰だ。」


 ところが親父さんは、俺の首から手を離し、顔をグッとつかんだ。思った通り、親父さんは俺の言葉を理解できている。


「違うだろ、キング。俺だけじゃあねぇ。大事な友だちがいるじゃねぇか。最後に、おめえに希望をくれた大事な友だろう。俺はな、おめえの親父として、おめえから友を奪っちまったことを悔やんでるんだ。」


 親父さんは全てを知っていた。俺は、親父さんの目を真っ直ぐ見た。


「……親父さん、俺を見守ってくれてたんだな。ありがとう。」


「あたりめえだろ、キング。おめえは、俺の大事な息子なんだ。子宝に恵まれなかった俺たち夫婦のところに来てくれた、大事な大事な息子なんだ。」


 親父さんは、そう言って、再び俺を抱きしめた。


「さあ、飯だ。ばあさんが美味い飯を作って待ってるからよ。」


「ああ。お母ちゃんの料理が食えるのか。ずっと食ってみたかったんだ。楽しみだ。」


 その日はずっと、家族水入らずで積もる話をしていた。そして、俺が幼い頃に、病気で息を引き取ったお母ちゃんに甘えて、眠りについた。


 親父さんは俺に天界の湖のことを教えてくれた。覗き込むと地上が見える湖だ。強く願えば、会いたいと思う誰かの姿も見せてくれる。親父さんは、この湖から俺を見守っていたらしい。


 俺は毎日、湖で健太とクロの話を聞いていた。彼らの会話はなかなか興味深い。俺は、ふたりの若猫(わかもの)からさまざまなことを学んだ。


 声の出ない犬は、クロの恋の相手だった。ふたりが再会したときには、泣くほどに嬉しかった。だがクロは、一緒に暮らしたいとの申し出を断った。飼い猫になる心の準備ができていないと言っていたが、半分は嘘だ。あの黒猫は、何かに迷い、悩んでいる。俺は、あの黒猫の行く末も見守ろうと思った。湖から見守ることができればいいんだが、俺自身はクロの友だちではない。今はまだ、健太(友だち)の友だちでしかないんだ。湖にクロの姿を映し出すことはできない。

 もどかしいけれど、健太を介して見守るしかない。



 ある日の朝、クロは健太のもとに来なかった。


「クロ、どうしたんだろう……。」


 その日、健太はずっと窓にいた。大事な友を待っていた。心が震えている。不安で押しつぶされそうになっている。

 次の日の朝になっても、クロは姿を見せなかった。


「……マズイじゃねぇか。」


 健太はすっかり落ち込み、身も心も壊れてしまいそうなほど、ギリギリになっていた。


「どうにかならねぇのか。俺は何もできねえのか。湖から見守るしかできねえのか。」


 とにかく、そばにいてやりたかった。だけど天界にいる俺たちは、簡単に地上に降りることはできない。それでも友のために何かしたかった。俺は夢中で湖に飛び込んだ。



 清々しく爽やかな朝の陽射しが、じりじりとした真夏のそれに変わっていく瞬間は、どうしてこんなにも美しいのだろう。俺は、この、夏の陽射しが好きだ。


 眩しさで目がくらんだ。少しずつ目が光に慣れてゆく。驚いたことに、俺は健太の家の中にいた。そのときだ。陽射しが俺を真っ直ぐ照らして俺と健太をつないだ。


 ――今なら、今ならアイツと話せるかもしれない。


 俺の身体が、少しずつ揺らめき立つ。


 蜃気楼か。真夏の陽射しが、蜃気楼として俺をよみがえらせてくれたのか。


 俺は、健坊を見すえた。


「おい、坊主。聞こえないのか。時間がねえんだ。」


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