署で喪に服する刑事たちと3通の手紙の中身
「何なんだあの男は?」
服喪を署のデスクでしていたイアン・バンクス刑事は、昨日会ったオキーフ宅隣人を思い起こし頭を抱えていた。
「何を知っているんだ? もしくはオレたちを煙に巻きたいのか? それとも、異国情緒のある魅力的な未亡人との痴情のもつれで殺害? 妻の嫌疑は晴らしたいが自分の容疑は問われたくないがゆえに話題があんなに飛ぶのか?」
バンクスは目の前の白紙にウィルという男のおかしな点を書き出す。
・オキーフさんを木曜に目撃
・容疑者にされそうだと思っている
・植物片と言っただけで、「毒殺」、「アルカロイド」と口走る
・フォレンジックレポートを見たがる
・死因は心停止ではなく「呼吸困難」を想定していた
・金銭問題で恨まれていた可能性を示唆
・他にも恨まれていたのではないかと言った
「自分が関与したのを誤魔化そうとしているとしか思えないじゃないか……」
目の前のコンピューターを起動して、本件に関して集まってきている報告事項に目を通す。
オキーフさんの銀行口座の金銭の動き、警ら部が聞き込みしている彼女の最後の数日の足取り情報の後に、科捜研からの「封筒内から検出された植物名の中間報告」が届いていた。
・バラの花びら(バラの香水併用)
・タイム
・ローズマリー
・ラベンダー
・他1種、DNA解析中
そこへ、元々の担当の巡査部長ヒラリー女史が寄ってきた。
性格がきついのでバンクスは実は苦手としているのに、「どうも怪しい」という女史の感覚だけで、刑事の自分がこの件に首を突っ込むハメになっている。早く自然死だと証明して一抜けしたい。
警ら部制服組のヒラリー女史と犯罪捜査部刑事のバンクスとでは普段は管轄が別で、ランクは一つバンクスが上になるのに、どちらが主導権を取るのか決めかねやりにくくてしかたない。
「ポプリとしか思えないでしょ、リビングの隅のガラス瓶に詰めていい匂いを楽しむような組み合わせ」
お、初めて女性らしい意見を聞いたぞとバンクスは内心可笑しくなった。
「もう一種が毒草かどうか、被害者の体内に入ったかどうかが決め手ね」
おいおい、まだ「被害者」と決めつける段階ではないんだがな、と刑事としては肩を竦めておいて、他の問題点に女史の注意を逸らす。
「それで、どの封筒に何が入っていたのか、ジグソーパズルは済んだのかい?」
シホ・ヒムロ・オキーフは5日前、先週水曜日の朝、自宅リビングのカーペットの上で心停止。
苦悶の表情を浮かべ、口元には泡を吹いた跡。顔のすぐ前に小さな観葉植物の鉢が倒れ、その周りに封筒が3枚、紙切れが3枚散乱。
第一の封筒はDo not bend(折り曲げ厳禁)と書かれたB5茶封筒。
厚紙で強化されていて、写真の送付などによく使われる、国内の郵便局ならどこでも個別売りしてくれるスタンダードなものだ。
宛名はMs Sherlock Eve シャーロック・イーヴ様で、会社などで使われる宛名シールに印刷してある。
第二第三の封筒は一番ありきたりな白いヨコ型定型。宛名は手書きでそれぞれ下記の通り。
Mrs Shylock Keep シャイロック・キープ様
Hemlock Kiev ヘムロック・キーウ宛
どれも封筒裏面に差出人名はない。個人情報保護のためか、今では書かないほうが普通だ。
郵便の中身だと思われる似たような大きさの2枚の紙切れにはそれぞれ印刷で、
Shake and Smell
Go back to Siberia!(シベリアに帰れ!)
とあった。
最後の1枚はクリスマスプレゼントなどに使われる、おもちゃの小切手だ。
「肩たたき券」のようなもので、通常、金額部分に「芝刈りをする」「お皿を洗う」などと書いて署名をし、プレゼントする。受け取った相手がこの小切手を提示したら、署名者はそこに書いてある約束を果たさねばならない。
問題の小切手には、周囲に花模様があしらわれ、6000ポンド(96万円程度)と書かれていた。署名は読めない。もちろんおもちゃだから換金できるわけでもない。ジョークか悪いいたずらだろう。
ただ、あのわけわからない隣人ウィルの、
「シホさん、誰かにお金を貸してませんでしたか?」
という発言を合わせて考えると、オキーフさんが金を貸した相手が、「金は返せない。おもちゃの小切手でも眺めてろ」と意地悪したとも考えられる。
隣人がなぜそんなことを知っていたのかは全くの謎だが、オキーフさんの銀行明細を見れば、6000ポンドに近い金額――悪辣な高額利子込みでなければ――が誰かに振り込まれているのではないか?
