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銀行家の家に雑談に来る警察


 30代らぶらぶ夫婦がベッドルームに閉じ籠ったその6時間前、バンクス刑事とヒラリー巡査部長はランカスター通り29番地のベルを鳴らした。


 ヘッドフォンマイクを付けたウィルがドアを開けたが、2人を見て露骨に迷惑な顔をした。


「仕事中なんですがね」


「警官の訪問にそこまで邪険にできる人も珍しいわ」

 片眉を上げてヒラリーが牽制する。


「いや、恐らくこっちがお時間いただく立場だ。捜査協力とも言えない雑談に」


 バンクスが下手に出るとウィルは仕方ないなとぶつぶついいながら、

「オンラインのアポ変更が必要なんで、10分待てますか? お茶もコーヒーも出しませんが」

 と、中に入れてくれた。


「ありがとう」

 バンクスは、ソファに座ってステファニー・アダムズとの面談について纏めておこうとラップトップを起動した。


 するとウィルが、

「うちのWi-Fi使いますか?」

 と聞いてくれたがそれは辞退した。

 警察独自のネットワークを使う規則だし、報告書を書くだけでアップロードは後だ。


 そのウィルはと言えば自分の机で、メールを何本か送り、ビデオで顧客にアポの変更を謝罪している。仕事の邪魔をしたのは確からしい。


 銀行家だとは聞いていたが誠実なファイナンシャルアドバイザーといった側面が垣間見える。


 ヒラリーは廊下に残って、先ほど車内から部下に指示を出していた「オキーフさんの相続人の件」についての回答を電話で聞いていた。


 10分たつ前にウィルは応接セットにやってきて、

「さて、それで、僕に雑談してほしいんですか? そのためにはそっちももっとしゃべらされますよ?」

 としかめっ面をした。


「いいよ。君の頭脳構造が少しわかったからね」


「僕の頭脳、ですか?」


「確かにオキーフさんは元同僚にお金を貸していた。君はそれを封筒の宛名から類推した」


「なかなか機知に富んだスペリングだった。シホさんの英語発音はⅬとRの区別がつかないと知ってる人、元同僚なら納得だ。それでもう一つの封筒、ドクニンジンは見つかりましたか?」


「ドクニンジン?」

 ヒラリーが聞き返す。


「実はついさっき監察医に電話してヘムロック摂取の可能性を確認した。答えはノーだ」


「ヘムロックは神経毒。呼吸困難が先に来るらしいけれど、シホさんの持病も神経系。似たような死に方になるのかもしれないんですよ?」


「そうだな。だが体内からは見つかってない」


 ヒラリーは隣でヘムロックのことなのねと頷いた。


「じゃあ、僕の妻の嫌疑は晴れましたね? どんな植物が入ってたのか知りませんが、妻は本件無関係ですからね?」


「え? 植物が入ってたのはヘムロック・キーウ封筒じゃないわよ?」


「違うんですか?」

 ウィルは驚いて、ヒラリーよりもバンクスに確認を求めた。


「ああ、違う。植物片が入っていたのはシャーロック・イーヴ封筒だ。ロンドン消印でShake and Smellと書かれたメモが入っていた」


「Smell? 振ったら匂う、ですか?」


「振ってから嗅げ、Shake and Sniffではない」


「変だ……Smellは動作じゃない。命令形では使い難い。匂いを知覚しろ?」


「Stop and smell the roses.って言い方もあるけれど、バラのいい匂いをエンジョイするくらいリラックスしなさいって意味でしょ? She smells roses. と言われたら、普通、彼女がバラの香りがするんであって、彼女がバラの匂いを嗅ぐんじゃないわ」


「Sniffって単語を知らなそうなんだよな。だから、君の奥さんが書いたとは思えない」


 ウィルはホッとしたのか、大きく息を吐いて笑顔になり、バンクスはその表情につられて、手の内を見せる気になった。


「エリカさんのことは当初からさほど疑っていない。君の反応が面白いから意地悪しただけだ。お隣を殺したかったらもっと直接的な方法を取るだろう。君にはコンビニに行くとでも言ってお隣の玄関ベルを押して、刺殺するなりムリヤリ毒を飲ませるなり。君がオキーフさんと不倫してるくらいの殺害動機があったとしてだよ?」


 若い銀行家は頭を掻き掻き、困惑してみせながらも瞳はいたずらっぽく輝かせて答える。


「世の中って未亡人がいると不倫させたがるもんなんですか? 僕はぞっこんの妻と寝食を共にするだけでキャパオーバーなんですがね」


「2人が仲良しなのはわかってますからのろ気ないでください」

 ヒラリーが横から、冷や水を浴びせかけるように切って捨てた。


「入っていた植物って判明したんですか? 複数だとか」


「今わかっているのは、バラ、ラベンダー、タイム、ローズマリー、そしてもう一種、解析待ちね」

 というヒラリーにバンクスが、

「一種じゃなさそうだ。さっきヘムロックかと確認した時に聞いた。ユリの仲間とジャガイモのDNAっぽい」

 と付け加えた。


「ジャガイモ? ナス科でしょ? ベラドンナ、ダチュラ、ハシリドコロ、毒草のオンパレードじゃないですか!!」


 ウィルの叫びと打って変わってヒラリーは、ユリのほうに反応を示した。


「ユリは花はいい匂いだけど、葉っぱは臭いわよね。普通ポプリやサシェにはしないわ」


 ヒラリーは仕事一辺倒でもないのか、家では花を生けたりもするのだろうかとバンクスは同僚の横顔を眺めた。


 ウィルは、聞き慣れない言葉を問い返している。


「ポプリ? サシェ?」


「ええ、部屋の匂い消しや洋服の防虫とかに使う香りのいいドライフラワー。判明済みの植物はその定番なの。ラベンダーはウールを守ってくれるわよ?」


「そうですか……これは僕よりエリカのほうが詳しそうだな。僕は花より妻の匂いのほうが好きで」


 ごふっと音をたててヒラリーが咳き込み俯いた。確かにそんな情報、要らない。


 だが、バンクスには、ウィルが残り2種の植物の毒性と、封筒の中身の形状に思いを巡らせたくて、会話をわざと止めたように感じられた。


 ウィルという男は、大柄な人の好い風貌をしていながら、頭の回転は速そうだ。数字とにらめっこしている銀行家ではなく、笑顔で相手の表情もしっかりと読むコミュ力強者。


 再起不能そうなヒラリーを見やってから、バンクスは話を変えることにした。


「植物名に関しては、DNAが全部読み込めれば2種類の植物の区別もつくし確定もできる。アトロピンなど、ナス科関連のアルカロイドについても監察医が調べてる。君に科学的見解を求めてるわけじゃない。君は宛名にシャイロックを見て金銭問題を予想し、ヘムロックから毒殺を考えた。この宛名、ヘムロック・キーウから、もっと気が付くことはないか?」


「それを僕に聞くんですか? 情けない刑事ですね」

 ウィルのからかいの言葉に、

「その発言、今日だけは甘んじて受ける」

 と苦笑いして、バンクスは彼との付き合い方がわかった気がしてほんのりと嬉しく感じた。



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