北方の田舎出身酒飲み令嬢は婚約破棄された中央の貴族と恋に落ちた
会場に鳴り響く、壮大な、同時に、威厳に満ちた音楽。
その音が鳴り響く中で、私は一人、どうすればいいのか分からずにいました。
中央で催されることになった、女王陛下主催の夜会。
そこに私は父と共に呼ばれました。
しかし父は会議で出払い、今は私一人です。
「ど、どうすれば……」
夜会が始まって十五分の間、私は小声でそのことしか言えずにいます。
寄ってくる方も誰もいません。
夜会の中央に出ることも出来ず、壁の方の席に私は座っているだけなのですから。
中心にはこの国の女王であらせられるファリス陛下がおられます。
ウェーブがかったブロンドの髪に豪華なティアラ、豪華絢爛という言葉で片付けていいものなのか、私にはわかりません。
ただ、私とあまりにもレベルが違いすぎるということだけは、よくわかります。
女王陛下は他の貴族様と談笑をしており、その中にただの田舎の領主の娘が行くなど、恐れ多くてできそうもありません。
そう、私の父は北方の一帯を治める領主です。
北方は一年を通じて中央に比べると寒い雪国で、中央からすれば取るに足りない田舎です。しかも特産品もこれといってありません。故に様々な地域から左遷先とまで揶揄されています。
でも、私は北方を気に入っています。雪国故に確かに寒いですが、夏場でも涼しく、人は優しく、そして空気もきれいだからです。
そんな父に連れられて、私-リアは生まれて二〇年、中央を初めて訪れました。
「中央がこんなに華やかだったなんて……」
圧倒されっぱなしで、まるで私は別世界にいるようにも感じました。
豪華なシャンデリアに、豪華な文様の描かれた絨毯、そこら中の花瓶に設置してある美しい花、そして何百人もいる招待された貴族。
私の過ごす北方とは、まったく違う豪華さです。
北方でもこうした夜会が開かれることはあります。
しかし、それは質素なもので、こんなに豪華な景色は見たことがありません。
「お飲み物はいかがですか?」
眼の前に、給仕がやってきました。
給仕も北方と違いビシッと整った姿をしており、まるで給仕であることを感じさせない佇まいです。
北方と中央ではここも違うのかと、少しめまいすら覚えるような感じがしました。
ですが、私も北方領主の娘です。このようにしていては浮くだけで、父の恥になってしまいます。
なので、勇気を振り絞りました。
「で、で、では、いただきます……」
給仕の方から飲み物を受け取り、口に含むと、微かにアルコールが感じられました。
「これは……?」
「高名なワイナリーから取り寄せました最高品種のワインです。これを買い付けたのが、かのアイズライン卿です」
聞いたことのある名前でした。
名門貴族でファリス陛下とご結婚なさる方との話を、父から聞いたことがありました。
しかもワインのみならず様々なお酒に精通しているとの話も伺っております。
しかし、どうもこのワインの味に引っかかりを覚えました。
少し、ぶどうの風味が弱い気がするのです。
この品種のワインならばもう少しぶどうとアルコールが見事なハーモニーを生み出す上等な味がするはず……。
それとも私の舌がおかしいのでしょうか。
そう思い、そのワインを飲んだあと、給仕の方からもう一個、別のワインをもらいました。
今度は白ワインです。
しかし、それを一口飲んだだけでわかりました。
やはり、この白ワインのほうが芳醇な味がします。
癖も強くなく飲みやすい。それでいながら間違いなく飲んだという実感の湧く、不思議なワインです。
間違いなく、最高品種と呼ばれるワインよりも美味しいと感じました。
「このワインはどちらから…」
「このワインも、アイズライン卿が買い付けたものと伺っております。ですが、先程のものとは異なり、有名なワイナリーの代物ではないそうですが、味に一目惚れなさったとか」
ふむ、と私は唸りました。
念のためにと、更に数杯、別のワインを飲みました。
なんでも今回の夜会のワインはすべてアイズライン卿が選ばれたとのことなのです。特に三杯目に飲んだ赤ワインは絶品でした。