バンクスが目の前のスクリーンに口座明細を出し遡ろうとしたところで、後ろに立っていたヒラリー巡査部長がジグソーパズルの答えを開陳しだした。
「植物片の入っていた封筒は簡単。中の紙にも植物粉末が付着していたから。これがShake and Smell、Ms Sherlock Eve シャーロック・イーヴ様宛、消印はロンドン」
「お隣の奥さん、エリカさんには悪いがちょっと脅かしてみただけ、明らかに差出人はイギリス人じゃない」
バンクスが断言すると、ヒラリーも同意した。
「そうですね。敬称、特にMs付けてくる郵便なんて、請求書くらいです。親しかったらつけません。請求書でもMrsかMsどちらを付けてほしいか、大抵の業者は聞いてきます」
「市役所も国勢調査も、男だってMr、 Sir、 Esq.なんか選べって言ってくるもんな」
「Shake and Smellって違和感ありますよね」
「そうだよな」、とバンクスは頭を掻いて、
「嗅いでごらんって言いたいならShake and Sniffだろう。andだって+で省略するんじゃないか?」
「気取り屋ならShake 'n' Sniff。ロックンロールのンです」
「結構古いこと知ってんだな?」
バンクスはヒラリーをからかったが、即座に後悔した。相手が赤くなったのを怒りでごまかそうとしたから。
「だから外国人なんです。バカなこと言ってないで、これで他殺と決まったようなものでしょう? 匂いのいい植物に混ぜて毒草を送りつけた。私の直感どおり!」
会話に気持ち半分で端末操作をしていたバンクスは、シホ・オキーフの口座から2年ほど前にピッタリ6000ポンドがステファニー・アダムズに振り込まれているのを発見した。
「偽小切手の署名、ステファニー・アダムズに似てるか?」
「ええ、S・Aとも読めますね」
「オキーフさんと彼女の関係を洗ってくれないか?」
「金銭問題ですか……。お金の返済を求めていたのに、おもちゃの小切手返されてショックで発作を起こしたってストーリー? 退屈だわ」
「もしくは悲観して自殺した。どれもあり得るから困る。ただ、定期預金崩してないから、酷くお金に困っていたようではない。収入はないから貯金を食いつぶす生活だったとしてもだ。ご主人と死別したのが2年半前。その前は働いていたんだろう?」
「町はずれのサファリパークの清掃員ですね。夫の看病と喪失のせいで心身ともに疲労困憊、半年の休職後、自分から辞職」
バンクスは口座明細をさらに遡った。
「夫の預金、生命保険や政府からの遺族援助金などかなりの金額が振り込まれてる。住宅ローンも保険で完済しただろうから、持ち家、女一人の生活、たいして金のかかるもんじゃないだろ」
「まあそうでしょうね」
同じく女一人暮らしのヒラリー巡査部長は実感がありそうだ。
「生活費以外に、何かまとまった金が要りようになったんだろうか?」
「ウクライナ戦争勃発以来のエネルギー危機、物価高騰はひどいですから、先行き不安は誰にもあります。彼女、失業保険も低所得者保護も受けてないですよね。定期収入がない生活というのは心細いものです」
* 英国では持ち家でも査定式で低所得者保護が受けられます。
ヒラリーは入署以来たたきあげで、失業経験などないはずだぞ、とバンクスの頭の片隅に浮かぶ。
「オキーフさん、仕事に戻る気だったのかもな。睡眠導入剤の処方は夫の他界後半年で終わってる。後追い自殺をするほど落ち込んでもなかった、近所の感触でも、今年に入って前向きに生きてた気がするんだ。職場での人間関係は良好だったか?」
「最近でも、支給された制服の、フード付きで背中に大きなロゴ入りのサファリコートを愛用していたとの目撃情報があります。いやな思い出があれば着ないでしょ」
「そうか……」とバンクスは顎をさすって、立っている巡査部長に依頼した。
「とりあえず、このステファニー・アダムズを探しだしてくれ。話を聞いてみたい。封筒の消印からして海沿い方面だ。職場関係かご近所か、シホ・オキーフは外国人だし子どももいないし、それほど人脈のあるほうじゃないだろう、すぐに見つかる。毒草の解析より早い」
「刑事が探してもいいんですよ?」
ヒラリー女史は冗談を言ったらしく、笑いを浮かべて自分の端末に向かった。