しかしそれでも、どれも甲乙つけがたい一級品の味をしていました。
どうやらこの方の舌は本物のようです。
だとすれば、何故最高品種と言われてもあまり味の良くないあのワインを選ばれたのかがわかりません。
そう思ったときでした。
「あなたこんなワイン飲ませて何考えてるの!」
思わず、心臓が跳ねました。
女王陛下の声でした。
見ると、女王陛下の側にいる貴族の方が、頭を下げていました。
「陛下、以前にも私は申しました。あのワイナリーは限界だと」
「だから? そんなの知ったこっちゃないわ。私はね、あのワインが飲みたいと言ったのよ。ならば完璧なものをよこすのが筋でしょう? なのにこれは何? 風味が弱すぎるじゃない!」
そして女王陛下はその貴族の顔にワインをかけました。
「あれは……?」
「あのワインをかけられた方が、アイズライン卿です」
ちらと、顔を拝見しました。
意外に感じました。
アイズライン卿の顔は若々しく、そして凛々しい顔立ちでした。金髪に碧眼、まるで彫像を思わせるような顔立ち。
少し、顔が赤くなったのを感じました。
そのアイズライン卿が、女王陛下のお怒りを買ってしまわれたようです。
「陛下。私は申しました。あのワイナリー周囲で行われている開発が、どれだけ無茶なものか。それによる土壌汚染、それによる水質汚染、それでぶどうの味は変わり、あの名産たるワインも味を変えてしまうと。ですが、あなたは開発を強行なさった。結果がこれなのです」
「うるさいわね! そんなの知らないわ! それとも何? 私が悪いの? 私の立派な銅像をあの地域に建て、素晴らしい宮殿を作るための開発がそんなに悪いと言いたいのかしら?」
しんと、会場は静まり返ってしまいました。
先程まで鳴っていた音楽も静かになってしまっています。
「破棄するわ」
「はっ?」
「婚約してたけど、それを破棄する。アイズライン、あなたは北方に左遷よ! そこにいる田舎娘と結婚なさい。それで惨めな生活でも送ることね」
女王陛下が、私を睨みつけました。
思わず、背筋が凍りました。
嫉妬深く、そしてすべてを見下しているような、そんな目に思えたのです。
ですが、私の中で何か、フツフツとした感情が沸き立ちました。
まさか女王陛下があそこまで尊大でわがままだとは思いもしませんでした。
ワインの味が変わったことに対する責任も取らず、それを止めようとした者の意見も聞かず、ただひたすらに罵声を浴びせる。
これが上の者の姿なのか、と、私の中で怒りが込み上げました。
しかし、その時でした。
アイズライン卿の目が、気のせいかもしれませんが、私に向いたのです。
いいのだと、目で言ったのを感じました。
「御意に従います。陛下」
それだけ言って、アイズライン卿は私の側に来ました。
「申し訳ございません、リア様。お見苦しいところを、お見せいたしました」
来るなり、私の前でアイズライン卿は頭を下げました。
近くで見ると、アイズライン卿の目は、誠実な目をしていると、すぐに分かりました。
しかし、ふと今気づいたことがありました。
私に少し、奇異な目が向いているのです。
それは、アイズライン卿も同じでした。
「やはり、私などという田舎娘では……」
「いえ、そっちではなく、リア様、あの、何杯飲まれました? 息に、かなりのアルコール臭がしますので……」
少し、固まりました。
横のテーブルに置いたワイングラスを見て、自分でも呆然としました。
既に一五杯は開けていました。
「そ、その、美味しかったもので、つい……」
「お酒は、お強いのですか?」
「はい。こう見えて、ワインでしたらフルボトル一〇本までは一日に飲んでも大丈夫ですから」
突然会場がざわつきました。
「フルボトル一〇本って言ったぞ」
「あの娘そんなに飲めるのか?!」
「ウワバミにも程があるわ……」
呆れられている、というのはよくわかりました。
「面白いお方だ」
くすりと、アイズライン卿は笑われました。
その笑う姿も、何処か優しいものでした。
「アイズライン卿、外で、お話なさいませんか?」
「喜んで」
そう言って、私は二人で夜会を出ました。
宮殿の外の空気が、一層美味しく感じられました。
張り詰めた空間にいたのだと、自分でも驚くほどでした。
「リア様、その、あれだけ飲まれたのです。どれが一番ワインとして美味しかったのかとか、ありますか?」
「そうですね。強いて言えば、三杯目の赤ワインでしょうか。確か、マルーン地方のワイナリーから買い付けられたと、お伺いしておりますが」
ほぅと、アイズライン卿は唸りました。
「あのワインの良さをわかるとは。あなたの舌も本物でいらっしゃいますね。あそこは、開発もほとんど及んでいない地域ですので、土壌も非常に良く、ぶどうの発育が良好なのです。そして水に関しても、あの地域の山から運ばれる雪解け水によって豊かな味をお約束してくださる」
「でも、ほとんど出回らないと伺っております」
「少し独特の風味もありますので、好まれる方とそうでない方との差がはっきり出てしまうのです。しかし、それをあなたはお気に召された。感服いたしました」
「い、いえ、そんな……」
そう言った後、アイズライン卿の目が、真剣なものに変わりました。
「リア様、陛下のご命令は絶対になります。あなたが私を愛してくださるかはわかりません。ですが、私は」
「いえ、アイズライン卿、私はもう心に決めております」
私は、アイズライン卿を見つめました。
風が、一瞬だけ吹きました。
「私は、あなたのお側に、一生いとうございます。あなたの目の優しさに、私は心を奪われました」
「よろしいのですか?」
「はい」
思わず、二人で顔を合わせていました。
そして、互いに口づけをしようとすると……。
「おーいリア」
大声につられて思わず、互いの歯がぶつかり合いました。
互いに口を両手で覆い、痛みに悶絶しました。
「ち、父上、なんて間の悪い……」
そう、父が護衛の兵士とともにやってきていました。
「ん? おや、アイズライン卿ではありませんか。我が娘といかがなされたので?」
父が言うと、アイズライン卿は父に跪きました。
そして、これまでに起こったことをアイズライン卿はすべて父に話しました。
それを聞いて、父は静かに、アイズライン卿の肩に触れました。
「分かった。婿殿、娘を頼むぞ」
「御意!」
涙を流しながら、アイズライン卿は跪いていました。
それから一ヶ月ほどして、アイズライン卿はすべての酒の資料と共に、私達の北方へと来てくださいました。
その資料は、私達の想像を遥かに超えたものでした。
その地の土壌、水質、適している作物、そこから導き出される最良の酒の種類まで、全て網羅してあったのです。
その資料の中には、私達北方のものもいくつかありました。
「北方に特産物はこれといってない、とおっしゃっていましたが、領主様、リア様、これだけの風土があれば、見事なワインをこの土地で作ることが可能です」
その一言に、私達は自信がつきました。
私は酒の強さをかわれ、アイズライン卿の試作したワインを飲んでは意見を言うという、重要な役割を得ました。
「しかしリア様、あなたは本当にお酒にお強いですね」
アイズライン卿は苦笑しておりました。
そして十五年後、この北方で出来たワインが、この国の最高峰のワインとなり、北方は国一番のワイナリーとなりました。
私の舌が本物だったから出来たのだと、父もアイズライン卿も、頻回に申しておりました。
そして更に五年後、中央ではファリス女王の暴虐に業を煮やした民衆による革命が起こり、別の王が国を治めることになりました。
ファリス女王の行方は、杳としてしれません。
一方、私達の暮らしは、慎ましやかではありますが、少しだけ、豊かになりました。
国随一の特産品を作る地帯として、昔の左遷先のイメージはなくなり、むしろ、栄転先となったのです。
そうなったのも、今の北方領主である我が夫、アイズラインの力によるものだと思っております。
私は、そんな夫を誇りに思います。
領主の妻として、民を、地域を、そして夫を支えたい。
そう思う日々が続きますよう。
夫が、私の肩を抱きました。
その時の目は力強く、それでありながら、あの頃と変わらない、やさしい目でした。
(了)